その夢、砕け散るも、爪痕を遺す
爺さんが離れて暫く。
戦いは尚も激しさを増していた。
「両方とも化け物だな…」
あの辺りは元々俺とガゼットが戦っていた場所のはずだ。
俺の魔法で作り上げた更地は、二人の戦いの余波により、更に平らへと近づいていた。
二人の攻撃は、その余波ですら俺の魔法の威力に勝るということか……
「まともに戦えているように見えるが…」
恐らく神相手にガゼットは善戦していた。
攻撃をしっかりと受け止め、倍の手数は攻撃している。
「見えるだけか…」
俺と戦っていた時は嬉しそうな顔をしていた。
しかしその顔は今、焦りに満ちている。
「アイツが強いのもそうだが…それ以上に不気味に映るな」
神の攻撃もガゼットには通っていない。
それにも関わらず、神は焦りの色も余裕な表情も見せない。
まるで実体がないような、そんな不気味な佇まいをしている。
竜は一目見た時に恐怖を感じた。
神は…ただただ底知れない不気味さを醸し出していた。
「そろそろ終わりにしよう」
「はっ!負けを認めるってか!?」
「君は強いよ。本体ではないとはいえ、神である私が手こずったのだから」
二人が戦闘を中断すると、辺りは信じられないほどの静けさに包まれていた。
かなり離れた俺のところまで、話し声が聞こえるほどに。
「だが、残念かな。君は人である為に疲れが出始めている。やはり使徒とはいえ、神と争うと消耗は隠せないようだね。参考になったよ」
「何をごちゃごちゃと…俺はまだ負けてねーっ!」
「負けだよ。最後のチャンスだ。私の使徒にならないか?」
ん?この神は使徒を探しているのか?
そしてやはり神だったか……
「へっ!俺は誰かの為になんて戦わねーよ!」
「交渉は決裂した。さようなら。強き者よ」
ドーーンッ
会話の終わりと共に、二人が再びぶつかった。
それだけで大地は揺れ、空気は震えた。
「どうする…今斬り込んでも、一太刀も浴びせられる事なく、俺は死んでしまうぞ…」
決着を待つしか出来ない。
俺は俺の命を奪わなかった者を、見殺しにする決意を固めた。
「拙い…押され始めた…」
分かってはいた。
神の言っていることが嘘なわけがない。
ガゼットは次第に神の攻撃を躱せなくなり、遂には防御一辺倒になってしまった。
見ているのすら吐き気を催す戦いだ。
二人の力がなまじ拮抗しているが為に、決着に時間がかかる。
ガゼットはサンドバッグのようになるが、俺に助ける手段はない。
「魔法が使えれば…」
そう呟き、俺は紫色に変色している左手を見つめる。
悔しい。歯痒い。
様々な想いが去来する。その時、戦いが止まった。
「お別れを告げよう。我が名は『プルートー』。強き者よ。己の選択を悔い、あの世へと旅立て」
「っざけんじゃねー」
プルートーと名乗る神が光を纏う。ガゼットも身体強化を限界値で使っているのだろう。魔力が可視化され、同じように光を纏って見えた。
光と光が高速でぶつかり、世界に一瞬の静寂が訪れた。
「くっ…どうなった!?」
あまりの眩しさに直視できなくなる。
光が収まると、そこには全身から血を吹き出して倒れるガゼットの姿が目に映った。
「素晴らしい。まさかこの身体に傷をつけられるとは…」
対するプルートーは口から血を流しているものの、痛みという意味でのダメージは見られなかった。
本体ではないといっていたから、痛覚などはないのかもしれない。
「傷は負ったが、君ほどは弱っていないよ?」
っ!!?
完全に気配を絶っていたはず。それなのにプルートーは最初から知っていたかのように、こちらへと急に振り向き、俺を見て話し出した。
プルートーがゆっくりとこちらへ向かい歩いてくる。
重い足取りから、確かにダメージはあるようだ。
今なら逃げ切れるか?
弱気が脳裏を過ぎる。
しかし、それに反して身体は動いてはくれなかった。
本能で理解しているんだ。
逃げても無駄だと。
「さて。君はどうする?彼に負けたくらいだから弱くて誘う気にもならなかったけど、彼が死んだ今、僕も人手が欲しくてね」
ゆっくりと歩きながら、ゆっくりと喋る。
世界がスローになったように錯覚してしまいそうだ。
「ユーピテルが選んだ使徒というくらいだから、愚鈍ではないよね。どうだろう?私の使徒になる気はないかな?」
遂にプルートーは俺の目と鼻の先に来てしまった。
その異様は対面して初めてわかるもの。
心の奥底から『逆らってはならない』と声が聞こえるようだ。
考えることをやめて、斬りかかり、いっそのこと殺されてしまいたい。
どちらかを選択すれば、どれ程楽なことか……
喉が渇く。
声が出せない。
震えることさえ出来ない。
「どうした?二度は言わないよ?」
死神は俺の首に鎌をかけ囁いた。
どうするべきだ…何が正解だ…どうすればコイツを倒す事が出来る!?
「どうやら恐怖に飲まれてしまったようだね。そんな使えない使徒はいらないから、君も死んでいいよ」
くそっ!斬りかかるしかないのか!
今の俺の力でコイツに当てる事が出来るのか!?
せめて隙が作れたら……
俺を…いや、自分以外のモノを雑魚扱いしているコイツならば、その油断に漬け込み、一太刀浴びせられるかもしれない……
しかし、俺に残された時間は少なく、名案など思い浮かぶはずもなかった。
プルートーの身体が白く発光しゆく。
「さようなら。か弱き君」
(くそがぁっ!!)
俺は最期に睨み返すことしか出来ないのかっ!?
プルートーが攻撃態勢に移ったその時。
ガッ
鈍い音を立て、プルートーの頭部をロイドの剣が強かに打ち付けた。
「ちっ!ゴミ虫が!」
「爺さんっ!逃げろっ!」
大声を出した事により、身体が漸く動いた。
プルートーは俺を見ていない。
恐怖とダメージからまともに動けないと考えたのだろうか。
プルートーは爺さんに向き直り、逃すまいと左腕で爺さんの襟首を掴み、残った右腕を高速で振るった。
その刹那の瞬間、俺は腰の剣を抜き、プルートーに向けて振り切った。
ザシュッ
斬れた、のか?
残された気力で神剣ゴット・イーターを振り切ったので、今は慣性に任せて身体が宙を泳いでいる。視界はプルートーと爺さんから離れ、反対を向いている為、どうなったかは、まだわからない。
最早着地する気力も残っていない為、転がるに任せるしかないが、結果が気になる。
やけに遅い視界。
空を舞う砂塵すら止まって見える。
俺の身体はまだプルートーに背を向けている。
漸く手の感触が脳に伝わり、何かを斬ったことを告げた。
しかし、感覚は鈍感。
どれ程の傷を負わせたかまではわからなかった。
剣を振り切ったままの体勢は、次第に地面へと近づいている。
そっちではない。
そう身体に命令するが、反応は返ってこなかった。
ズサッ
時が動き出し、俺は二人に背を向けた状態で、地面へと倒れ伏した。
「ぐっ…」
手が動かない。
「うっ…」
足も動かない。
肚に力が入らない為、身動き出来なくなっていた。
それでも…それでも、この目で……
「くそがぁっ!」
全身を気力で動かす。
ゴロンッ
遂に寝返りをうつことに成功して、その目で結果を確認することに成功した。
「ああ…そうか…君の方が…裏の神達が用意した切り札だったのか…」
視界に飛び込んできたのは、頭部と左肩をなくしたプルートーが背を向けて立っている姿だった。
されど声は目の前から聞こえた。
目の前にあるのは、左腕と首と頭部。
その頭部から声が聞こえてきたのだ。
「化け物め…」
「君の名は?」
両断されたまま、何事もなかったかのように振る舞うプルートーに、俺は悪態を吐く。
「俺はシャル。ユーピテル様の名の下に、お前を討伐する者だ」
誇っていいのだろうか。
無様にも倒れたまま、プルートーに向けて気勢を上げた。
「シャルか…覚えておくよ…しかし…ここで依代を失くすのは想定外だね…でも、わかったよ…私は君さえどうにかすれば良いとね…必ず…君を……」
そう告げながら、プルートーは塵になっていった。
そして、俺もまた、意識を白く染めた。
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シャルに逃げろと言われたロイドは、その約束を破っていた。
「彼奴は頑固だからああ言ったが、ワシだけ逃げられる訳がなかろうがっ」
来た道を引き返す振りをして、かなり大回りになるがプルートーの裏を取る為に走っていた。
「よもや、ワシ程度の力では傷すらもつけられまい。しかし、隙くらいなら作れるやもしれぬ」
何もしない訳にはいかなかった。
自身の半分も生きていない若者が、命を賭して戦っているのだから。
戦いの理由がどうであれ、武人として生きてきた半生が、ロイドに逃げを選択させなかった。
そして、唇を噛み締めて時を窺っていたロイドに、機会が訪れた。
誰も自身のような矮小な存在には気付きもしない。
化け物達からすれば弱すぎて、気付いても本能で無視をする。
この場でロイドは、そんなちっぽけな存在に成り下がっていた。
「だが…それでいい」
ワシに化け物を傷つけられるような、牙はない。
「しかし、夏に出る蚊は五月蝿かろう?」
決して傷は負わせられない。されど、集中を乱すことは出来る。
『勝ちを確信した瞬間。人は無防備になる』
長年の冒険者活動で得たこの金言は、戒めでもあった。
目標を討伐した時に油断が生まれ、潜んでいた魔物に殺された冒険者の話を聞いてきたし、自分でもあわやという経験をしてきた。
「神と名乗るか。しかし、ちと人に似過ぎやしないか?」
生意気で口が達者な若造。
しかしその実、気持ちの良い漢っぷりを見せてきた。
そんな後輩の危機に、身を挺する時がやって来たのだ。
シャルに別れを告げる神。その実は依代に憑依したに過ぎないのだが、それでも隔絶した強さを持っている。
その神の身体が白く発光を始めた。
それは先程見た。
ガゼットとの決着をつける時に。
タイミングはわかる。
後は全身全霊を掛けて、これまでの全てを、この一撃に乗せるのみ。
「がぁぁっ!!」
ガキンッ
隙だらけの神へと振り下ろされた愛剣は、脆くも砕け散ってしまった。
しかし、それでいい。
目的は達せられたのだから。
「ちぃっ!ゴミ虫がっ!」
「爺さんっ!?逃げろっ!」
戦場で敵に背を向けるとは。神とはいえ、人を馬鹿にし過ぎであるな。
時間が…
止まって…
いや、ゆっくりとだが、流れている。
これが死の間際に見る光景か。
神はワシの目論見通り、こちらへと振り向き、その手でワシを掴んだ。
酷く緩慢な動きに見えるが、恐らくそれはワシだけに感じるものなのだろう。
そして、反対の腕をワシに向けて振りかぶる。
そうだ。シャル。斬れ。
お主の最高の一撃を、ワシに見せてくれ。
ロイドの身体に神の拳がぶつかる瞬間。
シャルの斬撃が神の身体を通過し、シャルはそのまま身を任せ、倒れていく。
なんと格好悪い。しかし、ここまでその想いは届いたぞ。
ワシは最強には至れなかったが、今際の際にその片鱗を拝む事が出来た。
シャル…達者でな。