ボートン茶会事件 後編
マチューセツ州ボートンの港付近 某所 屋上
Aランク冒険者の大鷲はライフルで鼬の脳天に最後の一撃を加えた。鼬は何もできず、天を仰ぐかのように倒れる。その顔は屈辱を味わった無力な男の顔だった。
一仕事を終えた大鷲は煙草に火をつける。屋上にいるのに風は穏やかだ。港の様子を見ると、しっかりと船に侵入できたようだった。山嵐の姿も見えない。
今回の作戦は囮組と突入組に分かれて行われた。こちら側に呼応した衛兵が倉庫の一区画を爆破して港の出入り口を塞ぐ。囮組が騒ぎを起こし、応援に駆けつけてきた衛兵や連合王国兵の足止めをする。その隙に別口から突入組が船へと向かい、積荷である茶箱を海に投げ捨てる。
ボートン港をティー・ポットにする。そうすることで連合王国に植民地が茶法に反発していることをアピールする。みんなにはそう言って今回の襲撃を説明した。しかし大鷲には違う思惑があった。紅茶に染まった海を合図に連合王国に宣戦布告する。
しかし、と大鷲はフードを深く被りなおす。開戦の引き金にならない、という可能性も大鷲は捨てていない。今回の作戦で被害を被るのは連合王国貿易会社と連合王国の冒険者ギルドだろう。大幅な金額的損失やAランク冒険者二人の損失は大きいが、連合王国が妥協して宥和策を取る可能性も否定できなかった。少なくとも、煮え切らない植民地議会を後押しできればいい。大鷲は本作戦をそのように考えていた。
そのように考えていると、目下でボートンの衛兵と連合王国の兵士が集まってきたのが見えた。
「ようやくか」
大鷲はそう呟く。正直、予想よりも遅い到着だった。どうやら衛兵の方は乗り気ではなかったようだ。連合王国の兵士を指揮する指揮官が衛兵に対し、何か怒鳴っているが、衛兵長は馬耳東風の顔をしている。
なるほど、と大鷲は察する。
「じゃあ、サービスしますかね」
そう言って、大鷲はライフルを構え直した。
マチューセツ州ボートンの港 連合王国貿易会社 貿易船
連合王国貿易会社の所有する船には本来誰かしらが見張りをしている。しかし、今この船で自由に動ける見張りは誰一人として存在していなかった。全員が甲板に縛られ放置されていた。
「急げ!時間がない!」
リザードマンの民族衣装を着た冒険者の一人が茶箱を海に捨てている。
「数が多すぎる・・・全部は無理だろう・・・」
その声に、冒険者の一人が首を横に振る。
「中途半端では今回の襲撃の意味がなくなってしまう!」
今回の襲撃は茶法撤廃が一番の目的だ。中途半端なアピールでは単なる襲撃として処理されてしまう。
「そういえばリーダーはどこに行った?」
「あの女のところだろ?」
今この船で自由に動ける人間は必死になって茶箱を海に捨てている冒険者と呑気に紅茶を入れている滑稽顔のみだった。
「いい加減にしろ!」
突入組のリーダーをつとめていた男が滑稽顔に噛み付く。滑稽顔は船長室で手に入れたカップに紅茶を注ぎ、香りを楽しんでいる。それを見ていた男のこめかみに青筋が立つ。
「お前も手伝え!」
「なんで?」
滑稽顔は紅茶にジャムを入れる。
「大鷲から言われたのは山嵐か鼬もしくは両方の始末。その状況によって報酬が変わるというもの。今回は山嵐だけだから依頼料は当初と変わらず。今やってる荷下しは完全にサービス対象外さ」
そう言って、紅茶をスプーンでかき混ぜる。ジャムの柑橘系の匂いが紅茶の香りと合わさる。滑稽顔はマスクを外す。上品で作り物のような桜色の唇がマスクから解き放たれ、カップにその唇をつける。一連の貴族のような動作に冒険者は一瞬だけ見惚れたものの、すぐに我に返り思案する。
「・・・金を出せばやってくれるんだな」
「・・・続けて」
滑稽顔の顔つきが変わる。
「俺は突入組を任されていて、大鷲からある程度の裁量権をもらっている」
滑稽顔はその無機質な目を冒険者に向ける。ここで下手を打てば殺される。冒険者は覚悟を決める。
「予算内であれば、お前に追加報酬を出せるそうだ」
滑稽顔は手に持った紅茶を一気に飲み干した。マスクを付ける。
「わかった。ビジネスの話をしよう」
マチューセツ州ボートンの港 埠頭
茶箱を海に捨てていた冒険者たちは、突入組のリーダーから船を降りるよう指示が出される。拘束した船の見張りも一緒に下ろせ、との指示に冒険者たちは首を傾げる。
全員が船から降りたことを確認したリーダーは「やってくれ!」と叫ぶと、甲板にあのイかれ女が立っているのを発見した。
リーダーの合図に滑稽顔は手をあげて返す。いったい何をするんだ、と冒険者たちは成り行きを見守る。
甲板にいた女の姿が消えた。
それと同時に雷が近くで落ちたかのような破裂音が冒険者たちを襲う。
目の前の船が悲鳴をあげながら、真っ二つに割れていく。
冒険者たちは目の前の光景が信じられなかった。あんなに大きかった船が真ん中で真っ二つに割れるなんて。原因は何だ。
冒険者たちはすがるような目でリーダーを見つめる。リーダーもまた同じような目をしていた。リーダーに、「実は爆薬を仕込んでいたんだ」と言ってくれた方がまだ現実味があった。
こんな馬鹿げたことを一人の冒険者が起こしたなんて。あの女は錆びた槍の石突を蹴って、杭打ちのように船の真ん中をぶち破りやがった。
真っ二つになった船から一人の女が飛び降りてきた。冒険者たちは遠巻きからその様子を見つめている。
「随分と頑張ってくれたみたいだな」
大鷲が煙草を吸いながら近づいてくる。
「大鷲か」
そう言いながら滑稽顔は大鷲に顔を向ける。大鷲は「急いで離れるように」と周りの冒険者たちに告げると滑稽顔の横に来た。
「浮かない顔をしているな」
「・・・わかる?」
この男はなぜ自分の心がわかるのか。一瞬間が空くが、滑稽顔は返事をしてやる。
「私も冒険者歴は長い。いろんな冒険者がいた。お前の顔はしこりが残るやり方で依頼を成功させた顔をしている」
大鷲はそう分析する。
「わからない」
滑稽顔は短く答える。今回の依頼は報酬が良かった。おまけに臨時報酬も出る。あの男のようにお金がもらえればやりたいことができるだろう。
・・・でもやりたいことって何?
痛みで叫ぶ男の顔を見に行った。あの男のように苦しむ者の顔を見ていれば心が満たされるだろう。
・・・でも心に残ったのは切なさと虚しさだった。
滑稽顔はまだ自分のやりたいことがわかっていなかった。
「なんだ!?どうして!?」
総督補佐は目の前の光景が信じられなかった。自国の船が真っ二つになっているなんて総督に報告しても信じてもらえるだろうか。それよりも自国の船を守れなかった自身に責任が行くこと、これが一番許せなかった。
「許せん・・・許せんぞ・・・」
総督補佐の瞳が仄暗く光った。
翌朝、ボートンの住人は昨夜の騒ぎがあった港の方に集まっていた。そこには真っ二つになった連合王国の貨物船が横たわり、赤く染まった海がボートンの港を侵している光景だった。
その日、ボートンは気味の悪い風が吹き続けていた。