第二十章『墓標(一)』
勝利を確信していた玄狼は驚愕の表情を浮かべていたが、やがて落ち着きを取り戻した様子でようやく腕を下ろした。
「……龍珠……、今の技は何だ……?」
「『敖光洞』を出た後、縁あって朱雀派の門人の方から御指南いただきました」
「————そうか、噂に聞く朱雀派の軽功だな……?」
「…………」
龍珠は無言でうなずいた。
朱子雀から朱雀派の絶技『軽氣功』の基礎を教わった龍珠だったが、もっぱら移動のために用いており、防御技とは看做していなかった。
しかし玄狼に追い詰められたことで、期せずして防御技としての側面に気付くことが出来たのである。
「なるほど。軽功とは言うが、そんな使い方もあるということか……」
「開眼できたのは師兄のお陰です」
「……フッ、敵に塩を送るとは正にこのことだな」
「師兄、今のは————」
龍珠が口を開くと、玄狼が手を伸ばして二の句を押し留めた。
「分かっている。お前が当て擦るようなことを言うはずがないのはな」
「…………」
龍珠は眼を伏せて感謝の意を示した。
「————しかし、決着は着けなければな」
「師兄、本当に俺たちはこんなことをしなければならないのですか……?」
「……今更何を言う……」
「俺も凛明姉さんも望んで崔玄舟の弟子になった訳じゃありません。玄狼師兄もそうではないのですか……?」
「…………」
「師兄、今からでも遅くありません。俺と一緒に崔玄舟を————」
龍珠が懇願した時、うつむいていた玄狼が肩を小刻みに振るわせた。
「師兄……?」
「……クックック、まだそんな腑抜けたことを言っているのか……!」
顔を上げた玄狼は眼を見開き、龍珠が今まで見たこともないような凶悪な笑みを浮かべていた。
「腕は立っても、やはり所詮はガキだな。お前は……!」
「師兄……!」
「……教えてやろう。俺が玄豹とお前を助けるよう奴に進言したのは、いつかお前らが何かの役に立つと考えたからに過ぎん」
「……嘘だ……!」
「嘘なものか。実際お前は青龍派を強請るネタとして、これから俺の役に立つことになる」
「————嘘を言うなッ!」
感情を爆発させた龍珠の眼が仄かに金色に染まった。
「……言葉を交わすのは終わりだ。まだ何か言いたいのなら、掌で語れ……!」
無表情に戻った玄狼の両腕が『寒氷真氣』を帯び出した。打撃技に滅法強い軽氣功と言えど、魔技『玄冥氷掌』の前には何の障壁にもならないだろう。
龍珠は兄弟子の説得が叶わずしばし両眼をつむっていたが、数秒の後、覚悟を決めたように眼を開けると懐から龍面を取り出し装着した。
「……何のつもりだ。俺が目線や表情から、お前の動きを読んでいたとでも思っているのか?」
「…………参ります」
龍珠は玄狼の言葉には答えず、地面を蹴った。
(……馬鹿め、また正面から向かって来るとは————)
龍珠の動きを読んでいた玄狼は何の工夫も無く向かって来る弟弟子に失望の念を禁じ得なかったが、次の瞬間にはその感情は打ち払われた。
(————この動きは……‼︎)
腕が届く間合いまで接近した龍珠の歩法が突然、様変わりしたのである。
朱雀派の軽氣功と玄冥派の歩法が渾然となった龍珠の動きは、まるで風に舞う羽のように軌道が読みづらいものへと昇華していた。
足を踏むほど接近したかと思えば、次の瞬間にはあらぬ方向へと移動している。しかも、それは無理のある動きではなく自然と滑らかなものであり、一つとして同じ動作は無い。鍛錬によって身体に染み込ませた歩法ではないことは明白であった。
それが故に、同門の玄狼は大いに揺さぶられた。
(……奴の動きを追っては駄目だ。攻撃の際には必ず隙が生まれる。こちらから仕掛けるのではなく、迎え撃つのだ……!)
玄狼は乱れた氣を落ち着け、木の葉のように舞い踊る龍珠を眼で追うことを止めた。その間にも龍珠は背後へと位置取っていたが、玄狼はやはり動かない。
常人であれば重圧と恐怖に耐え切れず恐る恐る振り向いてしまうものだが、玄狼は獲物を捕捉した孤狼のようにじっと息を潜めていた。その心臓の鼓動は普段と何ら変わりなく、汗ひとつかいていない。
————永遠とも思える刻が流れる中、玄狼は首筋に冷氣を感じ取った。
(————今だッ‼︎)
阿修羅のように玄狼が振り向いた時、その眼に玄冥氷掌を放つ龍珠の姿が映った。
(————捉えたッ! 一拍遅れても腕の長い俺の掌が先に届くッ‼︎)
その推量に過たず、迎え撃った玄狼の玄冥氷掌が先に龍珠の胸に届く————が、龍珠の身体は凄まじい掌風に煽られ、瞬時に玄狼の頭上へと浮き上がった。その姿はまるで、嵐の上空を悠然と舞い飛ぶ飛龍のようであった。
「なッ————」
「————師兄、これで終わりです…………」
龍珠は眼を伏せて、頭頂部の急所『百会』へと玄冥氷掌を打ち下ろした————。




