12.赤雨の化け物
「え?」
レムールは馬を止め、先に降りた。
次いでリステラへと手を差し伸べ、ゆっくり地面へと着地させる。
「ここまでよく走ってくれた。十分だ、お逃げ」
轡からの解放を得たヌルりんちょは、気を揉むかの表情を見せ、最後まで振り返りつつ走り去っていった。
なんとも義理堅い馬だな、と思いながら空を仰いだ。
先の階層と同じく、空からは雨が降り出していた。
だがその雨は先刻とは明らかに違っていた。
真っ赤な雨だった。
まるで血のような雨はひとしきり降った。
数個の水溜まりを置き土産に雨は上がり、しかし曇天は変わらず不気味さを漂わせていた。
さらにその血溜まりは涙の如く地面を流れ、レムールたちの目の前に大きな血池と成った。
隣を見ると、悍ましさと不気味さを内包した光景にたじろぐかと思われたリステラは気丈に振る舞っていた。
「さ、さっきは任せっきりでしたからね。
今度は、私もやります」
軽く息を吐き、背を伸ばし、魔力を溜めて池を見据えていた。
出会って何度目かの強がりだったが、それこそがリステラの義理堅さの証明だった。
「わかりました。ですが無理は無しで。
傭兵ですから、仕事をさせてくださいね」
「……正直助かります」
2人が見つめる中、血の池は煮え立つように泡を吐き出し続けていた。
一際大きな泡が膨らみ弾けた次の瞬間、中から黒い巨体がその姿を表す。
クマムシだ。
ブヨブヨとした楕円状の胴体の前面に埋もれたギザ歯の丸い口。
顔の代わりに備えられた口は回転しており、残忍さを誇示していた。
見上げるほどの巨躯を支えるには少し心許ない6対の足は、血溜まりを這い、蠢いている。
のしかかる畏怖に膝が震えるのを感じながらも、リステラは解決案を模索しているようだ。
「目が無いようですがこっちに気づかないって言うパターンは……」
「無いでしょうね。
視覚や聴覚がなくても、魔素や魔力で代用できますし」
「ですよねー。怖いけど、頑張ってみます」
「何が来るかわかりませんので僕が前に出ます。
リステラさんは自身の安全から確保してください。
その上で、余裕があれば援護をお願いします。」
「……わかりました。頼みました。
ですがどうか無茶はしないでくださいね」
そう言い残してレムールの少し後ろ、彼と化け物が視界に収められる距離までリステラは下がった。
それから盾を装備したまま左手を胸に当て、魔力を込める。
「援護します。もちろん全霊で」
彼女が持つ盾。その表に備えられた宝石が、虹のように鮮やかで美しく眩い光を放った。
するとレムールとリステラの足元から淡い光が漂い出し、それぞれに纏い出した。
実に見事な防御魔法だ。
魔素の特性を理解した上での熟達した魔力操作。
かなりの積まれた研鑽をレムールは垣間見た。
自身に広がる魔力から、リステラへと視線を移すと彼女もこちらをみていた。
お互いに真剣な面持ちで頷きを見せ合う。
そして振り返り、巨体へ向けて杖を振りかざす。
短く息を吐き、
「仕掛けます」
そう呟いたレムールの周囲に一瞬の静寂が訪れた直後、激しい音と共に赤と白の魔力がレムールへと渦巻いていた。
渦巻いた魔力はレムールの杖の先に凝縮し、綺麗な火花を散らしながら放たれるその時を待っている。
一方、化け物は禍々しい出現をしてから未だに動きを見せない。
明らかな敵意を向けられてさえ、歯牙にも掛けない化け物にレムールは渾身の一撃を放った。
解放された魔力は、圧縮に圧縮を重ねて超高密度の魔力束となっていた。
見た目には細く頼りなさを感じるが、魔法に精通するものが見ればその威力に舌を巻くほかない。リステラも同様に。
(何あの魔法!? 実家でも見たことない……
でもあの威力なら!)
目の前の敵を穿つべく紅白の魔法は空を裂くようにまっすぐ進む。
狙いは正面、口の中。
ゼリーめいた外殻より体内の方が効果的だろうと判断した結果だった。
狙い通り、寸分の狂いなく見事に口蓋へ直撃した。
────直撃したはずだった。
だが何故か化け物は微動だにしない。
口の中が賑やかに何度か光ったが、ただそれだけだった。
レムールの魔法は、直撃した直後に口の中で数回反射してそのまま消えた。
そしてその間も化け物は微動だにしなかった。
「そんな……効いてない!」
レムールの代わりにリステラが叫んだ。
彼女が想像した未来にならず、化け物が健在していることで動揺に襲われていた。
対してレムールは至極落ち着いていた。
高出力の魔法を使用したことによる反動も魔力欠乏もなく、靡く風を感じ、思案していた。
(炎がダメか……? 水と光の組み合わせならどうだろうか。
いや、反射していたんだ。
うっすらとだが、膜で覆われていた。
魔法は効かないと思った方がいいなこれは)
レムールは迅速に仮説を立て、答えを導き出す。
そしてその答えを確認するために、行動へと移した。
リステラへと振り返り、
「魔法、効かないかもです。
ちょっと物理で殴ってくるので、
魔法で援護もらえますか?」
「わ、わかりました!」
急な要望に少し驚いたような表情をリステラは見せるが、すぐさま盾を構え直し援護に取り掛かろうとした。
しかし先に動いたのは化け物の方だった。
今の今まで沈黙を貫いていた化け物だが、ここに来て身の危険を感じたのか、体を捻り蠕動運動を始めた。
巨体が動くことで地鳴り起き、暗い雲を割るような叫び声が響き渡る。
レムールはもちろん警戒を強めたが、リステラはさらに大事をとった。
盾を光らせ、防護魔法を2人に二重に展開した。
盾ありきの魔法だが、殊にこの状況において、防音・防塵は大いに役に立った。
息を呑んで化け物の動きを2人は見守る。
その行動の果てに、巨大な化け物は一つのものを吐き出した。
べちゃ。
それは──『目』だった。
確かに『人の目玉』であった。
高所にある化け物の口から不快な音を立てて落ちてきたそれは、しっかりと人に合う大きさをしていた。
不気味極まりない。
見るに耐えない。
恐怖にキリがない。
覚悟を決めている者であっても、身の毛をよだたせ、逃げ出してしまう様なこの惨状。
だがリステラはただ覚悟を持っているだけにあらず、勇気をも手にしていた。
凍傷になることを厭わず、逃げ出したくなる足を氷魔法で固定し、ありったけの強がりを口にした。
「こ、こここんなので私たちが怯むとでも思っているのでしょうかね。
ま、まぁ、多少は驚きましたがそれだけです。
さー反撃しましょう、そうしましょう」
レムールには彼女の虚勢が手に取るように見えた。
だが痛い思いをして、苦しいのを感じて、どうしてそこまでできるのかレムールにはわからなかった。
だから率直に聞いてみた。
「……あの化け物、初めてでしょう。
怖いはずなのに、痛いだろうに。
なぜ、そんなに頑張れるんですか?」
リステラは一瞬だけキョトンとしたが、答えはとうに決まっていた様で直ぐに答えてくれた。
「私にはやりたいことがあるんです。
……どうしても、やりたいことが。
だからこんな所で、立ち止まる訳にはいかないんです!
貴方だってそうでしょう?」
真剣な眼差しでリステラは断言した。
その『やりたいこと』を知る由もないが
彼女の想いはひしひしと伝わってくる。
そうだ。誰にだってやる理由なんて当たり前にあるんだ。
それに気づいて、自然と笑みが溢れた。
「──ですね、私も同じです。
しかし、そうだとしても体は大事にしてください。
いざという時、倒れてしまいますよ」
そう言ってレムールはリステラへと近づき、優しく抱きしめた。
「ごめん」
その謝罪が誰に向けたものかはレムールのみぞ知るところであるが、少なくともそのうちの1人であろうリステラは戸惑いを隠せないでいた。
「え、ぇえ? なに、なんですか?
…………あ、そう言うことか」
流石に察しのいいリステラは割と直ぐに感づいた。
熱魔法で氷が溶かされていることと、
光魔法でリステラの不安が晴れていることに。
リステラがそれに気づく前に、レムールは一歩二歩と下がった。そして触れたことへの謝罪。
「差し出がましい真似をしました。本当にすみません」
「いえ、いいんですけど。いや、よくはないですけど。
あの、今度からは先に言ってくださいね?
私も流石に驚いちゃうので……」
リステラは「でも……」と続けて、
「おかげさまでまだ行けそうです。
魔法で援護、できますよ」
と、ニッコリ。




