月夜の王⑤
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宮殿の庭園は混乱していた。黒い瘴気に覆われている。
咆哮が夜空を裂き、瓦礫の上に魔獣の影が蠢いていた。
「下がれ!」
レオナールが一声放つ。
近衛たちは彼の周囲を空ける。
次の瞬間、大地が震えた。
レオナールの足もとから光の陣が広がる。青白い魔法陣が空気を裂き、圧倒的な魔力の奔流が溢れ出た。
「アーク・レイ!」
彼の詠唱とともに、天空から光の槍が次々と降り注ぐ。魔獣たちが断末魔の声を上げ、黒煙とともに弾け飛んだ。
ひとつ、またひとつ、続々と現れる異形の影を、剣と魔法の両方で薙ぎ払っていく。
刃が閃き、光が奔り、黒い血が宙に散る。そのすべての動きが、まるで舞のように滑らかだった。
夜風が髪をなびかせ、剣の銀が闇を裂く。
しかし次の瞬間、背後で轟音が響き渡った。
砕けた扉の破片が宙を舞い、悲鳴が夜空を引き裂く。黒い瘴気とともに、魔獣の影が宮殿の中へと雪崩れ込んだのだ。
「なんだと!?」
近衛たちが剣を抜くが、次々と吹き飛ばされる。
ルーベンは玉座の前で蒼白になり、バネッサが震える声を上げた。
「宮殿の結界が……っ!」
レオナールはすでに動いていた。闇を裂くように駆け、舞踏のように軽やかに剣を抜く。
「全員どけ!」
その声が響いた瞬間、魔力の奔流が爆ぜた。
青白い閃光が空気を焼き、魔獣の一体が吹き飛ぶ。光の尾を引く剣が、次の獣の喉を断ち、同時に詠唱が唇から零れた。
「アーク・バースト!」
炸裂する光。音と熱が渦を巻き、魔獣の群れが黒煙に飲まれて消える。
だが、その中で一体の魔獣が逃げ、壁を砕いて大広間へと突進した。
悲鳴が連鎖する。
「エミリア様っ!」
カーリンが叫んだ。
魔獣の巨体が、エミリアへと飛びかかった――その瞬間。
レオナールの胸元が光り、小さな銀の影が跳ねるように飛び出し、空中で眩い光を放つ。
白銀の獣――元の姿に戻ったシルバが、稲妻のような速さで魔獣に飛びかかっていく。鋭い牙が闇を裂き、首元に喰らいついた。
獣の咆哮が宮殿を震わせる。
その隙を逃さず、レオナールが詠唱を重ねる。
「終焉の光よ、我が剣と共に!」
剣が輝きを帯び、流星の軌跡を描いて魔獣の胸を貫く。閃光とともに黒い血が弾け、巨体は崩れ落ちた。
「エミリア!」
「だ、大丈夫……です!」
彼女は息を震わせながらも、シルバを抱きしめる。
しかし安堵の間もない。べつの方向から濁った咆哮が響き渡った。
ルーベンの王座の背後から、もう一体が襲いかかる。
「やめろっ!」
ルーベンが叫ぶが、遅い。魔獣の牙が彼の足を噛み砕いた。
血が赤く飛び散り、王の悲鳴が夜を貫く。
「陛下‼」
バネッサが絶叫する。
その瞬間、光が走った。
レオナールの剣が一直線に閃き、魔獣の頭部を斬り裂く。断末魔とともに、獣の体は灰のように崩れ落ちた。
静寂が訪れ、ただレオナールの呼吸だけが響く。
剣先から滴る光が床に落ちると、その跡から春の花のような淡い輝きが広がっていった。
先ほどまでの咆哮と悲鳴が嘘のように、空気が凍りついている。焦げた匂いと血の匂いが入り混じり、青白い煙がゆらゆらと天井へ昇っていく。
レオナールは剣を下ろしたまま、微動だにしなかった。
足もとで崩れた魔獣の残骸が、闇に溶けるように消えていく。
その光の中で、ルーベンの呻き声が響いた。
「……あ、足が……っ」
彼の声は震えていた。血が床を汚し、赤い線が絨毯を染めていく。
バネッサが駆け寄り、震える手でルーベンを抱き起こす。
「陛下! どうか、しっかりなさって……!」
彼女の声は悲鳴にも似ていたが、その瞳には涙よりも恐怖と動揺が浮かんでいる。
血の匂いと焦げた煙が満ちるなか、エミリアは静かに一歩を踏み出した。血に濡れた絨毯の上に膝をつく。
「足をお貸しくださいませ、陛下」
ルーベンは痛みに顔を歪めながらも、怯えたように彼女を見つめた。
「お前……なにを――」
その言葉が終わるより早く、エミリアの手のひらからやわらかな光が溢れた。
花弁が散るように光が舞い、血で染まった足を包み込む。裂けた肉が再び繋がっていく。
バネッサが息を呑む。
ルーベンもまた、驚愕に目を見開いた。
「ば、馬鹿な……こんな、力を……」
その光はやがて淡く消え、床に落ちた血までもが跡形なく消えていた。
ルーベンは信じられないといった様子で自らの足を見下ろす。そこにはもう、傷ひとつ残っていなかった。
エミリアは静かに立ち上がり、裾を整える。その横顔に怒りはない。
「あとは静かにお休みくださいませ」
礼を尽くして頭を下げ、踵を返す。
その背に、バネッサの掠れた声が追いかけた。
「待って……あなた、今のは……」
エミリアは振り返らなかった。
光の残滓がまだ漂う広間をシルバが先に歩み出す。レオナールが続き、カーリンがそのあとに控える。
扉がゆっくりと閉じる。外の空気は澄んでいた。
夜の終わりを告げる風が吹き抜け、宮殿の塔の上に白い月が浮かんでいる。
レオナールはそっと息を吐き、エミリアとうなずき合った。




