第二十章『墓標(二)』
玄狼の頭上を取った龍珠は無防備な急所『百会』めがけて『玄冥氷掌』を打ち下ろした。
————死を覚悟した玄狼は眼を閉じて、その時を待った。
しかし、いつまで経っても衝撃を感じることは無く、不思議に思った玄狼は静かに眼を開けた。すると、開けた視界の中に龍珠が立ち尽くしているのが見えた。
「……何のつもりだ。俺に情けを掛けようとでも言うのか……!」
「…………」
静かな口調の中にも玄狼の怒りの感情が込められていたが、龍珠は無言を貫き、その表情も龍面によって窺い知ることは出来ない。
「答えろ、龍珠!」
「————がない……」
「何……?」
玄狼が訊き返すと、龍珠が声を荒げた。
「————師兄に手を掛けられるわけがないでしょう!」
「…………俺はお前の仇の一人なんだぞ……?」
「そんなことは分かってますよ! でも、あなたは俺の兄弟子で、俺の命を救ってくれた……‼︎」
「……言っただろう、あれはお前を利用するためだったと……」
「————違う! あなたはそんな人じゃない!」
「…………」
声を荒げる龍珠に対して、玄狼は再び肩を震わせた。
「相変わらず甘っちょろい奴だな、お前は……!」
「師兄……!」
「……言ったはずだ。そんなザマでは、崔玄舟を倒すことなど出来はしないとな————‼︎」
「————ッ!」
言葉の終わりと共に玄狼は右腕を振り上げ突き出した。反応が遅れた龍珠は急いで腕を上げるも、玄狼の手刀はズブリと音を立てて肉体を刺し貫いた————。
「————玄狼師兄ッ‼︎」
龍面越しの瞳に映ったのは、己が胸に手刀を突き立てた玄狼の姿であった。
「……ゴブッ!」
「師兄ッ‼︎」
龍珠はくずおれる玄狼を抱きかかえ止血の経血を突いたが、胸の傷は余りにも深く、鮮血は溢れ出ることを止めない。
「————師兄! しっかりして下さい!」
「…………うるさい、奴だ……、耳元で怒鳴らなくとも、聞こえて、いる……」
「どうして、こんな真似を!」
「俺は……お前に、敗れた……。けじめは、着けなければ……な」
「…………だからと言って……、こんな……っ」
龍面の隙間から二筋の滴が流れ落ち、玄狼の頬を濡らした。
「……玄龍だった頃の、お前なら……俺のために涙を流すことも、なかっただろうな…………」
「…………師兄、本当は俺を捕らえる気なんて無かったんですね……?」
涙ながらに龍珠が言うと、玄狼は小さくうなずいた。
「…………そうだ。俺は、五年前のあの日から……強く成長したお前と、この命を懸けて、立ち合ってみたかった……!」
「…………でも、こんなことって……ッ」
「いいんだ……。奴の……、崔玄舟の手に掛かる、くらいなら……俺は……自ら、幕を引きたい…………」
玄狼の顔からはもはや精気は感じられず、その声も段々と力を失っていった。兄弟子に残された時間は残り僅かだと悟った龍珠は、ますます激しく肩を震わせる。
「……もう、泣くな……。崔玄舟を倒したい……のなら、甘さは捨てろ…………」
「————嫌だ! 師兄のために泣くことも許されないのが強さだって言うのなら、そんなもの俺はいらない‼︎」
龍珠は龍面に手を掛けて叫んだ。ぐしゃぐしゃの泣き顔が龍面の下から現れる。そんな弟弟子の様子を虚ろな眼で見ていた玄狼は、ゆっくりと懐に手を差し入れた。
「……コレを持っていけ……。俺には……もう、無用な物だ……」
「……師兄……!」
玄狼の手には『陽丹丸』の小袋があった。
「受け取れません……!」
「いいから、持っていけ……。俺からの……、最期の餞別、だ…………」
「でも————」
玄狼は最後の力を振り絞って、なおも固辞する龍珠の胸に陽丹丸を押し付けた。思わず龍珠が手を伸ばすと、玄狼は満足そうな笑みを浮かべる。
「さあ……、もう行け……。玄豹が先に……行っている、のだろう…………」
「————師兄、あなたの本当の名を教えてください」
「…………何……⁉︎」
眉根を寄せて訊き返した玄狼だったが、すぐに何かを察したように首を振った。
「俺に……、墓標など……必要、ない…………」
「師兄……!」
「……名もなき……狼が死に、土に還る……だけ————」
それきり玄狼の声は途切れ、その瞳からは永遠に光が失われた。
「————玄狼師兄ッ‼︎」
兄弟子の亡骸をかき抱いて龍珠は声の限りに叫んだ————。
————戻ってきた正剛が目撃したのは、龍珠の腕の中で横たわる玄狼の姿であった。
「龍珠、お前————」
言葉の途中で正剛は玄狼の腕が血塗れになっていることに気付き、全てを察した。
「…………柳兄、玄貂は……?」
「……深傷は負わせたが、逃げられてしまった……」
「そうですか……」
「————奴が落としていった物だ」
正剛が差し出した小袋の中には赤黒い丸薬が詰まっていた。正剛に胸を貫かれた玄貂は懐から陽丹丸と張迅雄と林秀芳、そして正剛の青龍牌を落としていったのである。
「俺にはよく分からんが、お前には必要な物なんじゃないのか」
「……ありがとうございます」
陽丹丸を龍珠に渡すと、正剛は複雑な表情で物言わぬ玄狼を見つめた。
「……埋葬するのなら、手伝おう」
「…………いえ、俺がやります……!」
虚空を見つめていた龍珠は玄狼の亡骸を抱えて立ち上がった。
「……軽いなあ……。師兄、あなたの身体はこんなにも軽かったんですね…………」
————道の脇に一つの土饅頭が出来上がり、龍珠は玄狼から受け取った陽丹丸を墓前に供えた。
(師兄……、やっぱりコレはあなたの物です。安らかにお眠りください……)
感謝するように叩頭した後、龍珠はゆっくりと立ち上がった。
「……柳兄、行きましょう」
「ああ」
決意を新たにした龍珠は再び『氷鏡廊』へと向かって歩き出し、正剛も黙ってその後に続く。
その時————、
『————ウオォォォンンン————…………』
龍珠の無事を祈るように、どこからともなく狼の遠吠えが響いてきた————。
———— 第二十一章に続く ————




