東のユグドラシルを守る者
クリミア達の元を離れ体感で20分ほど走ると、複数の反応を魔力圏が捉えた。
すぐさま魔力圏を縮小させ、反応があった方向へと向かう。
「バレただろうか?」
大丈夫だと思いたい。
見つかっていた場合は交渉が必要になる上に、それが力づくのものになってしまうだろう事は、火を見るよりも明らかなこと。
「警戒でもしていない限り、あの一瞬では気のせいだと思うだろう。そもそも気付かないだろうし」
魔力圏を広げたままで生活する事は並大抵のことでは出来ない。
偶々警戒中であれば見つかっているかもしれないが、それでも俺の魔力制御の速さで誤魔化せている。と、思いたい。
「居たっ。エルフだ」
やはりここにも居たか。
視界の先に居たのは、二人のエルフ。
散歩でもしているのだろうか?それくらい無防備に歩いている。
「見つかっては…いないな」
木の陰に隠れ、二人のエルフが去るのを待つことに。
何も出来ない時間が、とても長く感じる。
「俺は馬鹿か…ミスティの方が何倍も辛く、クリミアはもっと辛いんだ」
二人のエルフが去ったのを確認すると、俺は再び走り出した。
周りの木も心なしか大きくなったように見える。
ユグドラシルが近い。
そう感じた次の瞬間。
「着いた…」
木々の隙間から、茶色の壁が見えた。
「間違いない。ユグドラシルだ」
世界樹の名の通り、東の大陸のユグドラシルも大きかった。
少なくとも中央大陸のそれと遜色ないように見える。
「今これ以上近づくのは危険だ」
エルフに見つかり警戒されると、次に来た時の難易度が跳ね上がってしまう。
俺は来た道を駆け戻りたい気持ちを抑え、慎重に引き返すことにした。
来た道を戻る俺の目に飛び込んだのは、魔物に襲われそうになっているミスティの姿だった。
おかしい!二人を置いて来たのは、もう少し先の場所だったはずだ!
「来るならきなさいっ!私はただでは死にません!」
大木を背に、魔物と対峙しているミスティが吠える。
動物であればそれで怯むこともあるが、ミスティと向かい合っている魔物に効果は見られない。
俺からミスティまでの距離は300m。
『ギャォォッ!』
魔物は雄叫びを上げながら、ミスティに襲いかかる。
届けッ!!ヒュンッ
この距離なら、魔法よりも何か投げた方が速い。
そう考えた俺は、不敬にも腰に差してある神剣を放った。
音速を超える速度で魔物に迫るそれは、そこを通過して消えていった。
魔物が動きを止めたことにより、空白の時が生まれる。
死ぬ覚悟は出来ていたのだろうが、いつまで経っても動かない魔物を不思議そうに見つめるミスティ。
そのミスティの前で、クマ型の魔物の上半身が弾け飛んだ。
それを皮切りに時間が動き出し、剣が飛んでいった方角から凄まじい音が鳴り響いた。
ドドドドーーンッ
一体いくつの大木を破壊したのか。
俺から見て、ミスティの後方から砂煙が高々と舞い上がっていく。
「ミスティ!怪我は!?」
「シャル様っ!?ま、魔物が…」
「事情は何となく把握している。それよりも先ずは怪我の有無を報告しろ」
ミスティがクリミアを置いて逃げるなんて、考えられない。
つまりこれは囮ということだ。
恐らく魔物を見つけたミスティが、クリミアを守るために態と魔物に見つかるように逃げて、ここまで来たのだろう。
「怪我はありませんっ!それよりも!早く!クリミア様が!クリミア様の元へっ!」
「落ち着け。ここへミスティだけを置いては行けない。抱えるが、舌を噛むなよ?」
「へっ?ちょ!?うぇっ!?」
抱えると言ったが嘘だ。
これは恐らく担ぐと言う。
左肩に左手一本でミスティを担いだ俺は、クリミアの元へと急ぎ走っていく。
一分と掛からず、魔力圏がクリミアの消え入りそうな魔力を拾った。
近くに他の反応はないが、心配なので速度を緩めずに向かうことに。
かなりの移動速度だから怖いだろうに、肩のミスティは一切声をあげていない。
もう少し我慢してくれ。
「いたっ!」
大木の陰に敷いた衣類の上に、出立前と変わらぬ姿のクリミアを見つけた。
「辛そうだが…」
その表情は苦しみを訴えていた。それも素人ながらに先程よりも辛そうに見える。
「ミスティ。降ろすぞ。ん?ミスティ?」
肩の荷物を降ろそうと声を掛けるが、反応が返ってこない。
よくわからなかったが、早くした方がいいと思い、ゆっくりと、出来るだけ優しく、ミスティを地面へと降ろした。
「気絶している…悪い…怖かったよな…」
ここへ来るまでに、木の枝の上を飛んだり、中々にアクロバティックな動きをしてしまったからな。
だが、外傷はないんだ。
申し訳ないが、ミスティを寝させていられるほどの余裕は、クリミアには無さそうなんだ。
俺は心を鬼にして、ミスティの顔に水をぶっかけた。
「ぶあっ!?ぷっ!?おぼっ!溺れるっ!?」
「安心しろ。溺れるような水量じゃない」
「うえっ!?シャル様…?あれ?私…寝て?」
よし。問題は無さそうだ。
「混乱しているところ悪いが、ユグドラシルを発見した」
「えっ!?ということは…エルフの集落も?」
「そうだ。これから連れて行くが、絶対に声を出すな。エルフに見つかると攻撃されてしまうからな」
「これからですか?しかし…クリミア様は意識が…」
「恐らく先程の音で、エルフに存在がバレている。一刻の猶予もないんだ。支度してくれ」
「わ、わかりましたっ!」
意識のないクリミアをそこへ連れて行った所で意味はなく、ただ悪戯に残り少ない体力を消耗させるだけだと、ミスティは思っているのだろうな。
しかし、説明している暇はない。
俺は背負子を背負うと、ミスティがそこへクリミアを慎重に乗せ、荷物を纏めた。
「荷は置いて行く。帰りがけに寄れたら持って帰るから、その辺に固めておいてくれ」
「…わかりました」
ミスティはこれが最後の行動だと思ったのだろう。
一度深呼吸をして覚悟を決めると、了解の言葉を告げる。
魔物がいることから、ミスティをここへは置いて行けない。
クリミアが助かった時に、ミスティがいなければ、それはクリミアが死んだのと何ら変わらないからな。
どちらが死んでも、ダメだ。
その為に、俺はミスティへ告げる。
「その紐を貸せ」
「え?この荷造り用のロープですか?」
「ああ。こっちに来い」
疑問を浮かべるミスティをよそに、俺はロープを使い、ミスティの身体を縛った。
「えっ!?何故!?」
「動くなっ!」
「ひぃっ!?」
ミスティは驚くが、動かれると上手く縛れない。
何とか縛れた後、今度は俺の身体の前面にミスティを抱っこする。
「ま、まさか?」
「そうだ。俺だけが走るから、しっかりと捕まっていろよ」
走るだけならまた肩にでも担げばいいが、片手だけでユグドラシルは登れない。
「よし!行くぞ!」
「ああ…神様…」
先程の光景を思い出したのだろう。ミスティは神に祈りを捧げ出してしまった。
俺も俺の神に祈ろう。
頼むから漏らさないでくれ、と。
先ずは神剣の回収が先だ。
恐らくエルフもそこへと向かっているのだろうが、回収されると拙い。
俺はクリミアに気を使いながら、全速力で神剣が飛んでいった方角へと向かって行く。
ミスティは…我慢してくれ。
「あれが…ユグドラシル…」
神剣は無事だった。
よく考えたら、俺以外持てないのだから、エルフにどうこうする事は出来なかったよな。
まぁ罪のないエルフに死なれたら嫌だから良かったけれど。
「そうだ。ここからは声を出すなよ?エルフは耳がいいからな」
あの長い耳は伊達じゃない。
進行方向を向いていたミスティは、俺の言葉を聞いて、再び抱きつく形になった。
恐らく両手で口を押さえているのだろう。
そのままでいてくれ。
これから最大の恐怖が襲ってくるだろうからな。
「先ずは魔法を放つ」
ミスティが悲鳴を上げないように、手順を口に出した。
ドーーンッ
俺達がいる位置よりも、ユグドラシルから離れた場所に爆炎と砂煙が上がった。
「これからユグドラシルを登る」
「えっ?!あっ!」バッ
…大丈夫か?頼むから耳元で悲鳴を上げないでくれよ?
予想外の言葉だったのだろう。
ミスティは声を出したが、思い出してくれたのか、すぐに口を塞いだ。
「いくぞっ!」
俺は掛け声と共にユグドラシルへと走って向かう。
この瞬間だけはクリミアの事よりも速さを優先する。
頼む。頑張ってくれ。
駆け出した俺は、すぐに森を抜けた。
ユグドラシルの周りに木がないのは、ここも同じようだ。
そんな俺達の前に、一人のエルフの姿があった。
もう引き返せない。
※ニューロウィニア・レスクリーナー 1681歳 女 ハイエルフ
体力…1511
魔力…3091
腕力…184
脚力…221
物理耐性…1922
魔力耐性…3200
思考力…151
世界樹の子
ハイエルフ!?くそっ!使徒でもないのに化け物みたいなステータスだ!
ハイエルフはユグドラシルと俺達の間に立って、こちらを凝視している。
全てにおいて俺の方がステータスは上回っているが、状況がその優位を消し去っていた。
「神の子よ。何用じゃ?」
「っ!!何故神の子と?」
「質問に質問で返すでない。何用じゃと聞いておるのじゃ」
神の子って使徒のことだろうか?
わからないが、俺には時間が残されていない。
「悪いが問答をしている余裕は無いんだ。そこを退いてくれ」
「ふむ。珍妙な格好をしておると思うたが、どうやら其方には守るものが多いようじゃのぅ」
「俺の仲間に手を出したら…殺すぞ?」
こちらの弱点を突いたつもりか?
それは俺を怒らせるだけだぞ?
俺は魔力圏を全力で展開し、この『のじゃのじゃハイエルフ』を威嚇した。
俺から漏れ出る濃厚な魔力は質量を持ち始め、後ろの木々を揺らし始めた。
「くっ…やはり神の子じゃな……して、誰の子じゃ?」
「言えば大人しく通してくれるのか?」
「神によるのぅ」
出来れば敵対したく無い。エルフは何も悪いことはしていないのだから。事情があるとは言え、むしろ悪いのはこっちだしな。
はぁ…ミスティに聞かれるが、致し方ない…か。
俺は心の中で溜息を吐き、このしつこいハイエルフに、神の名を告げた。