第五話 鬱々と
雨が降っている。
年の瀬はいろいろと思い出す。冬休みで授業が無いからだろうか、それとも、もうすぐ一年が終わるからだろうか。
今年は、お父さんの会社が創立百周年記念だったのでその式典があった。
でも、それ以外は例年通り。お父さんとお母さんについてパーティーに行ったり、学校の行事があったり。
毎年毎年同じようなことの繰り返し。
物心ついた時から、友だちと遊んだ記憶なんて無い。
でも、中学生三年生の時、私にも一人友達ができた。
芳賀佐和子。
それが彼女の名前。私の友達だった人。私を、裏切った人。
佐和子とは、中学三年生になって、初めて同じクラスになった。絵が上手で、明るくて、男の子とよく見間違われる子だった。
彼女が初めて話しかけてきたのは、始業式の翌日の昼休み、私が本を読んでいる時だった。
「それ、何ていう本?」
私が顔を上げると、満面の笑みで彼女がそこに立っていた。私が本の名前を答えると、彼女は「知ってる!」と言って手をたたいた。
「今映画になってるよね。私も図書館で借りて読んだことがあるんだけど、感動しちゃった」
それから、私たちは休み時間や移動教室、体育の時間も、お弁当の時間も、大抵一緒にいるようになった。彼女が話すことは、何もかも私にとって初めてのことだった。学校が終わると、途中まで一緒だったので電車の中でもたくさん話をした。
彼女といる時が、私は一番楽しかった。
しかし、一学期の後半、私は一週間ほど学校を休んだ。お父さんの仕事の都合で、海外に行かなければならなかったのだ。
その後夏休みも終わって久しぶりに登校すると、彼女は他の子と何か話をして笑っていた。
私は近くを通った時に「おはよう。」と言った。
彼女も「おはよう」と、一ヶ月と一週間前までのように明るく返事をしてくれた・・・・・はずだった。
「・・・おはよ」
彼女の態度はまるで違った。怒っている様な声だった。彼女の笑顔が曇った。
その日一日、佐和子は私に冷たかった。私がまるで酷い事でもしたかのように、一言も口をきいてくれなかった。私は、それが何故なのか全く見当もつかなかった。久しぶりの授業も、ほとんど頭に入らなかった。
放課後、下校途中に忘れ物をしたことに気がつき、教室に引き返した。
オレンジと黄色の夕陽が差し込む教室には、まだ誰かが残っているようだった。
中から、佐和子と、同じクラスの女子の声が聞こえた。
「でもさー、よく今まで耐えたよね」
同じクラスの女子が言った。彼女たちは、私がいることに全く気がついていないようだった。
(何のことだろう?佐和子、やっぱり何か悩みでもあったのかな)
私は思わず半分開いている扉の前で息を潜めた。
しかし、その次の佐和子の発言に私は愕然とした。
「ほんとだよ。大体さあ、亜志貴って暗いんだよね。一緒に話してても全然テンション上がんないし」
・・・え?
「そうそう。それにあの子、自分がちょっとキレイだからって、調子乗んなって感じ。なんか、すましてる感じでさ」
「だよねー。ちょっと取っ付き難いし、感じ悪いような気がしてたんだ」
「私さ、思ってたんだけど、絶対佐和子も見下されてたよ。あの子、自分が頭良いことを密かにみんなに見せつけてたしさ」
「マジで?それ最悪。まぁ一学期の最初だったし、友達ができるまで付き合ってあげても良いかなって思ったけど、やっぱダメ。なんであんな子にしたんだろ・・・」
息をすることを忘れてしまった。震えるのを抑えることができなくて、今にも崩れそうだった。どうして自分がここにいるのかさえも、分からなくなってしまった。どうしてこんなことになってしまったのかも、全く分からなかった。
どうして?ばかりが頭に浮かんだ。
「ってかさ、亜志貴って変な名前だよね〜」
「マンガかよ!」
二人はゲラゲラ笑った。
ドサッ。
「?!」
彼女たちが同時に扉の方を向いた。私を見た佐和子が、固まった。
私の中で、すべてがなくなっていった。
どうして・・・どうして・・・どうして!
目頭が熱くなった。でも、泣きたくなかった。そんな顔を、見せたくなかった。
「さようなら、芳賀さん」
私は、足元に落ちていた体操服の入ったナップサックを拾って、逃げるように走った。暗くなりかけた廊下を、全力疾走した。そのまま家まで、ずっと走り続けた。
(私は佐和子の何だったの?友達ができるまでの埋め合わせ?私がいつあなたたちを見下したの?見た目だけで、感じとかそんなことだけで決め付けないでよ!)
心の中に、次から次へと、佐和子たちにぶつけたい言葉が湧いてきた。佐和子を心配した自分を罵倒した。涙が伝っている部分だけが、冷たい風を避けた。
家に帰り着いたとき、染谷さんや料理長の桃井さん、加東さん、そしてお母さんが一斉に私を出迎えた。榛田さんが、私がなかなか駅から出てこないので、心心配して学校に電話をしたけれど、もうとっくに帰ったと言われ大騒ぎになっていたらしい。
私はお母さんにそのことを聞かされるまで、榛田さんが毎日駅まで送り迎えしてくれていることなんてすっかり忘れていた。それに、学校から一時間近くも走っていたことも、今の私にはどうでも良かった。
もう、何もかもが嫌になった。
頭の中でたくさんの考えが渦巻いた。
ご飯を食べたくないと言うと、当然、お母さんや染谷さんは理由を聞いたが、私は何も答えずに、お風呂場に直行した。そして部屋に戻り、ベッドに倒れこんだ。
『大体さあ、亜志貴って暗いんだよね。一緒に話してても全然テンション上がんないし』『ちょっと取っ付き難いような感じがしてたんだ』『まぁ一学期の最初だったし、友達ができるまで付き合ってあげても良いかなって』『なんであんな子にしたんだろ・・・』
真っ暗な部屋の中に、佐和子の台詞が、白い文字となって浮き上がっては消え、浮き上がってはまた消えた。
私は、初めて佐和子と友達になった時からをずっと振り返ってみたけれど、理由らしきものは何一つ見つからなかった。
(芳賀 佐和子は、結局みんなと同じだったんだ。私のことを、そんな風に思ってたんだ。でも・・・もしかしたら私が何か佐和子に気に障るようなことを言ったり、したりしたのかもしれない・・・)
私は、ずっとそんなことを考えていた。お兄ちゃんに相談したかったけれど、その時彼は高校の学生寮で暮らしていた。お兄ちゃんに会いたかった。
結局答えは見つからず、いつの間にか眠りに就いていた。夢も見ずに眠った。
溢れてきた涙が、ベッドのシーツを濡らした。
その日から、私たちは一言も言葉を交わすことなく、卒業を迎えた。運良く高校が違った。
私は、もう誰のことも信じたくなくなった。信じた分だけ、きっとまた傷つく。そんなのは嫌だ。学校は、周りの人たちは私を潰す。お父さんもお母さんも忙しいから、私のことを考える余裕は無い。
私は、誰のことも受止められない。
でも堂月さんは・・・違う気がする。
私は少しずつ彼を受け入れている。彼に会うのが、堂月さんと話をすることが何より楽しかった。
そんなことを考えていると、ノックが聞こえた。私は返事をした。
彼はドアを開けて、いつもの笑顔で挨拶をしてくれた。
私の鬱な気分は、吹き飛んだ。




