桔梗
城を勝手に抜け出して、盛大に怒られてからしばらく。
部屋から見える、庭の唯一の一本の桜も散り、三春に夏が訪れた。
相変わらず、鈴は体が弱い。
でも、ゆっくりと健康になっているようだった。
庭くらいになら出られるようになったし、咳をしない日も増えてきている。
なぜなら。
嫌がっていた薬湯を飲むようになった。
粥を食べるようになった。
外から帰ってきたあの日から。
周りの者は皆首をかしげたが。
結局何もわからない。
「鈴!
今日は特別なものがあるの!」
日がさんさんと振り注ぐ夏の昼間。
愛姫が鈴の部屋に駆け込んできた。
「姉さま!」
鈴は布団から体を上げて微笑む。
「ほら鈴、見て!」
愛姫が見せてくれたのは、深紫の花びらが大きく開いた桔梗だった。
「わぁ…!」
鈴は思わず声を上げる。
桜ももちろん綺麗だ。
裕次郎に見せてもらったあの滝桜だって。
でも、この桔梗もすごく綺麗。
姉さまがずっと夏に咲く花として教えてくれてはいたけれど、こうやって実物を見たのは初めてだった。
桜はどちらかと言うと可愛らしいようだが。
桔梗は凛としている。
「今日、中庭に咲いていたのよ!
鈴に見せたくて摘んできたの!」
鈴の様子を見ている愛姫まで嬉しそうだ。
「姉さま、桔梗ってこんなに綺麗なんですね!」
花に顔を寄せてみれば、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
愛姫は何か思いついたように、桔梗の花を持ち上げた。
そのまま、鈴の耳に花を挿した。
「わ…!」
鈴は慣れないように少し身じろぎする。
「やっぱり!
可愛いわよ鈴!」
愛姫は顔を綻ばせる。
確かに、鈴の漆黒の髪と陽の光を知らない白い肌に、深紫の桔梗はよく映えた。
姉が嬉しそうにしていると、鈴もなんだか嬉しくなる。
愛姫につられて鈴も笑った。
「姫さま、あんなに楽しそうで…」
きゃあきゃあと楽しそうに笑う愛姫と鈴を、侍女達は微笑ましく思うのだった。
その頃、下町。
「はいおっちゃん、荷下ろし終わったよ!」
「おう坊主!お前もう終わったか!
ちっこいくせに仕事ができるやつだなぁ!」
活気のある市場。
裕次郎は出店を営む人々の手伝いをしていた。
日銭を稼ぐためには、こんなふうに手伝いをする。
そして、駄賃をもらう。
そうしないと、生きていけないのだ。
父親も母親もいない。
いや、正確にはいるのだが。
一緒に生活をしてはいない。
二年ほど前から、裕次郎は一人で三春の城下町で暮らしている。
あまり贅沢な生活はできない。
あのとき鈴に串焼きを買ってやったのだって、結構な出費だったのだ。
「小僧、食うか?」
声のした方を向くと、串焼き屋のおじさんが自分に一本串焼きを差し出していた。
裕次郎が受け取るのを躊躇っていると。
「なぁに、手伝ってもらった礼だよ!食いな!」
おじさんは快活に笑った。
そういうことなら、とありがたく串焼きを受け取る。
近くの木箱に座って串焼きをかじった。
下を向くと、一輪だけ咲いた桔梗が目に入った。
…そういえば。
鈴は元気にしているだろうか。
三月ほど経った今。
あの、少し歩くだけで息を上げる少女はどんなことをしているのだろうか。
…まぁ、考えても仕方ないか。
裕次郎は串焼きの最後のひと口を飲み込んで、木箱から立ち上がる。
手伝いをしなければ。
そうしないと、生きていけないのだから。
すごく間が空いてしまいましたが続きです。
投稿頻度、上げられるように頑張ります!




