第六話 招かれて
いつものように、食堂で幸時さんと亜志貴さんと一緒に夕食を摂っていると、ゆっくりとドアが開いた。
そこには、英国の紳士のような、今にもバラの香りがしそうな背の高い四十代前半くらいの男性が立っていた。僕と同じくらいの背だ。
「あら、お帰りなさい賢貴さん」
ちょうどちぎったパンを口に入れようとしていた幸時さんが、立ち上がって彼の方に向かった。
この人が幸時賢貴さんか。
いつか亜志貴さんが言っていた。彼は、海外に幾つも支店を持つ、大会社の社長らしい。
シチューを運んできた染谷さんも、慌てて彼に駆け寄った。しかし、亜志貴さんはただ彼を見ているだけだった。
「お電話してくだされば、榛田に伝えてお迎えも致しましたものを・・・」
染谷さんは彼が脱いだコートを受け取った。彼の体つきは、細くもなく太くもなく、そのスッキリした白い顔も笑顔も、とても中年の男性だとは思えなかった。
「いや、ちょっとみんなを驚かせてやろうと思ってね」
そう言ってから、彼は亜志貴さんのところにゆっくりと近寄った。
彼女はスッと立ち上がった。特に表情を変えず、自分の父親を見ている。
「お帰りなさい」
そんな彼女を見る彼の眼差しと表情は、とても暖かかった。
整えられた黒髪と、薄い赤銅色の透き通った瞳がよく似合っている。
「ただいま、亜志貴。久しぶりだな」
「そうですね」
会話は、それだけだった。
彼女がちらっと僕の方を見た。すると、彼もこちらを向いた。
「ん?そこに座っているのは、もしかして穏風君かな」
彼は僕の方に歩んでくると、片手を差し出した。僕は急いで立ち上がり、その大きな手を握った。
「こんばんは、幸時さん」
僕は改めて挨拶をすると、彼は亜志貴さんを見た時と同じ笑顔で、こんばんはと言った。
夕食が終わって部屋で勉強をしていると、内線が鳴った。この家は広いので、ほとんど連絡はこの内線で行われている。
〈もしもし〉
加東さんだった。
〈旦那様が、堂月さんとお話しをなさりたいそうです〉
彼女は、幸時さんの部屋の場所を言って電話を切った。ここに来て三週間以上経つので、屋敷の中はだいたい覚えた。
彼の部屋のドアには光沢あって、金のプレートに『Private Room』と筆記体で書かれている。ノックをすると、低く落ち着いた声が返事をした。
「お、来てくれたね」
彼は部屋の中央にあるモカ色のソファーでくつろいでいた。
幸時さんの部屋はブラウンをベースにした部屋で、電気もあまり明るくなので、とてもリラックスできた。
僕は、向かいのソファーに座るように言われた。とてもフカフカで、気持ちが良かった。彼が、僕の顔を見て、微笑んだ。
「このソファー、とても気持ちが良いだろう?」
僕はハッとして、少し恥かしくなった。
「す、すいません」
そう言うと、彼は笑った。
「加東さんの言う通りだ。君の顔に、君の気持ちがゴシック体で書いてあったよ」
その瞬間に、加東さんのあの妖しげな微笑みが頭に浮かんだ。
(加東さん・・・何ということを・・・)
「君には、亜志貴がお世話になっているようだね。出張していたもので、挨拶が遅れて申し訳ない」
彼が頭を下げた。僕は慌てた。
「と、とんでもないです。こちらこそお世話になってます」
彼は穏やかに目を細めた。とても素敵な人だと思った。
「大学では、何を勉強しているのかな」
彼は木造の、脚の短いテーブルに乗っているポットに手を伸ばし、僕の前にあるティーカップに紅茶を注ぎながら言った。
「商学を、あと、英語を少し」
僕の答えに、彼は目を輝かせた。
「そうか。それは素晴らしい」
僕たちはゆったりと紅茶を飲んだ。静かだった。
「君は、亜志貴をどう思っているのかな」
「?!」
僕は紅茶を吹き出しそうになって、咽た。
(今、何とおっしゃったんですか賢貴さん?!なんだかとてつもない質問をされたような気がするんですけれど)
「ハハハ、穏風君は相変わらずとても素直だね」
彼は無邪気な子供みたいに目をキラキラさせて、楽しそうに笑った。
(相変わらず・・・?)
「亜志貴は、あまり笑わない子だ」
彼は少しして真剣な面持ちになり、こう切り出した。
「凛の時も、そうだった」
彼の眼は、昔を思い出すように、遠くを見ていた。
あの時の、電車の中での幸時さんと同じように。
「私達が結婚を決めた頃、外国というものはまだ珍しかった。国際化も、一部でしか行われていなかった。私の父は特に典型的でね、とても反対したよ。式典や行事に行っても、周りの目は冷たかった。でも、母と親友は、凛のことを受け入れて、とても親切にしてくれた。そういう人が少しでもいることが、彼女にとって大切だったんだ」
彼はそこで息をついた。
「時代が変わったと言っても、人の思考までは簡単にそれに対応しない。未だ偏見を持つ人もいるだろう。見た目が違うというだけで、避ける人も中にはいるんだ。私は彼女ではないから、彼女の気持ちを完全に理解することはできない。でも、見守ってあげたいんだよ」
彼の表情が僕の父親に似ていたような気がして、心が温かくなった。
「亜志貴は、とても優しい子だ。傷つくと、きっとその傷の治りは遅い。彼女のことを、よろしく頼む」
彼が再び頭を下げた。僕は、あの時と同じように、今度ははっきりと返事をした。
「もちろんです」
彼の部屋を出る時、戸口で彼は僕に、僕の父親のことを訊ねた。僕がよく分からずに「元気です」と答えると、彼はとても嬉しそうに「そうか」と言った。




