燻る闇①
広間には、まだ血と煙の匂いが残っていた。
王座の上でルーベンは拳を握りしめたまま、動けずにいる。月の光が差し込む床に、かつての威厳はもうどこにもない。
助けを求めたわけでもない。だが、助けられてしまった。あの〝弟〟に――。
レオナール。
あれほど忌まわしく、存在そのものを消し去りたかった名。呪われた王子。そう蔑み、王家の恥として追放したはずの男が、今夜、あの宮殿の中で唯一〝王〟として立っていた。
ルーベンの喉の奥から、押し殺したような声が漏れる。
「……なぜだ。なぜあいつが……」
震える拳を膝の上に叩きつける。痛みなど感じない。脳裏に、先ほどの光景が何度も蘇る。
光の剣を掲げ、闇を裂いた弟。そしてその隣で、静かに祈りの光を放った女、エミリア。
あのときの人々の目は恐怖でも同情でもなく、ただひとつの敬意があった。
それが、レオナールに、そしてエミリアに向けられていた。
誰も、王座に座るこの自分を見てはいなかった。
昔からレオナールは邪魔だった。どうにか消す手段はないか、そればかり考える毎日だった。
命を奪うのが手っ取り早いが、それでは長年のルーベンの痛み――王族でありがら忘れられた存在――に気づかせられない。
そこで考えたのが呪いだった。そうと決まれば即行動。ルーベンに忖度していた宰相を通じ、呪術師を北方の森から呼び寄せた。
『生きていくのが苦痛になるほどの呪いをかけろ』
そう命じ、魔獣による攻撃に見せかけて目的を達成。呪われた王族など王都には必要ないと父王を説得し、魔獣が蠢く北の辺境にレオナールを追放した。
願いが叶ったそのとき、胸の奥でなにかが大きく弾けた。
それは罪悪感ではなく、安堵だった。やっとだ、と。
その呪術師も宰相も口を封じ、ルーベンが呪いを仕向けたと知る者はいない。あとは自分の思うままだ。
そう思っていたというのに――。
「ぐっ……!」
歯を噛みしめる。口の中に鉄の味が広がる。
悔しい。
これほど屈辱を感じたことはない。命を救われた恩など、なんの慰めにもならない。
あれではまるで、自分が弟の庇護を受ける子どものようではないか。
「陛下……」
そっと近づいたバネッサが声をかける。
だが、その声音にも怯えが混じっているのがわかる。彼女も見ていたのだ。あの〝夜の王〟の姿を。どんな宝石よりも気高く、どんな祈りよりも美しいエミリアの輝きを。
「うるさいっ!」
ルーベンは怒鳴った。
バネッサが肩を震わせ、後ずさる。
「お前は……お前はエミリアのように聖女でもなければ、癒しの力も持たぬではないか!」
言葉が鋭く空気を裂いた。
バネッサの瞳が大きく見開かれ、唇が震える。
「……陛下、私は」
「黙れ!」
ルーベンは立ち上がりかけ、足に残る痛みの幻に呻いた。
エミリアの癒しの光が消したはずの痛みが、まるで呪いのように蘇る。
罰なのか。
神殿を退け、聖女を追放した報いなのか。
己の手で、王の座を汚してきた報いなのか。
その思いが頭をよぎった瞬間、心の奥からなにかが崩れ落ちる音がした。
ルーベンは頭を抱え、ただ小さく呻いた。
「私は……間違ってなどいない……。あいつと、あの女が、悪いのだ……」
言葉は弱々しく、誰に向けたものでもなかった。
バネッサはその言葉を聞きながら、静かに顔を伏せる。
その頬を伝うものが涙なのか、それとも失望なのか、ルーベンにはたしかめる気力すら残っていなかった。




