月夜の王④
レオナールは一つひとつの挨拶に穏やかに微笑み、礼を返していた。
光に包まれたルーベンの王座よりもレオナールの立つ闇の側の方が、人々の目には輝いて見えるのだろう。
エミリアはその様子を隣に寄り添い見つめていた。
彼が笑うたびに貴族たちの表情が和らぎ、息を呑むのがわかる。誰もが彼を忘れてはいなかった。
呪いも追放も、時間さえも、彼の中の誇りは奪えなかったのだ。
ルーベンにとっては、なによりも残酷な事実だろう。
視線を感じてふと振り返ると、王妃バネッサがこちらを見ていた。
薄く微笑んでいるが、その瞳の奥ではべつの色が燃えている。
嫉妬だ。それは氷のように冷たい炎だった。
彼女の扇がゆるやかに動くたび、香が漂う。だがその香りの奥に苛立ちと焦燥が微かに混じっているのを、エミリアははっきりと感じ取った。
(……あなたも気づいているのね。誰がこの場を支配しているのか)
王妃の笑みが、わずかに強張る。その隣でルーベンは杯を掲げているが、その手が小さく震えているのをエミリアは見逃さなかった。
祝宴の中心にあるべき王と王妃。だが、光の輪はゆっくりと彼らから遠ざかっていく。
今、その中心にあるのは夜を纏うひとりの王子と、その隣に立つ、かつて追放された妃だ。
音楽が高鳴り、人々の声が重なっていく中、大ホールの扉が、突如として大きな音を立てて開かれた。
ざわめきが止む。直後に息を切らした近衛兵が駆け込んできた。
「し、失礼いたします! 報告申し上げます!」
兵は床に膝をつき、顔を上げた。
「宮殿の東の庭園に魔獣が出現! 周辺に避難の指示を!」
大広間が一瞬で凍りついた。ざわめきが悲鳴へと変わり、貴族たちは後ずさる。
「ま、魔獣が……宮殿に!?」
「結界はどうなっているのだ!」
「神殿の加護は――」
誰もが顔を見合わせ、声を失っていく。
王座で、ルーベンの顔が見る間に蒼白に変わっていく。
「馬鹿な……この王都の結界が再び破られたというのか!」
握った杯が震え、赤い葡萄酒が滴り落ちて手を染める。
隣でバネッサは扇を固く握りしめたまま、唇を震わせていた。
そのとき、静かに身じろぎしたのは、レオナールだった。わずかに姿勢を正しただけで、広間の空気が変わる。闇を纏うようなその佇まいを、誰もが凝視した。
「門の結界が破られたというのなら、残りは長くもつまい」
低く響く声が、場のざわめきを一瞬で鎮めた。
人々の視線が一斉に彼へ向かう。
黒を基調とした上衣の裾が揺れ、銀糸の刺繍が燭光に閃く。彼の瞳には、夜の底のような静けさと炎のような決意が宿っていた。
「ど、どこへ行くつもりだ、レオナール!」
ルーベンが声を荒げる。
「この場を離れるな! それは王の命令だ!」
レオナールはその言葉を背に受け、ただ一度だけ振り返った。
「兄上、王を名乗る者が怯えてどうする」
そのひと言に、ルーベンの顔が引き攣る。
次の瞬間、レオナールは歩み出た。近衛兵の前に立ち、腰の剣に視線を落とす。
「借りるぞ」
「は、はっ!」
兵が慌てて鞘ごと剣を差し出す。
レオナールはそれを抜き放ち、刃を一閃させた。銀の軌跡が燭光を裂き、光の粒が舞う。
その美しさに、誰もが目を瞠った。
エミリアの胸が強く波打つ。
「レオナール様!」
エミリアが呼ぶ声に振り返った彼は、深くうなずいて前を向いた。
扉が開かれ、夜風が流れ込む。レオナールの銀の髪は宙に舞い、闇の中へと消えた。




