家あり子
大森林を東へ直走る俺は、最東端である海へと辿り着いていた。
「しまった…行き過ぎたか?」
情報が正しければ、ここは東大陸の東海岸のはず。
ハイエルフの姫は、大森林の東端に何かがいると言っていた。
「ここが東の端なのは間違いない。問題はこの広大な大森林で、ハイエルフの姫が言っていた東の端がどこを指すのかということだ」
ここまで来るのに、走ってもかなりの日数を要してしまった。
現在は年末。まだ鑑定で見ても年齢は変わっていないので、間違いないだろう。
「しかし、どうするんだ?」
俺の視界の先は海。背中は大森林を向いている。
波打ち際には砂浜はなく、長い年月をかけて削られた岩が、波が引くたびに顔を出していた。
「とりあえず、北か南に向かうか?」
情報がないのは、当たり前。
ここは人がいない大森林なのだから。
つまりは、これ以上の捜索は人力ということ。
「うーん。遥か北には連邦と連合国があるはず。其方にはどう転んでも向かう予定だから…先ずは南に向かうか」
大森林の南は、どこから向かっても小国群に行き着く。
恐らくこの海岸沿いに南下しても、いずれどこかの小国に辿り着くだろう。
「海沿いだから、食べ物も肉以外が食べられるな」
ずっと森の中で過ごしていた為、肉や山菜、果物には少し飽きがきていた。
久しぶりの海の幸。
長い航海で慣れたはずのそれは、今や懐かしい味へと変わっていた。
時に魔力圏を使い、海側よりも森の中へと探索しながらの旅は、遅々として進まなかった。
海側の方が暮らすには便利だが、身を隠すなら船でも辿り着けない森の中が適している。
ここにいる予定の使徒が、一体どんな考えでここにいるのかによって、探すところは全く違うということ。
考えれば考えるほどに探す範囲は拡大していき、俺の南下速度は亀といい勝負になっていたのだ。
「年が明けたか…」
早朝。日課となっている鑑定を行うと、俺の年齢は遂に19歳を迎えていた。
「年一人のペースだと、残りの使徒に会うのに必要なのは…六年か。大陸移動の期間を考えると、もしかしたら30歳くらいになっているのかもな」
あれ…もしかして……
「俺が…いや。俺を含めて他の使徒達が寿命で死んだら、ハイエルフの使徒の一人勝ち?」
それってどうなんだ?
「しかし、ハイエルフは俺を探していた。正確にはシャルだとは気付かれてはいないはずだが…」
探すということは、寿命で勝とうとはしていないと考えていいよな?
「俺がハイエルフに転生していたら、どうしていただろうか?やはり森に引き篭もり、他の使徒が寿命で死ぬのを待つのか?」
いや。ハイエルフが潜む森など一つしかない。
それなら森に火でも放てば炙り出されるか。
使徒を見つけられないどころか、その糸口さえ見つけられない俺は、遂に思考で遊び出してしまったのだった。
「大森林を抜けてしまったぞ……」
あれから二ヶ月。雨が降っても休まず、寝ずに探す事もあったが、遂に使徒は見つけられなかった。
そして、大森林の先は砂漠になっており、とても人が住める様には見えなかったのだ。
「引き返すか……」
ここは大森林の東海岸南端に位置するところ。
この砂漠を越えた南には小国群があり、そこは所謂紛争地帯だと聞いている。
これまでは比較的安定した大国で使徒探しをしてきたが、紛争地帯では人々の生活は苦しく、碌に情報収集など出来ないだろう。
そう考えて、南東側のまだ探していないところから、大森林を北上しようと判断した。
使徒探索をしながら北上することさらに二ヶ月が経っていた。
歩いてみた感じ、大森林の面積は、サキの記憶にある北海道の二倍足らずの面積はあるように思う。
少なく見積もっても1.5倍はある。
そんな広大な森林から、たった一人の人を探すのは無謀かと考え出した時、遠くに煙を見つけた。
「あれ?方角を誤って、エルフの里にでも来てしまったか?」
見える煙は森林火災のような黒いものではなく、風が吹けばすぐに大気と同化してしまうほどの薄い灰色をしていた。
その細く白い煙は、煮炊きなどで見られるものに違いないだろう。
探索中はしっかりと太陽と夜空の星の位置から方角を確認していたつもりだが、マンネリ化していたことも事実。
俺は自分に自信のあるタイプではない為、何処かで気が緩み、方角が少しずつずれてしまったのだと考えたのだ。
「しまったな…ん?何かおかしい気が……あっ!」
遠くの空へと昇る煙を眺めていると、何か感覚に引っ掛かりを覚えた。
そして、それはすぐに思い至る。
「あそこはエルフの里じゃない…あそこがエルフ里であれば、見えなくてはならないものがここから見えないことになる」
そう。ここから世界樹の姿は見えなかった。
エルフの里の上空に、世界樹が見えないはずがない。
「つまり、俺の探索域は間違っておらず、あそこはまだ大森林の東側。ハイエルフの姫が言っていた、謎の気配の持ち主がいる可能性が高い」
半ば諦めていたから、喜びも一入だ。
「何故こんな森の中で暮らしているのかはわからないが、俺のする事は変わらない。気を引き締めて向かうぞ」
いつも通り。
そう自分自身に言い聞かせ、俺は逸る気持ちを落ち着かせて、煙の元へと向かっていく。
煙の元までは目測で一キロ以上は離れている。
しかし、魔力特化の使徒が相手ならば、一キロは魔力圏内である可能性が十分に考えられる。
自身の魔力圏は最小に留め、木陰に隠れながら少しずつ近づいていった。
「煙の匂いがしてきたな」
煙は上に上がるが、森の中に吹く優しい風が、ほんの僅かに煙を運んできていた。
「この匂いは…シチュー?」
煙に食べ物の香りが混ざっていた。
その匂いはふんだんにミルクが使われているだろう、濃厚なシチューの良い香りだ。
「?牛や山羊でも飼っているのか?」
対象は長い間、森の中に篭っているので、もしミルクを持ってきていたとしても、それはとっくに腐っているはずだ。
つまり現地で調達したということ。
この辺りには牛や山羊などは見かけてこなかった。そもそも大森林に住む獣は限られている。
代表的な草食動物は鹿で、肉食動物はそれを餌にする狼だ。
他にも動物は見てきたが、間違いなく山羊や牛は見たことがなかった。
「牧畜をここで行っている?何の為に?」
様々な疑問が浮かぶも、結局見てみないことにはわからない為、より慎重に近づく事にした。
木陰へと移動するたびに、周囲と前方をしっかりと確認してからまた新たな木陰へと移動する。
そんな事を5回ほど繰り返すと、それは見えてきた。
(木の家?ん?煉瓦も使われているぞ…)
独り言も言えない状況なので、俺は心の中で呟く。
木陰から覗いて見えたのは、メルヘンチックな可愛らしい家だった。
家にはこれまた御伽話の絵本に出てくるような煙突が付いており、そこから煙は立ち昇っていた。
(魔力圏を延ばせば、家の中に人がいるかどうかはわかるが、見つかる可能性も高い)
煙突からは今現在も勢いよく煙が出てきている。
(確実にいるな。しかし…どうしたものか…)
家を破壊することは容易だ。
しかし、中にいるのが使徒かどうかはわからない。
自分ルールに従うのであれば、やはり確認は必要である。
(迷子を装うか…)
くだらない手だが、他にいい案も浮かばない。
外は夕暮れ時となり、その嘘をつくには都合のいい時間帯でもある。
(だが…使徒でなければ、碌な奴じゃないよな?)
文明を捨ててまで、この地で自給自足の生活をしているのだ。犯罪者の可能性が高いし、そうじゃなければ人嫌いの可能性があるくらいだ。
(悪い奴なら殺す事も視野に入れておこう)
ハイエルフには恩がある。
ここで争うなと言われたが、相手が使徒ではない普通の人ならば、争いにすらならない一方的な討伐になるだろう。
それならば、大森林で悪さを働かれる前に、排除しておけば恩返しになる。
使徒であれば、また別の誘導する手を考えよう。
これまでの大森林を彷徨う中で導き出した答えを振り返り、俺はこの森で初めて見た家へと近寄ることにした。
コンコンッ
ガシャンッ
「………」
「………」
玄関のドアをノックすると、中から陶器の割れる音が聞こえ、その後に静寂が訪れた。
それもそうか。誰も訪れる筈のない家に、誰かが来たのだからな。
よし。そういう事なら演技続行だな。
「すまない。どなたか居られないか?」
「…………」
居留守かよ。
「怪しいものではない。森で迷ってしまったのだ。頼む。開けてくれ」
怪しい奴ほど怪しくないというが、それ以外にいい言葉はあるのか?
俺は家主が応答するまで、そんな言葉遊びに興じていた。
ギィィ…
油をさしていない蝶番が鈍い音を奏で、扉はゆっくりと開かれた。
「済まない。道に迷ってしまったところ、立ち昇る煙が見え、迷惑だとわかっていても頼るしかなかった」
俺はあくまでも迷い人。
「ぁ…ぇ…ぅ…ぁ…ぃ…」
「ん?何と言ったんだ?」
「ひぃっ!?」ガタッ
扉の先から顔を出したのは、黒い髪で鼻まで顔を隠した小柄な女性だった。
なんと言ったのか分からなかったので一歩近づき聞き返すと、女性は悲鳴と共に尻餅をついた。
※ハナコ・ヤマダ 19歳 女 人族
体力…1068
魔力…3254
腕力…38
脚力…59
物理耐性…1411
魔力耐性…4081
思考力…83
ウェスタの使徒(生活創造魔法)
当たりだ。
しかし、反応が解せない。これだけの強さがあれば、俺の様な大男にもビビる必要はないだろうに。
目標の一つが見つかった。
それにこの程度のステータスと身のこなしであれば、いつでも殺せる。
俺は自身が使徒であるとバレない様に、この女に優しく手を差し伸べたのだった。