31.罪と罰
レムールは誰かと目覚める朝を、
ずいぶんと懐かしく感じていた。
向かいで寝ている少女は、寝姿までも自分の亡き妻と瓜二つであることが余計に懐古させたのだろう。
静かな寝息が、部屋に満ちている。
乱れていない呼吸。
穏やかな表情。
そのどれもが、過去の記憶を曖昧に揺らした。
やがて朝の光が、薄いカーテン越しに差し込む。
やわらかい明るさが、部屋の輪郭をゆっくりと浮かび上がらせる。
「……おはよう」
先に口を開いたのはレムールだった。
いつも通りの声。
穏やかで、何も含んでいない。
「おあよう……」
目をこすりながらだが、リステラも応じる。
リステラもまた、深く眠れるのは随分と久しいものだった。
レムールへの信頼が強くなり、安心できる空間が熟睡させたのだろう。
二人の視線が合う。
彼女はすぐに逸らした。
昨夜のことが、頭に残っている。
けれどレムールは何も、言わない。
まるで最初から存在しなかったみたいに。
「よく眠れたかい」
「……うん」
短く答える。
本当は、少し違う。
(あなたの体の傷は何? どうして消えないの?)
(わたしにあんなことして、なんであなたは平気なの?
もしかして慣れてるの?)
(あなたほどの人が、なんだってわたしと無茶な契約を結んだの?)
でも、それをどれも言葉にする気にはなれなかった。
「それは良かった」
レムールは微笑む。
それ以上は踏み込まない。
距離は、いつも通りだった。
それが逆に、落ち着かない。
二人は背中合わせとなり、
互いにそれぞれ身支度をする。
生活魔法を展開し、洗顔から整髪、歯磨きまであらゆる整容を魔法で手早く済ませた。
当然のように無詠唱だった。
それらが終わる頃、ツヅミがちょこんと窓辺から飛び降りてくる。
羽をぱたぱたと揺らした。
「今日はどうするの?」
リステラが尋ねる。
「少し街を見て回ろうか」
レムールは軽く肩をすくめた。
「情報も集めたいし、君の用事もあるだろう」
「……うん」
小さく頷く。
その言い方が、少しだけ優しかった。
外に出る。
朝の街は、すでに動き始めていた。
人の流れ。
行き交う声。
焼き立てのパンの香り。
日常だ。
何事もなかったみたいに、世界は続いている。
「昨日より、人が多いわね」
「時間帯の違いだろうね」
軽く答える。
歩きながら、レムールは周囲を見ていた。
さりげなく。
けれど、見逃さない目。
リステラはそれに気づかない。
ただ、横を歩く。
ツヅミが肩に止まった。
小さく鳴く。
「……ねぇ」
「なに?」
「アインたち、大丈夫かな」
ふと漏れた言葉。
「大丈夫さ」
迷いなく返す。
「彼らは、そう簡単にやられるような人たちじゃない」
穏やかな声音。
安心させるための言葉。
「……そっか」
少しだけ、肩の力が抜ける。
「…………」
レムールは当然、リステラに活気がないことに気づいている。
「ほら、みてごらん。
あそこのパン屋は最近小麦粉にこだわり出したみたいだ。いい匂いがするだろう」
リステラは少しだけ、鼻に神経を集中させる。
「……あ、ほんとだ。
いい香り……」
「あっちの果物屋さんは、最近ブドゥを仕入れるルートを開拓したんだって。
砂糖でコーティングしたブドゥは好きかい?」
「! もちろん!」
「はは、よかった。
じゃあ今日はそれを作ろうか」
「うれしいわ! ありがとう」
リステラの表情が少し明るくなった。
レムールも自身の心が少し穏やかになったのに気づいた。
そうして他愛ない会話を続けつつ、通りを抜ける。
人混みが少し薄くなる。
そのときだった。
視界の端に、違和感が入る。
誰かが、立っていた。
幼い少女だった。
ぼろぼろの服。
汚れた肌。
固まった髪。
足元はふらついている。
この街に似合わない。
明らかに、異物だった。
リステラも気づく。
「……あの子」
足を止めようとした、その瞬間。
レムールの歩みが、止まった。
空気が変わる。
ほんのわずか。
けれど、確かに。
「……レムール?」
返事はない。
視線は、少女に向いている。
静かに。
ただ、見ている。
少女が顔を上げた。
目が合う。
「みつけた。
やっとみつけたついにみつけた。
おまえ!
おまえが!!!
おまえはぁぁぁぁああ!!!!!」
その一瞬。
世界が、切り替わった。
風が吹き、少女の額を顕にさせる。
そこには、青に煌めく宝石が埋め込まれている。
「ワレのテキ」
距離が、消えた。
音もなく。
迷いもなく。
少女の腕が伸びる。
右腕が、歪んでいた。
骨格が膨れ、形が崩れ、指が刃のように鋭く鈍く光。
迷いなく、突き出される。
——貫かれた。
音が、遅れて届く。
腹を、抉られていた。
そのままの勢いで、二人の身体が崩れる。
地面へ倒れ込む。
(あぁ、来たか。
ついに罪が罰を背負ってやってきた)
薄れゆく意識の中で、レムールはそう感じた。
リステラの思考が止まる。
「……え」
声にならない。
理解が追いつかない。
赤が、地面に広がる。
汚れた少女の目は、揺れていた。
焦点が定まらない。
それでも——
リステラを捉えた。
少女の瞳孔が見開き、唇が震える。
「ま……」
掠れた声。
「……ま……」
呼吸が途切れる。
「ま……ま……」
そこで、力が抜けた。
少女の身体が沈む。
動かない。
完全に、止まった。
静寂が落ちる。
周囲のざわめきが、遅れて押し寄せる。
リステラは動けない。
目の前の光景が、現実に見えなかった。
ただ——
その言葉だけが、耳に残っていた。
『ま……ま……』
これで一章は終わりです。




