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#173 感染が始まったのは数百年前

「美味いのだ美味いのだ」

「美味しいのなの美味しいのなの」


 センブリ地獄から帰還した2人は、一刻でも早く口の中に残る常軌を逸した苦味を消し去るように、甘辛い生姜焼きやすき焼きのタレを口に運ぶ。

 その一方でユニは、本を片手にサンドウィッチを飲み込むように食べ進めている。これも本を創造できると分かってからのいつもの光景なんで咎めるつもりはない。ほぼ休みなく馬車を引いてもらってる事に対するささやかな礼と、俺は認識している。

 こんな調子で、いつもより少しだけ時間のかかった晩飯が終わると、俺はコテージを取り出して風呂に入る。やっぱ日本人としてその辺は外せんよ。1日中部屋にこもって誰とも会わなかった34の時と違い、今は1日中馬車に居るとはいえ外に晒されているんで、汚れを落とすためにも気持ちよく睡眠をとる為にも必要な行為とはいえ、毎日湯舟って訳じゃない。アニーやリリィさんが居ればまた別だけど、1人の場合は面倒だからシャワーで済ませる割合が多い。今日も例に漏れずシャワーである。

 昔だったら髪質にこだわってなかったから安物のシャンプーでガシガシ洗ってたモンだが、外見がよくなるとそれを維持する努力をしなきゃなんない。そこら辺は無頓着だったが、それを絶対に許さないリリィさんに半ば強引に仕込まれた部分が少なからずある。

 なので、品質を最高にしたシャンプー・ボディソープ・スポンジを用意し、全身くまなく洗っていく。面倒くさいけど、何がどうなってんのか知らんがサボるとリリィさんにバレるんだよなぁ。そしてそれが何よりも怖い。マリアすら自然と敬礼するほどと言えばわかりやすい……かな?

 だから仕方なく髪を洗っていると、ユニから〈念話〉が来た。


『主。少しいいですか?』

『なんだ急に。今は風呂の最中なんだけど』

『それが……主を出せと言う女性が2人』

『少し待っててもらえ』

『分かりました』


 はてさて。こんな時間のこんな場所に俺を訪ねて来るなんて、普通の連中じゃない。真っ先に思い浮かぶ人物像はある。約束もしていたから問題はない。気になるのは多少日付がズレたくらいかな。そのあたりは顔を合わせた時に聞けば済む。


 ――――――――――


「待たせたかな」


 湯上り卵肌。なんてワードを頭に思い浮かべながら優雅にバスローブ姿で馬車を出ると、見覚えのある吸血鬼と見知らぬ女性が値踏みするような半眼をこっちに向けている姿があった。


「遅いっ! シルル様を待たせるなど無礼千万ぞ! 謝罪と大量の血を用意せよ」

「ただお前が血を飲みたいだけだろ。で? そっちのがそうか?」

「貴様っ! シルル様に対してその物言い……許すまじ!」

「ほれ」

「ま、まぁ……シルル様も寛大なお方。人種ごとき惰弱な存在である貴様の無礼な言動の1つは許してくれようぞ。じゅるり」


 メディスに輸血パックを放り投げて黙らせ、シルルとやらに目を向ける。

 ぼっさぼさの黒髪はかなり汚らしく、瓶底みたいな眼鏡をかけている姿は一応日本人の大人であろう見た目っぽいけど、漂うオーラが隣の吸血鬼とは段違いだ。マリアほどじゃないけどこいつもこいつで結構な実力者なのは確かって事か。


「……」

「ん? なんだ?」


 スタイルは長身だけどぶっかぶかの民族衣装みたいなローブを着ているからスリーサイズまでは分からんが、ほっそりとした顔立ちを見る限り太ってるって訳じゃなさそうだ。

 そんなシルル。眉間にしわを寄せながらぐっと距離を詰めてきた。反応できない速度じゃなかったけど、特別敵意も感じられないから黙って見逃してみただけで済んで悪しからず。


「……女の子?」

「まぁそうだな。それがどうした」


 要点のない質問に首をかしげると、シルルであろう女性は盛大にため息をついた。理由は知らんが目の前でそう言った態度を取られんのは少なからず腹が立つ。


「残念。男だったら創作意欲がかき立てられたでござるのに」

「創作意欲? なん――」


 なんのだ。と言いそうになるのをギリギリ? で踏みとどまれたと思う。

 2メートルにも届こうとするシルルが俺と目を合わせる為には、どうしたってかがまなくちゃならんわけで、そうするとぶっかぶかのローブの、主に胸元があらわになり。男であればそう言う部分に目が行くようにDNA上に刻み込まれている訳で、俺も御多分に漏れずそう言った動きをした瞬間。3つの英字と1つの記号それに絵が飛び込んで来た。


 ――I❤BL+裸の男(イケメン同士)がくんつほぐれつしてるアニメ絵。


 そんなモノがプリントされたTシャツを着ている時点で、こいつが何の創作意欲がかき立てられるのかなんて日本に住まう皆さまならご存じであろう。

 シルルは腐った魔族であらせられるという訳だ。どうやって知ったか。それともこいつが地球の人間なのかは知らんが、こういう手合いとは長く付き合うのはゴメンなんで、さっさとやるもんやって退場願おう。


「おっと。これに興味があるナリか?」

「いや。興味ない」

「なになに。皆最初はそういうでござるが、一度知ると皆が拙のようにこれなしでは生きられぬ身体になるナリ。丁度布教用の――」

「俺は百合派だからBLは大丈夫だ。それよりこれを貰いに来たんだろ? たくさん用意しといてやったからさっさと持って帰れ」


 手早く〈真実の血(エルダーブラッド)〉と銘打ったなんて事のないスムージーを1ダース差し出し、ついでにメディスを味方に加えようと輸血パックを餌にと取り出してみたが、視線の先では濁った眼で笑みを浮かべる感染者の姿が。


「お主もシルル様が齎したびぃえるなる娯楽に一度触れてみるとよい。わらわも初めは男同士の閨話などと思っておったのだが、これほど心躍るモノとは思わなんだ。303年もの間触れられなかったのは非常に苦痛であったが、さすがはシルル様。あれほどまでに新作を生み出しておられたとは思いませなんだ」


 こいつが感染源だったか。つーかよりにもよってなんちゅう名前つけてんだよ。


「あーそーかい。とにかくお前等の用事はこっちだろうが。味とかの確認をしてさっさと帰れ」

「仕方ないナリ。拙も貴殿のように同郷の者に嫌われたくないナリよ」

「ん? そう言えばどうしてこれが俺だと分かったんだ。それと何故異世界人だと?」


 登場からここまでの突然すぎる流れですっかり忘れてたけど、メディスと会話・戦闘をしたのはアスカ状態の俺ではなく、キョウヤという男の姿でだったはずだ。あの時もこういう事に対するすり合わせをしなかったな。多少時間が前後したのはこの辺りが原因か?


「簡単な事。シルル様がお作りになられたど〇ごんれーだーなる魔道具で貴様の波長を掴んだまでだ」

「おい。せめて名前変えろよ」

「アスカ氏。こちらの世界には著作権は存在しないナリ。ついでに同郷と分かったのは輸血パックなんて物をメディスに渡したからナリよ」

「まぁ簡単か。さて金額だが……とりあえずそっちの手持ちを聞こうか」


 基本的に全部MPで作ってるから元手はタダ。そして相手は金銭の取引をしない魔族。ある意味どっちも金に興味が薄いんだが、さすがに銅貨1枚で毎度アリって訳にゃいかない。

 ちなみに今回の購入物と量は、500のスムージー48本。輸血パック(O型)480個。ワイン赤・白各20。

 これを金に換算するといくらになるのかね。少なくとも金貨より下はありえない。


「拙はこの日のために白金貨5000枚ほど持参したナリ」

「ほぉ……それは殊勝な心掛けだが、魔族がどうしてそんなに金持ってんだ?」


 一応あくどい手段での集金は認めてない。そもそも白金貨は滅多に市場に出ない代物なんだからどこにどれだけあるのかなんて知らんので、こんだけの量を集めるにはどうしたって方々探し回る必要がある。それも奥深くまでってなると騒ぎの1つや2つ聞こえてくるようなもんだけど、シュエイに居た時もその手の話は一回も聞かなかったな。その線はないのか?

 俺の疑問に対し、シルルはニヤリと口の端を釣り上げながら一冊の本を取り出す。質は悪いけどあの薄さ……明らかに知っているとしか言いようのない物にしか見えない。


「拙はこうなる前は同人作家だったナリ。布教活動のつもりだったでござるが思いの外売れて儲かっているナリよ。これその中のほんの一部故」

「マジかよ……」


 確かにこの世界に娯楽ってモンが少ない事は知ってるが、さすがにBLがこれほどまでに売れるとは思わなんだ。しかも白金貨5000がほんの一部とか……このままだと俺がこれから出会うかもしれない美女がすでに腐っている可能性が出て来る。というか既に出会っていたかもしれないと考えると、他人の趣味にとやかく口を出すのは駄目だと分かってるから、肩をがっくりと落とすしかなくなる。

 せめてアニーは違くあってくれと願うばかりだ。もう1人は趣味が判明してるから問題ない。

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