3話 俺が守る
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」
走った先で、誰かがゾンビに囲まれている。
少女だ。数十体はいる奴らが、じりじりと少女に近寄っていく。
四方を囲まれてしまっていて、逃げ場もない。
時間の問題だ、喰われるまで。
こんなとき、どうする?
そうだ、たしかやつらの注意を引くには――
パン! 両手を打ち鳴らす。
激しいクラップ音に引かれたのか、一部の連中は少女からこちらへ向いた。
まだ足りない。声をかけよう!
勇気を出して、叫ぶ。ふしぎと気が大きくなってきた。今なら、どんなことだってできる!
「ほらほらこっち向けオラアアアアアッ!」
だがそれだけでは、少女の間近に迫っているゾンビまでは注意を引かれなかった。わかる。目の前にありつけるものがあるんだったら、そうなるよな。
「まずはこいつらを片付ける!」
拳の威力はもうわかった。ならば、蹴りならどうだ?
蹴りは拳の三倍の威力を誇るという。今のこの体で、試してやろうじゃないか!
「ラァ!」
左足を軸にして、腰の回転を加えた右脚の横蹴り。
ゾンビの胴体を抉るように決まる。まさに剛腕ならぬ剛脚だ。
蹴りの勢いはそのまま、ゾンビをふっとばす。
一体、また一体とドミノ倒しみたいに巻き込んでいく。
少女に今にも噛み付こうとしていた連中を後ろから追撃する塊ゾンビ・ボール。
「お前ら全員――」
空いた隙間を道として、走る。
「脳味噌一つ残らず潰す!」
まわりのやつらが手を出すよりもはやく、走る。
少女に食らいつこうとするやつらがその鋭い牙を剥く。
だが、ムダだ!
「こっちは無敵のサイボーグだ!」
鎧のように硬い肌は、ゾンビの牙をものともしない。
「一体、二体、三体、四体、五体六体七体八体……!」
拳を振るう。振るう。一心不乱に、少女を助ける祈りを込めて拳を振るう。
「えーっっと……何体目だっけ!?」
はじめは数えていたのだがもはや何体倒したのかは覚えていなかった。
鬼神のように戦いつづけた結果、少女のまわりからはゾンビは失せている。
「ア゛……ア゛ ア゛ア゛ア゛……ア゛ア゛」
まだそこかしこに少し残っているが、とにかく少女の危機は去ったといっていいだろう。あとは、掃除だ。
「あ、あの……」
へなへなぺたん、と少女は木を背にして腰を落としていた。
おずおずとした様子で、こちらへ何かを訴えようとしている。
もしかして、怖がられてしまったのか!?
うまく作れているとは到底思えないぎこちない笑顔を浮かべ、手を差し伸べる。
「だいじょうぶ、ついてきて。キミを絶対死なせたりしないから」
「……はい」
少しだけ考えていたが、やがて手を握ってくれた。
立ち上がると、彼女は思ったよりも小さかった。
頭一つ分、いや、肩ほどだろうか。力を込めたら簡単に壊れてしまいそうな華奢な身体をしている。
面を上げた彼女の姿。長い前髪に隠れた目鼻立ちに言葉を失う。
「……」
似ていた。瓜二つと言っていいくらい、優衣に似ていた。
そのとき、頭に浮かんだのは使命感。
今度こそ守ろう。この世界では、必ず。
「ア゛……ア゛ア゛ア゛ア゛……ア゛ ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」
うめき声が多くなってきた。群をなして迫る、ゾンビたち。
喉を鳴らす。まずはやつらを倒す。
「背について、離れないでいて」
それが、はじめの罪滅ぼしだ。
「ふぅ……」
ようやく終わった。一発で倒せるとはいえ、少し時間がかかってしまった。
まだこの体に慣れていないということだ。もっと強く、戦えるようになろう。
「あ。あの……」
一息ついていると、背中に隠れていた少女が声をかけてきた。
ちんまりとした細い手を、俺の肩に載せている。
振り返って、自分なりに微笑みかける。
そのとき、やっと冷静に姿を見られた。
黒い髪。三つ編みにして右肩から下げている。
まるで海軍制服のような白と紺の衣服。紺のプリーツスカート。
背中に、ゆらゆらと何かが揺れている……?
あ、いやいやじっと観察してる場合じゃない。
「だいじょうぶだったか? 結構血とか飛ばしちゃったけど……」
「……へ、平気です。もう、見慣れてしまっていて……」
目を伏せる少女。踏んだ。地雷。
「あーその、なんか……ごめん」
「いえ、いえいえ! だいじょうぶです! ユイ、だいじょうぶです!!」
フォローが下手だったらしい。むしろ少女に気を使わせてしまった。
な、情けないな?
っと、それよりも……
「ユイっていうんだね」
「……ユイ、どこかでお話したことありましたっけ?」
「今」
「……」
「さっきも、自分のこと、ユイって」
「…………!」
ぼっと、何かが噴き出す音がした。
朱に染まる少女ユイの頬。
「ユ、ユイったら大変失礼なことを!」
「いや、いいんだ。うっかり萌えちゃったよ」
「も……?」
疑問符を浮かべるみたいに、首を傾げるユイ。
「こっちの話。さておき、俺もまだ名乗ってなかったよね」
「! はい!」
「俺は勇人。市ヶ谷勇人。これからよろしく」
「ユート様というのですね。ユート様!」
「様……!?」
んんん?
「ええ、助けて下さいました。この御恩は忘れません。よって、ユート様と」
「勘弁してくれよ。そんな大それたことをした覚えは……」
ユイは 今にも 泣きそうな顔で こちらを 見ている。
「…わかった」
ぱああっと、光が差したみたいに明るくなるユイの表情。
「ユート様!」
「お、おう」
「ユート様……ユート様っ! ユート様ー。……ふふっ」
何回も言い方を変えては呼んでくる。最後にはいたずらっぽい微笑み付きだ。
なんだろうこのかわいい生き物。
……助けられてよかった。心底そう思う。
「ところで、早速聞きたいことがあるんだ、ユイ」
「なんでしょう、ユイにわかることでしたらなんでもお答えします」
「ここ、どこ?」
「……ほぇ。ここが、どこか、ですか?」
「うん」
「……失礼かもしれませんが、いくつかお聞きしますね」
質問しようとしたのに質問されてる。けど状況が状況だから仕方ないよね。
「ラフタリアという国名に覚えは?」
「ない」
「では、イニュジャのことは」
「ない。察しはつくけど……さっきのが国名で、今のがこのあたりの地名?」
「それで合ってます。えと、ご存じなかったんですよね?」
コクンとうなずく俺。
キョトンとするユイ。
「ほぇ。知ってて知らないふりをしてユイを騙したわけでは、ないですか?」
瞳に大粒の涙を溜めて、えぐえぐと今にも泣きそうな顔である。
「ちがうよユイ! 俺は、ユイを悲しませるようなことはしない、絶対しないから!」
「……ほんとですか?」
「うん、ほんと、絶対、必ず確実にもう100パー超えて2000パー!」
「ぱぁ?」
パーセントという言葉はないらしい。
「ともかく、うん、絶対しない。しないから泣くのなし、な!?」
でないとこちらまで悲しくなってくる。彼女の涙にはそういう、決して放っておけないものがある。庇護欲をそそるのだ。
「……はい!」
こしこし。手で涙を拭う姿まで絵になる美少女っぷりだ。
少しだけ、泣かせてみたいという嗜虐心がよぎらんこともない……。
「すみません。ひとりで暴走ぎみになってしまって」
「だいじょうぶ、気にすることないよ。よければもう少し詳しく、ここのことを教えてくれるか? 知りたいんだ」
ユイは首を縦にふる。そのときまでドタバタしてて気づかなかったが、彼女の頭には、耳が生えていた。ふさふさもふもふした、猫の耳。
まさか……。
「まずは何からお話しますか? 通貨でしょうか。それとも――」
「待てユイ。まず後ろをむくんだ」
「ほぇ? う、後ろですか? ど、どうして……」
「確かめたい大事なことがあるんだ!」
「そ、そこまで言うのでしたら……」
ユイは身を翻す。その際、海軍制服のような服の襟が風にそよぐ。紺のプリーツスカートも。みえ。みえない。おっと、そんなことよりも。
「しっぽ!? しっぽだ!?」
やはり生えていた。尻尾が。それも猫のやつだ。白猫タイプといったところか。白い毛並みのもふもふしたやつがぴょこんと生えている。
思わず声を上げてしまったので、ユイもびっくりしたらしい。
尻尾が雷みたいにジグザグを形取って、ピン! と上に伸びている。
「あ、あまりまじまじと見ないでください……恥ずかしいです」
今度は、花がしおれている時みたいに、へなへなーっと垂れている。
尻尾を見られていることへの恥じらいはあるらしい。そうだよな。ポニーテールじろじろ見てるやつがいても、たぶん女子は恥ずかしいだろう。
「悪かった。これはどうしても確かめたかったんだ」
「……? ユート様って、不思議なお方です」
口ぶりからするに、この世界ではこれが当たり前、ということか。
向こうから不思議がられてもしゃーないよな。世界が違うんだし。
「話を戻そう。教えてくれ、ここのこと」
ユイから説明を受ける。まるで現実であるかのようなリアリティをもったそれはとてもではないが頭に入りきらなかった。おそらくすべて記憶する頃には、ッ現実世界のことを忘れてるんじゃないだろうか?
「大体わかった(わかってないけど……)
それじゃあ、ずっと疑問だったことを聞かせてくれ」
「構いませんよ。ユイにわかることでしたらなんでもお答えします!」
ユイは話すのが好きらしい。説明をするときも楽しそうだった。
だが、その表情にはほんの少しだけ、陰りが指すことがあった。
その訳を、知りたい。きっとそれは――
「あのとき、どうして、一人だったんだ?」
「それは……」
言葉が見つからないといった様子のユイ。
「その背負っているものからして、物資調達に出たはずだ。
一人で行くとは思えない。仲間は、いただろう。
教えてくれユイ。仲間は、どこにいるんだ?」
「……」
嫌な予感が走った。それは、えげつない想像だった。
「…………」
だが、おそらく想像ではなく現実だ。
「……………………みなさんは、………………」
息を呑む。
「逃げてしまいました、ユイを置いて……」
ぞっとする。誰からも守られることなく置き去りにされたのだ。
最悪レベルの悪意の塊だ。
もしも助けるのが間に合わなかったら、絶望の中死んでいくことになっただろう。
「こわかった、です。だれも、いない。だれも、たすけてくれない、ユイだけ、ひとりで。だから、だから……」
あのときのことを思い返すだけで恐怖が蘇ってくるのだろう。
ユイの脚はがくがくと震えている。立っていられなくなって、すぐ膝からくずおれた。
すぐさま膝を落とし、ユイの手を取る。
小刻みに揺れながら握り返すユイの手は小さく。細く、無力に思えた。この手も腕も身体も、喰われたくない。ゾンビに喰われてたまるか。より一層強く、使命感が湧き上がってくる。
うつむいていたユイが顔を上げる。ゆっくりと、その美しい黒い髪を揺らして。
「だから……あのとき、うれしかった。うれしかったんです。
助けに来てくれる、ただそれだけで。
なのに、みんな倒してくれた時なんて……もう、うれしくてうれしくて、たまらなくて」
顔が近い。
吐息が顔にかかる。
彼女の瞳の中に、俺がいる。
これは、まさか、まさか……そういうやつなのか!?
「すみません。うまく、いえなくて。
でも、この気持ちは本物です。だから……」
さらに接近するユイとの距離。目が離せない。頭は押し返せと命令を出しているのだが、身体は動いてくれない。むしろ、動くなという命令も出ているのでは。
そうこうしているうちに、ユイの桜色の口が、俺の唇に重ね合わされ――
なかった。
「……ん?」
唇が触れたのは、おでこ。
デコチューだった。
「これからもユイをお守りください。ユート様。
父のように慕わせてください。ユイは、貴方さまを慈しみ、癒やします」
父!?
どうやら、恋愛対象というよりも、父性を見出されたようだ。
「……ね?」
守りたい、この笑顔。
不本意な気もするが、いきなり惚れられるのも心の準備がないので、ホッとしたような……。複雑な感じだけど、まあいいか。
「ユート様っ」
俺の手をぎゅっと包むように両手で握って、ユイは満面の笑みを浮かべている。その上目遣い無自覚悩殺スマイルは、反則的なまでにかわいい。
些細なことか。
この笑顔を守れたのなら。
「どこまでいけば、その避難先に着きそうだ?」
「えと、こっちのほうへ進んで……あと一時間というところです」
「そこには、どのくらい人がいるんだ?」
「一人です」
「一人!?」
「ユイのお友達の、キャロットちゃんがいます」
「そうか。……事情は会ってから聞いたほうが早そうかな」
「はい。ぜひお話してくださいね。きっと仲良くなれますよ!」
大丈夫かね。助けてる時の万能感がない分、コミュ障発揮しちゃいそうで怖いところだ。
パキッ
「なんだ今の音は?」
思わず振り返る。だが、だれもいない。
今のは、枝を踏み折る音か?
「アー」
タヌキ……?
タヌキだかリスだかよくわからないやつが木陰から出てきた。
なーんだ、あいつか。
***
歩いて行く二人を、背後の樹木の影から見守る者たちが四人。
ごまかすため兼非常食に用意していたタヌリスの死骸をしまいこむ。
「おい……」痩せぎすの神経質そうな男。
「ああ……どうなってんだ。あいつは誰だ?」汗をかきまくるデブ。
「話と違うじゃねえか。作戦が狂っちまった!」キレやすそうな、ロンゲの男がデブにナイフを向ける。
「ケッ、おいテメエら。準備しとけ」
「!?」その一言で、リーダー格のサングラスの刈り上げに四人の視線が集まる。
「夜襲をかけるぞ」