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 リオと呼ばれるようになった彼女は、一度名を捨てている。

 そもそも彼女は記憶を失ってなどいなかった。失ったフリを――いやそれすらもテオの言葉に合わせただけであり、彼女から記憶を失ったとも、故郷を探しているとも口にしたことは一度もなかった。


 彼女が名を、故郷を捨てることになった理由。それはアーネルド地方民話集に記載されたある一つの伝承であった。

 それは、人魚の伝説。この地方において海辺水辺に伝わるもっとも数の多い、かつ様々な共通点と相違点のある物語。


 ある場所において、それは溺れた人を助ける良きモノとして。

 ある場所において、それは人を惑わす悪しき魔性として。


 様々な形で伝えられるそれらには、一つの共通点があった。

 それは不死性――否、その血肉を喰らった者を不老にすると言う霊性。


 時には討伐の証として食した者が、

 あるいは瀕死の重傷を癒すために力を分け与えたと伝えられる特性。


 アーネルド地方民話集が広まるにつれ、人魚とは水辺に住む半人半魚の存在で、その性質に関わらず不死の力を秘めるモノと認識されるようになっていった。



 十数年前、ある海辺の村に一人の娘が生まれた。

 漁村の、何の変哲もない漁師夫婦の元に生まれた娘は他の子供と何ら変わることもなく両親に愛され育てられていた。

 だがある時、おぼれかけた友人を助けるため海に飛び込み、大人達を驚かせた。

 同じくらいの体格の子供を助けたから――ではない。

 海からあがった娘の腰から下が、まるで魚の尾のように変質していたからだ。

 これには目撃した村人達だけでなく、両親までもが驚いた。

 娘の両親は極々普通の人であり、その肌には亜人のように異種の特徴など欠片もなかったからだ。

 幸か不幸か娘の体は水から上がるとしばらくして人のモノへと戻ったが、一度認められた異常はそう簡単に否定できない。


 娘をどう扱うべきか、村の大人達は話し合った。


 当事者である両親は、今までと変わらず自分たちの手で育てると言った。

 だが一部の大人達はバケモノを村の中で生かすなどと娘の排除を訴えた。


 村の大人達の意見が双方に割れる中、一人の人物がこう呟いた。アレはバケモノではなく人魚なのではないか――と。

 その人物は博識で知られる知恵者であり、辺境の村には少ない文字を読める者だった。そしてアーネルド地方民話集を読んだことがあった。

 言われてみれば、確かに娘と人魚に類似点はある。知恵者は村人達を納得させるため、人魚とはどう言ったものであるのかを語った。


 人と同じように良きモノ、悪しきモノとが居る事。子供を助けたことから娘は前者であろう事。そして人魚は不死の力を秘めた存在であるという事を――


 初めは胡乱げに耳を傾けていた村人達も、知恵者の言葉に次第に心を動かしていった。そうしてついに娘を村の中に置くことを強固に反対していた者も折れた。


 ただし、娘は村の共有財産として育てるという事を条件に。


 これには当然、娘の両親は反対した。財産・・――つまりは人ではなくモノとして村に置くというのだから。

 反対の言葉はしかし、ついに受け入れられることはなかった。何しろ不老不死は人の欲望の行き着く果て。その一つ。

 例え信憑性の低い、民話の類であったとしても求める者は少なくない。それこそ貴族などの耳に入れば、大金を積んででも娘を手に入れようとするだろう。

 そうでなかったとしても、不老の力を持つ存在の近くで、その恩恵にあやかれるのなら――そんな妄念が生まれるのも、ある意味では当然の流れであった。

 娘の扱いと、そこから想像される末路のため強固に反対の声を上げ続けた娘の両親は、ついに娘を取り戻そうと軟禁された娘の元に向かった。だが軟禁場所にたどり着く前に見張りに見つかってしまう。

 村の共有財産――それも、莫大な富を生む可能性のある――を害そうとしたとして、娘の両親は表向きは追放され、生きていれば娘の噂がよからぬ連中の耳に入ってしまうのではと恐れた村人の手によって葬り去られる。


 そうして、残されたのは何も知らない娘が一人。


 唐突に変わってしまった環境に始めは戸惑いはしたが、幼さからかそれとも手厚く扱われていたからか、やがて置かれた環境に慣れていった。


 ――慣れてしまった。


 いつしか娘は何一つ疑問を持つこともなく、ただただ村の者達から世話され成長する。村人達は優しかったが、時折親が居ないことを寂しく思い、周囲の者に問うこともあったが、村人達は娘は海神様のお使い様なのだから、親は海にいると、娘が成長すれば会いに行くことができるとあやふやな話ではぐらかした。

 そうして村の外に出られないことと、年の近い遊び友達があまり居ないこと以外は畑仕事や海仕事にかり出されることもなく、娘は何不自由なく成長した。

 それは辺境の村に生まれたものとしてはあり得ない好待遇であり、同時に娘が不測の事態に見舞われることがないように、また逃げ出さないようにするための優しい檻でもあった。


 やがて月日は流れ、娘が両親と引き離されて10年以上の月日が経過した――



 ある時、娘は村長に呼び出された。いよいよ娘が海神の使いとしての役割を果たす時がきた、と。

 すでに娘が両親から引き離されて10年以上の月日が流れていた。幼かった娘も成長し、美しく成長していた。それは同じ年頃の他の子らとは違い、労働に追われることもなくあまり日の光に当たる必要もないため色が白いということもあったが、その事実は気に止められず、美しい容姿は娘が人魚だという事にますます信憑性を持たせるばかりだった。

 己の役割を果たす時がきたと告げられ、娘は歓喜した。海神の使いとしての役割を果たすこと――それは娘にとって両親とまみえることが叶う機会だと、幼い頃から言い聞かせられた残酷な嘘によって信じ込んでいたのだから。


 ――だからその事が告げられ海神を迎える『祭り』の準備に村が騒がしくなる中、娘が高まる気持ちから中々寝付けなくなったのは不思議ではなく、ましてそっと寝所を抜け出したのは年頃の子供の行動として、何一つ珍しい行動ではなかった。


 だが長年我が儘らしい我が儘も言わず、周囲の者達から言われるままに海神の使いとしてあるべく振る舞ってきた娘には予想外の行動で、初めの頃は寝ている間も逃げ出すのではと張り付けられていた見張りも気がゆるんでいたため娘が居るべき軟禁場所から抜け出したことに気づくのが遅れた。

 おつきの者もなく夜の住居を気の向くままに歩いていた娘は、やがて建物の一つに明かりが灯っていることに気づき、好奇心から近づいた。

 村者達が『祭り』の準備に忙しく動き回っていることは娘も知っており、そのうち合わせのためにこんな遅くまで起きているのだろうと思った娘は、驚かしてみたいという悪戯心と励ましになればと言う好意から出たごく自然な、深く考えたわけではない行動だった。


 その、何気ない行動が娘のそれまでを根底から覆すなどつゆ知らず。


 村の者達は、確かに『祭り』の打ち合わせのために集まっていた。

 だが、その内容はけして娘に知られるべき事ではなかった。

 当然である。娘が海神の使いであるというのは肉親を恋しがる娘を納得させるために村人が考えた都合のいい嘘であり、娘の両親は海にいるが、それは死体を捨てただけ。

 そして『祭り』は娘の『出荷』であり、複数ある候補からどの選択を取るべきか、未だに意見は纏まっていなかったのだから。


 娘の噂を耳にした貴族は、礼金と税の優遇をもって人魚を欲した。

 ある大商人は、大金を積んで人魚を欲した。その金は今まで村人が見た事もない額であった。

 またある学者は研究対象として人魚を欲し、相応の金と医学など生活に役立つ知識を修めた者の派遣を約束するという条件を。

 そして村人の中には人魚はそんな余所者の手に渡すべきではなく、村の財産として分け合うべきだと譲らない者もいた。


 村人達は意見を絞れずにいた。ここは辺境、遠くにいる者達であればただの噂であったとごまかすこともできるという考えは捨てきれない。

 そして男達の中には美しく成長した娘に暗い欲望を募らせる者も居たのだ。手塩にかけて育てた不老の秘薬、他者の手に渡すことが今更になって惜しくなったのだ――役人もろくに訪れることのない辺境の村であればごまかせるかもしれないと言う浅はかな楽観が、そんな欲望に拍車をかけた。

 良くも悪くも村の外と繋がりの薄い辺境であることが、ただの村人が持つ力と国、あるいは権力者という存在が持つ力の違いを見誤らせた。それは狭い視野の中で生きてきた辺境の村人であれば誰でも犯しうる間違いだった。

 だから一部の村人達は己の欲望をむき出しにした顔を見せてしまう。醜悪な獣欲を隠そうともしない。また美しく成長した娘に恋慕の感情を抱くのは少数ではなかった。故に咎める者も居らず、また親という庇護者のいない、実質的に愛玩動物や家畜と同じ|弱いモノ(搾取対象)としか見なしていないが故の、普段娘の前では隠している感情をむき出しにした歯止めのなさ。


 それを、娘は見てしまう。普段優しく接してくれる村人達が見せる、むき出しの欲望を。


 娘は目の前の光景は、悪夢だと思った。信じられなかったのだ。ずっと優しい檻に囲われていた娘は、悪意に対する耐性が余りにも少なかった。

 だがいくら夢だと言い聞かせても、目の前の光景は変わらない。悪夢のような光景に耐えられなくなった娘は駆け出し、ただひたすらに逃げた。

 当てなど無い。ただただその場所にとどまりたくない、そんな衝動に突き動かされて。


 娘の逃亡は、程なくして村中に知られる事となる。元々運動能力も技術もない、年相応以下の身体能力しかない。身を隠して逃げるなどと言うことも頭になく、一応は物陰に隠れてやり過ごす努力はしたが、元々監視の目があったのだ、発覚も当然だった。

 娘の不在、否逃亡に気づいた村はたちまち蜂の巣をつついたような騒ぎになった。誰も彼もが日頃の仕事を放り出し、娘を捜す。その顔に浮かぶ焦りは娘の身を案じるモノではなく、誰も彼もが欲にまみれた感情をにじませていた。


 ――そんな村から、いったいどのように逃げ出せたのか、娘は覚えていない。

 ただ気づけば村の外に居て、そのまま無我夢中で逃げ出したという事だけ。

 そのまま村に戻れるはずもなく、追っ手の陰に怯えながらただひたすらに逃げる逃亡生活だった。多くの同世代の者と異なり、それまで働いた経験もロクにない娘だ。当然日銭を稼ぐこともままならず、ただ逃げる、あの場所には戻らないと言う一念のみに突き動かされて。

 それは万が一にも連れ戻されるようなことになれば、どのようなめに遭うか――無知な娘にも、それが何であるのかを察することはできた。いや逃亡生活の中で庇護者のない娘が行き着く末路を知った、と言うべきか。

 しかしそのような無謀な逃亡劇が長く続けられるはずもなく、やがて力つき冬の寒さにいよいよ意識が遠のこうとしたときだった。

 ぼろぼろの娘に声を投げるだけに留まらず、手をさしのべる物好きが現れたのは――



   ・ ・ ・



「……ぅ」

「気がついた?」


 ざんざんと荒々しい波音に混じり、すっかり耳寝れた声が投げられる。素っ気ない言葉にはそこはかとない安堵が混じり、男――テオは一瞬誰の声であるか認識できなかった。


「……リサ、か?」

「それ以外の誰だと思ったの」

「はは、違いな――って、おまえ、何で」

「あまり無駄な口は開かない方がいい、舌を噛むか、海水を飲むわよ」


 いつものように軽口をたたく、そんなテオに呆れとも関心とも取れない言葉を向けながら、リサはそう忠告する。


「噛む、って、のぅわ?! 何で海――そ、か。って、何でおまえまで? まさかおまえも突き落とされて?」

「あまり騒がないで。ただでさえここは、波が高いんだから」

「お、おう」


 荒れ狂う波の中、着の身着のまま投げ出された状況にあると把握すると同時に軽く混乱するテオをリサがたしなめた。

 ただでさえ波の高い、荒れた海なのだ。元々海に近づく機会が少なく荒波を泳ぎ慣れてなどいないリサには、己よりも体の大きいテオを支えて泳ぐのがせいぜいなのだ。暴れられてはとてもではないが支えていられない。


「おまえ、それ――」


 そしてテオも、気づく。荒波の中、小舟などすぐさま藻屑とされてしまいそうな状況で何故生身の自分たちがこうして言葉を交わす余裕があるのかを。

 すなわち自分を支える娘の、魚のモノに変化した下半身に――


「………」

「……人魚?」

「恐ろしい?」


 呆然とこぼれた囁きに、動揺を悟られないようリサは押し殺した声で答える。

 それはトラウマ。かつて崇められ。身勝手な欲望を向けられた、呪わしい体質をさらしている事への、怯え。


「まさか! 驚いてるだけだ。連れがまさか人魚だなんて――というか、そもそもおまえ普通に歩いてたよな? その足でどうやって? それに人魚の噂に詳しかったのは、おまえ自身が人魚だからなのか?」

「……うるさい。あまり口を開かない方がいいと忠告したでしょう。舌を噛んでも知らない――ああ、その方が静かになるわね」

「おい、それはさすがに酷くないか?」

「忠告を聞かない方が悪いでしょう」


 再び騒がしくなりかけたテオに、呆れた目を向ける。切られたと思い心配していたが、どうにか巧く避けていたようだ。もっとも、あのまま荒波にもまれていては命はなかっただろうし、普通の人間ならこの荒れた海域から生還することは難しいだろう。


「状況が把握できたのなら、行くわよ」


 どこへ? と視線で問うテオ。


「まずは安全な場所へ。貴方は海では生きていけないでしょう?」


 そういうリサの方も、ずっと海の中で生きていく術など知らないのだが、テオにその事を知る術はない。

 「当たり前だろう」という言葉を皮切りに、ゆっくりと移動を開始する。


 おそらくアーネルド家の者達は、二人が生き延びたことに気づくだろう。やがては新たな追っ手が差し向けられるかもしれない。いや、あの怒りの向けようではそうなるだろう事は容易に想像がついた。

 だがもうリサには、リサと呼ばれるようになった娘には逃げるとか無関係だと知らぬフリをするという選択肢はなかった。

 たとえテオがアーネルド家を敵に回すような所行に手を染めていたのだとしても、あの日あの時、リサを助けたのはテオだ。むしろアーネルド家はリサにとって両親を奪い、住む場所を奪い、望まぬ定めを押しつける原因を作ったモノでしかない。

 どちらかに肩入れをする状況になれば、どちらにつくかなど迷うまでもない。

 だから、彼を生かす――恩を返すために、己のすべてを壊したかの一族に、少しでも煮え湯を飲ませて溜飲を下げるために。


「我ながら、勝手なものね」

「……リサ?」

「何でもない」


 ぽつりとこぼした独り言に、心配そうな眼差しを向けるテオには答えず、リサは泳ぐ。

 それはただ逃げるための当てのない旅路ではなく、明確な意志を伴った道。

 例え他者から非難されようと、目的の定まった娘は今、止まっていた時を動かし始めた――

 お付き合いありがとうございました!

 以下は、言い訳的な文章なので苦手な方はスルー推奨。








 リアルの方いろいろと忙しかったり煮詰まってたりあって、書けなかったり書いてもこれで良いのかと散々悩んだりとで遅くなってしまいました……だから書ききってから参加しろよとあれほど(以下略)

 企画モノに参加するのはしっかり計画をしてから! と学んだ次第(遅いよ)

 いろいろと設定した部分が書ききれていなかったり、そのせいで説明不足感と唐突感が……

 そして恋愛成分何処行った(コラ)。

 自分が書くと、大抵暗い話しとか背景になっていくフシがある(開き直るな)。


 突発的な飛び入り参加でしたが、企画してくださったナツ様、ありがとうございます。というか、こんなに遅くなってしまって本当に申し訳ない……っ

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