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月夜の王⑤

 ***


 宮殿の庭園は混乱していた。黒い瘴気に覆われている。

 咆哮が夜空を裂き、瓦礫の上に魔獣の影が蠢いていた。


「下がれ!」


 レオナールが一声放つ。

 近衛たちは彼の周囲を空ける。

 次の瞬間、大地が震えた。

 レオナールの足もとから光の陣が広がる。青白い魔法陣が空気を裂き、圧倒的な魔力の奔流が溢れ出た。


「アーク・レイ!」


 彼の詠唱とともに、天空から光の槍が次々と降り注ぐ。魔獣たちが断末魔の声を上げ、黒煙とともに弾け飛んだ。

 ひとつ、またひとつ、続々と現れる異形の影を、剣と魔法の両方で薙ぎ払っていく。

 刃が閃き、光が奔り、黒い血が宙に散る。そのすべての動きが、まるで舞のように滑らかだった。

 夜風が髪をなびかせ、剣の銀が闇を裂く。

 しかし次の瞬間、背後で轟音が響き渡った。

 砕けた扉の破片が宙を舞い、悲鳴が夜空を引き裂く。黒い瘴気とともに、魔獣の影が宮殿の中へと雪崩れ込んだのだ。


「なんだと!?」


 近衛たちが剣を抜くが、次々と吹き飛ばされる。

 ルーベンは玉座の前で蒼白になり、バネッサが震える声を上げた。


「宮殿の結界が……っ!」


 レオナールはすでに動いていた。闇を裂くように駆け、舞踏のように軽やかに剣を抜く。


「全員どけ!」


 その声が響いた瞬間、魔力の奔流が爆ぜた。

 青白い閃光が空気を焼き、魔獣の一体が吹き飛ぶ。光の尾を引く剣が、次の獣の喉を断ち、同時に詠唱が唇から零れた。


「アーク・バースト!」


 炸裂する光。音と熱が渦を巻き、魔獣の群れが黒煙に飲まれて消える。

 だが、その中で一体の魔獣が逃げ、壁を砕いて大広間へと突進した。

 悲鳴が連鎖する。


「エミリア様っ!」


 カーリンが叫んだ。

 魔獣の巨体が、エミリアへと飛びかかった――その瞬間。

 レオナールの胸元が光り、小さな銀の影が跳ねるように飛び出し、空中で眩い光を放つ。

 白銀の獣――元の姿に戻ったシルバが、稲妻のような速さで魔獣に飛びかかっていく。鋭い牙が闇を裂き、首元に喰らいついた。

 獣の咆哮が宮殿を震わせる。

 その隙を逃さず、レオナールが詠唱を重ねる。


「終焉の光よ、我が剣と共に!」


 剣が輝きを帯び、流星の軌跡を描いて魔獣の胸を貫く。閃光とともに黒い血が弾け、巨体は崩れ落ちた。


「エミリア!」

「だ、大丈夫……です!」


 彼女は息を震わせながらも、シルバを抱きしめる。

 しかし安堵の間もない。べつの方向から濁った咆哮が響き渡った。

 ルーベンの王座の背後から、もう一体が襲いかかる。


「やめろっ!」


 ルーベンが叫ぶが、遅い。魔獣の牙が彼の足を噛み砕いた。

 血が赤く飛び散り、王の悲鳴が夜を貫く。


「陛下‼」


 バネッサが絶叫する。

 その瞬間、光が走った。

 レオナールの剣が一直線に閃き、魔獣の頭部を斬り裂く。断末魔とともに、獣の体は灰のように崩れ落ちた。

 静寂が訪れ、ただレオナールの呼吸だけが響く。

 剣先から滴る光が床に落ちると、その跡から春の花のような淡い輝きが広がっていった。

 先ほどまでの咆哮と悲鳴が嘘のように、空気が凍りついている。焦げた匂いと血の匂いが入り混じり、青白い煙がゆらゆらと天井へ昇っていく。

 レオナールは剣を下ろしたまま、微動だにしなかった。

 足もとで崩れた魔獣の残骸が、闇に溶けるように消えていく。

 その光の中で、ルーベンの呻き声が響いた。


「……あ、足が……っ」


 彼の声は震えていた。血が床を汚し、赤い線が絨毯を染めていく。

 バネッサが駆け寄り、震える手でルーベンを抱き起こす。


「陛下! どうか、しっかりなさって……!」


 彼女の声は悲鳴にも似ていたが、その瞳には涙よりも恐怖と動揺が浮かんでいる。

 血の匂いと焦げた煙が満ちるなか、エミリアは静かに一歩を踏み出した。血に濡れた絨毯の上に膝をつく。


「足をお貸しくださいませ、陛下」


 ルーベンは痛みに顔を歪めながらも、怯えたように彼女を見つめた。


「お前……なにを――」


 その言葉が終わるより早く、エミリアの手のひらからやわらかな光が溢れた。

 花弁が散るように光が舞い、血で染まった足を包み込む。裂けた肉が再び繋がっていく。

 バネッサが息を呑む。

 ルーベンもまた、驚愕に目を見開いた。


「ば、馬鹿な……こんな、力を……」


 その光はやがて淡く消え、床に落ちた血までもが跡形なく消えていた。

 ルーベンは信じられないといった様子で自らの足を見下ろす。そこにはもう、傷ひとつ残っていなかった。

 エミリアは静かに立ち上がり、裾を整える。その横顔に怒りはない。


「あとは静かにお休みくださいませ」


 礼を尽くして頭を下げ、踵を返す。

 その背に、バネッサの掠れた声が追いかけた。


「待って……あなた、今のは……」


 エミリアは振り返らなかった。

 光の残滓がまだ漂う広間をシルバが先に歩み出す。レオナールが続き、カーリンがそのあとに控える。

 扉がゆっくりと閉じる。外の空気は澄んでいた。

 夜の終わりを告げる風が吹き抜け、宮殿の塔の上に白い月が浮かんでいる。

 レオナールはそっと息を吐き、エミリアとうなずき合った。


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