#116 外堀から埋めていく
「え……」
「ん?」
ひと風呂浴びて気分よく浴室から出た俺の目の前に、何故か紺のスクール水着を着ている俺より少しだけ年上そうで素朴な感じの可愛らしい少女が立っているではないか。まぁ〈万能感知〉を使ってたんで知ってはいたけどな。
「も、もう上がられるのですか。お風呂はお気に召しませんでしたか?」
「洗う所は洗ったし、より汚れてる男連中待たせるのも悪いからな。それよりもあんたは何をしに来たんだ? というか誰なんだ?」
「こ、これは紹介が遅れて申し訳ございません。わたしはノーナ。この屋敷のメイドでございます。訪れた理由はお客様の背中を流すようにメイド長より仰せつかって来たのですが……」
「もう上がってるからなぁ」
「ではお体を拭かせていただきます」
「……じゃあ頼むわ」
別に断っても良かったんだが、この娘には色々と聞きたい事が出来てしまった。端的に言えば当然水着の事だ。
パッと見た感じで言えばちゃんと伸縮素材が使われてるっぽいし、なにより控えめな胸の部分にこっちの世界の文字でちゃんとノーナと書かれている。これは明らかにわかってやっている人間――いわゆるこっちの世界の人間がやったという証拠。道理で風呂の設備が充実している訳だ。
これで年相応の手土産でもくれてやれば、相手も快くリエナを俺に売ってくれるかもしれない。あっちの世界と比べると、この世界は不満が大きすぎるからな。すぐに食いつくだろう。
「では……失礼します」
「おう」
おっかなびっくりといった様子でごわごわのボディタオルで背中を拭き始める。欲を言えばもう少し力を込めてもらいたいんだけども、こういう場合。それを指摘すると後で主人に怒られると勘違いして、想像していた以上にガシガシやられても困るだけなんで黙っとく。
「い、いかがですか?」
「悪くないよ。それよりもノーナの主人とやらについて少し聞きたいな」
「申し訳ありませんが、ご主人様に関する情報は一切口にしてはいけないとの契約が結ばれておりますので」
「なるほど。じゃあご主人様は優しいか?」
「はい。わたしのような学のない奴隷であっても分け隔てなく接してくださいますし、お給料もいただけて無償でお食事まで用意されるなんて、今まででは考えられませんでした」
「ふーん。それはいい主人に買われたもんだな」
「はいっ♪ とても優しいご主人様です」
どうやらノーナの主人である転移・転生者は今まで出会ってきた奴の中ではまともな部類に入るみたいだな。あくまで一方からの情報しか聞いていないから何とも言い難いが、これだけの屋敷を持つまでに商売を成功させていれば問題はないだろう。
「それでは次にお着替えを――」
「さすがに下着は自分でやるから手出し無用」
こればっかりはさすがに遠慮させてもらった。いくら何でもそれはもはや子ども扱いだからな。こちとら34のおっさん。それが10代に入ったばっかっぽい少女にやらせるのは男として大切な何かを失うような気がしたからな。
そんな訳で、最後まで手出しをさせずに着替えを終えた俺は、男連中の部屋に寄って上がった旨を知らせてから宛がわれた自室で、飯の時間になるまで横になる事にした。
「うーん。い草のいい匂いがするなぁ」
どうやらこの世界にもい草があったみたいで、客間のいくつかが畳に布団。ちゃぶ台の上にはなんと饅頭に緑茶まで用意され、着替えも浴衣だった。これはまさに旅館と言う他ないな。
「……お客様はタタミをご存じなのですか?」
「ああ。知り合いに一度使わせてもらってな。旅にこんなモンを持って歩く変わりもんだが、一度使って分かる。なんていうのかねぇ……ぐーたらしたくなるんだよ」
そう言いながら饅頭をもぐもぐ。本来であれば風呂に入る前に食べる事に意味があるから置いてあると聞いた事があるけど、1日風呂に入っていないという事と比べれば問題ないだろう。病気か何かになるんだとしても、そこは〈万能耐性〉があればインフルだろうがガンだろうが無問題って訳で、飯の時間まで堂々とゴロゴロタイムだ。
「……」
「ところでノーナ。なんでここに居るんだ?」
特に気にもせずにぐーたらゴロゴロしていた訳だけど、さすがにいる理由が気になって来た。
その性格を考えれば、仕事をサボりたいからなんて俺みたいな理由な訳じゃなさそうだし、かといって饅頭を食ったりお茶を飲む際にも動く様子がなかったので仕事なのかと聞かれると疑問が残る。だから問いかけるしかない。別に堂々と殺しに来たって感じでもなさそうだしな。
「わたしはお客様の雑用を受ける為に待機しております」
「ふーん。でもさ、そう言うのって普通は外だったりしないか?」
「……あっ!?」
なるほど。どうやら気付いてなかったという訳か。客を相手にするのが初めてか? まぁこの際はどうでもいいか。逃げるように慌てて出て行ったその背中に追い打ちをかけるのもなんだし、ここは飯に起こしに来るまで少しねむ……ぐぅ。
――――――――――
「――の。あのっ」
ゆらりゆらりと揺れる感覚に目を開けてみると、少しだけ困り顔をしたノーナがそこに居た。
「んが? なに?」
「お食事の時間です」
「もうそんな時間か……今日のメニューはなんだ?」
「えと……赤毛猪の香草焼き。具だくさんのスープ。白パン。新鮮野菜のサラダです」
「じゃあ行くとしますかね」
まぁ……さすがに日本料理が出て来るとは微塵も思ってなかったから別にいいんだけどサ。ここまで立派な旅館風を演出したんなら、せめてお米くらいは食いたかったな。
後でおにぎりでも食うかとか考えながら通された部屋には、既にいつもの面々が椅子に座っていて、上座にあたる出入り口から一番遠い席には、ここの主人であろうダンディズム溢れ出しまくってるナイスミドルが居た訳だが、髪は赤茶けた金で鋭い眼球碧眼はどっからどう見ても日本人じゃない。俺が言えた義理じゃないがな。
「お目覚めですかな」
「どのくらい寝たか知らんけどね。あのタタミにこの服はあんたの趣味か?」
ついうっかりタメ口で話したせいで、そばに仕えるメイドや執事。〈疾駆する者〉やおっさん。果ては一応気配を絶っている陰の護衛的な連中までもが動揺や殺気の反応を示したが、当の本人は気にした様子がなかったのが救いかね。
「いや。どちらも初代であるタロウ・キョウト様のご趣味だ」
「……ちなみにあんたで何代目だ?」
「7代目で、アドバルド・キョウト子爵と名乗らせてもらっている」
「そうかい。なら勘違いだ」
さすがに7代ともなると生きてはいないだろう。勇者以外の奴に会えるかもと期待したが、残念だ。そして名前を聞く限り、こいつがリエナを買った貴族ではない事も明らかになった。
ガッカリした気持ちのままとりあえず席に着くと、アドバルドの合図とともにメイドや執事が一斉に動き出してそれぞれの前にワイン(俺には所謂ジュース)が置かれ、乾杯となった。
料理も、これだけの規模のコックともなると腕前がいいのか素材がいいのかはたまた両方か。とにかく。この世界の基準に置き換えると十分に美味いレベルの味付けと言えるな。
肉に使われているソースは骨髄や野菜クズなどから取ったものが使われているし、サラダに使われている野菜もドレッシングも新鮮その物。スープだって濃厚な肉の味と野菜の旨味が十分に溶け込んで俺の舌を満足させてくれる。さすが日本人を先祖に持つだけあるって事か。
「ところでアスカさん……だったかね。バディから話を聞いたが随分と助けられたようで。金爵様に代って礼を。ありがとうございます」
「そんな事はない。いつも通りの事を淡々とこなしただけだ。礼を言われるほどの事じゃない」
あの程度の事。助けたなんて微塵も思っちゃいない。単純に俺の旅の邪魔をされると困るからでしかない。動かず移動出来る馬車はこの世界では貴重だからな。はぁ……早く車作りたいなぁ。
「それでも言わせてくれ。君がいなければ積み荷のほとんどが駄目になっていたと聞いている。何かしらの礼をしたいのだが」
「だったらウラグストクって奴に便宜を図ってくれ。今運んでる奴隷を譲ってほしいと」
「奴隷か? だったらシュエイに知り合いの奴隷商が――」
「俺はリエナがいいんだ」
奴隷商は奴隷商で気が向いたら行ってもいいかもしれんけど、リエナはこの瞬間を逃すと手に入れるのが難しくなる。不可能になる訳じゃないけど、途方もない時間がかかりそうなので今すぐがいい。
「……分かった。君の要望通りに一筆認めるが、私が願い出たところで絶対にその奴隷が手に入るとは考えないでくれよ」
「大丈夫だ。渡りさえつけてくれたら後はこっちで好きにやる」
別に今すぐリエナが欲しいって訳じゃない。あっちにはあっちの事情があって奴隷になり、それを何とかするまでは絶対に俺と一緒には来てくれないだろう。だから事前に顔を覚えてもらって、その用事が済んだら最優先で売ってもらえるように手配出来ればそれでいい。
あとはある程度の肉体の欠損があろうがエリクサーでどうとでもなるし、どれだけ金額を吹っ掛けられようが国がまるまる買える程の額を前に抵抗は難しいだろう。
結局のところ、それに近づくだけの方法があれば十分で、その第一歩として子爵の一筆は十分に効力を発揮するはずだと思う。




