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爾、戒めよ  作者: 子志
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其の二

 (しん)は中原全体からみれば西寄りに位置する国であるが、一方東方の雄はといえば、(せい)の国である。

 紀元前589年、この二つの国、晋と斉とで戦になった。


 斉に攻められた魯と衛が、晋に救援を求めてきたことが直接の原因である。

 しかし、この戦の遠因の一つに、晋の宰相である郤克の怒りがあったことは否定できまい。


 一軍を率いて戦場へ向かうことになった息子、士燮を見送ってから、士会は溜息を吐いた。そもそも、士会が郤克に宰相の位を譲ったのは、郤克が斉に対して抱いた怒りを宥め、無用の争いを避ける為であった。



 郤克が斉へ使いに行った時のことである。


 実は郤克は容姿がよくない。体にちょっとした障害があり、常人と同じように歩くことができず、奇妙な足運びになってしまうのだった。それを、斉の君主頃公の母である蕭同叔子(しょうどうしゅくし)が、盗み見て笑い物にしたのである。

 当然、郤克は激怒した。

 他国からの正式な使者を、几帳の陰から盗み見てその外貌を笑うなど、無礼にもほどがある。


 郤克は憤然と帰国し、再三斉への出兵を願い出たが、許可されなかった。

 発散されなかった怒りは、時に計り知れない事態を引き起こす。何かちょっとしたきっかけで、大乱に繋がる暴走を誘発しかねない。

 それを心配した士会は、宰相という最高職を郤克に与えることで、その鬱屈した気分を散らそうと考えた。


「よいか、燮よ」

 郤克に職を譲る直前、士会は士燮に諭した。

「人の怒りを買えば、必ず悪いめにあうと聞く。郤氏の怒りは生半なものではなく、斉に対して発散できないとなれば晋の国内にぶつけるしかない。政権を握る事以外にこの怒りを紛らわせることはあるまい。私は宰相の職を郤氏に譲ることでその怒りを紛らわそうと思う。お前は周囲の重臣方の言う事をよく聴いて、君公の命令に従い、敬いの心を忘れるな」


 そうして、士会は引退したのである。



 それから約三年。結局、郤克は斉にその怒りをぶつけることになった。


 ――仕方のないことか。

 首を振った士会は、戦場へ向かった息子の無事を静かに祈った。


 結果的に、晋は斉に大勝した。

 軍が帰還する日、士会も群衆に混じって軍を出迎えた。


 士会とて人の親である。息子が無事に帰って来たのか、やきもきしながら待った。


 最初に凱旋したのは、郤克の率いる一軍である。士燮は遅い。何かあったかと、士会は気が気ではなかった。

 郤克の一軍が全て城内に入ってしまってから、ようやっと士燮が無事な姿を見せる。士会はほっと胸をなでおろした。


「燮よ」

 帰宅した士燮に、士会は憮然と言った。

「お前は私がどれだけお前の帰りを待ち望んで心配したかわかるか。随分遅かったではないか」

 すると、士燮はちょっと目を瞬かせてから、ふわりと笑った。

「この度の戦、指揮をおとりになったのは郤氏です。結果は勝利でした。もしも私が先に帰還してしまうと、私に注目が集まる事になります。私が指揮をとったわけでもないのですから、そういうわけにはいかないでしょう。それで、遅れて帰還したのです。御心配をおかけして申し訳ありません」


 士会の胸中に、感動が湧いた。

 士会が繰り返し口にしてきた、へりくだり人の怨みを買わないようにすること、それを、ちゃんと士燮は学びとっていたのである。士会はそっと眦を押さえた。

「我が家は災いを免れるであろう……今、わかった」

 それを聞いた士燮は、数秒父を凝視してから、破顔した。


 高く、抜けるような青空を、風が吹きわたって行く。士会はゆっくりと目を閉じ、その風を感じていた。


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