第十一話 天使の羽
「ねえ亜志貴、ホントにボクも出席して良いの?」
紳が不安そうに私に囁いた。
「お母さんは良いって言ってたわ。それに、会社の人たちは、みんな優しくて良い人たちよ。ちゃんと正装もしているし、心配しなくても大丈夫」
私の言葉で、紳は安心したようだ。いつもの紳らしくなくて、可愛かった。
私達が食堂に行くと、染谷さんや榛田さんたちが、食事の用意などをしていた。
「あれ、あそこにいるの穏風じゃないか?」
紳が部屋の奥の方を指指した。そこには、加東さんと何か話をしている彼の姿があった。彼は、お父さんに借りたらしいスーツを着ていた。
私は、顔が火照るのを感じた。心臓が、苦しい程ドキドキしてしまう。
「穏風!」
紳が呼ぶと、彼らはこちらを向いた。加東さんが、私をちらっと見てから、また彼を見た。
「では、私はこれで」
彼女はそう言って、準備をしている人たちのところに歩いていった。
「何の話をしていたのだ?」
紳が、堂月さんの腕をぎゅっと握った。
それを見た瞬間、胸が締め付けられた。
嫉妬。
あの時感じたのも、そして今のこの感情も、きっとこの嫉妬。
「何でもないよ」
彼はそう言ってから私の方を見た。私はそっと一回、腕を擦った。
「穏風、亜志貴とっても可愛いだろ?」
紳がニコっと笑って彼にそう言った。
「うん。でも、はじめはいつもと全然違ったから、分からなかったよ」
そう、私はいつもと違う。今日は淡い黄色のワンピースを着ている。髪も、いつもはきっちりとおだんごにしているけれど、加東さんがちょっとだけアレンジしてくれた。
「すごく素敵だよ、亜志貴さん」
彼はそう言って微笑んだ。
私は、茹だってしまうかと思うくらいに、頬が熱くなった。
今日は、食事というよりも宴会のようだ。みんなで楽しく過ごすことを大切にする。
「やあ、楽しんでいるかね」
お父さんが、私と紳、堂月さんが座っているところに来た。
「はい」
堂月さんが微笑んで言った。
「そうか、それは良かった。たくさん食べてくれ。途中で抜けても構わないからね」
お父さんはそれだけ言うと、別の席に行った。
私達はしばらくして途中で抜け、リビングでトランプをした。堂月さんと紳に教わりながら、他にもたくさんゲームをした。
「なんだか喉が渇いてきたのだ」
紳がそう言ったので、私は立ち上がって、飲み物を取ってくると言った。彼らは一緒に行くよと言ったけれど、私は一人で行くと言って、部屋を出た。
月の光が中庭を照らす縁側の渡り廊下を少し早足で歩いていると、角から突然人が出てきたので、私はその人にぶつかってしまった。
「大丈夫?」
その人は、倒れそうになった私を支えてくれた。
「す、すいません」
顔を上げてその人を見た時、私は心臓が止りそうになった。
堂月さんにそっくりだ。
「こちらこそすまなかった。いや、前にお邪魔させていただいた時、この縁側の景色が素晴らしかったのでね、ちょっと来てみたのだよ」
彼の優しく暖かい表情も、ますます堂月さんに似ている。
私が戸惑っていると、彼は突然思い出したように言った。
「あぁ、君は賢貴の娘さんだね。いやあ、大きくなったね。私が初めて会った時は、まだ小さかったのに」
私は彼を思い出せなかった。私は失礼しますと言って、台所に向かった。
(彼は、誰だったのだろう・・・)
紅茶を入れたトレーを慎重に持って、やっとリビングの前に帰ってきた。
「なあ穏風、正直に言った方が良いぞ。ほらほら」
紳の声が聞こえた。私は引き戸を開けようとした手を止めた。どうして止めたのか分からない。そのまま入れば良かったのに・・・
堂月さんの声が、続いて聞こえた。
「・・・分かった。好きだよ。大好きだよ」
あぁ・・・もう嫌だ。
私の足はガクガクと震えた。
信じたからだ。他人を信じたからだ!
私は、また自分を傷つけた。
「おっ、亜志貴!悪かったな、一人で行かせて。時間がかかったみたいだけど、大丈夫か?」
紳がパタパタと駆け寄って、入ってきた私からトレーを受け取った。彼も「ありがとう」と微笑んだ。
「ん?どうした、亜志貴。そんなとこに突っ立ってないで、こっちおいでよ」
紳がトレーを置いてから、細く長い足でクルっと私の方を向いた。黒色の、膝より少し短いスカートが揺れた。
「わ、私、気分が悪くなったから部屋に戻ってる」
私は、震える声を必死に抑えながら、何とかこれだけ言った。
「え、大丈夫か?」
「部屋まで送ろうか」
彼らは心配そうに声をかけてくれたが、私はできるだけそれを丁重に断り、部屋を出た。
また、縁側の廊下に差し掛かった。
(さっきここを通った時の浮かれてた私が、バカみたい・・・)
私は歩みを止め、外を見た。雪が降っている。
ガラス戸を開け、スリッパのまま外に出た。空気が冷たい。
どこからか、除夜の鐘の音が聞こえた。私は静かにガラス戸を閉めた。こうすると、中に私の声は聞こえない。
『天使の羽が一枚一枚舞い降りてきて、幸せを分けてくれているんじゃないかと思うと、言葉では言い表せないような気持ちになるんだ』
彼の言葉が、すぐそこで聞こえたような気がした。
涙が零れた。
私は、しゃがみ込み、声を上げて泣いた。こんなに泣いたのは、あの時以来だ。いや、あの時よりも今はもっと悲しかった。止めようがない。
天使の羽たちが、私を撫でては、ひらひらと落ちて行った。




