三神噺.二人目の赫職
「何をそわそわしておる。もっと堂々とせぬか」
面談を終え、NBSLを後にした隼斗はビルを出た瞬間から、もとい、創生応接室を出た後から、周囲を警戒するように仕舞った通帳を庇うようによそよそしい歩き方で、傍から見れば挙動不審だった。
「そ、そんなこと言われてもな・・・・・・」
生れてこのかた手にしたことのない大金を詰め込まれた一冊の通帳。隼斗にとっては、それは大金を抱えて歩くことよりも重たいものだった。
「その歩き方のほうが、かえって不審ぞ」
呆れたように稲浪が後方を歩いていた隼斗の腕に自分の腕を組ませる。腰の引けた歩き方だった隼斗の背筋が伸びた。それでも隼斗の方が頭一つ分ほど身長が高いため、腕を組んで歩く恋人と言うよりも、病人を抱えている看護人のような構図だった。
「それにしても、稲浪」
「なんじゃ?」
稲浪の温もりに落ち着きを取り戻した隼斗が腕を組んだまま駅へと歩く。
「あの人って、何者なんだ? NBSLの所長だったり、稲浪はマスターって呼んでたよな?」
「先に、あやつが言うておった通りじゃ。NBSLの所長であり、我ら神子の産みの親じゃ。本人は神だとか抜かしておるが、誰も信じてはおらぬ。新神話の創生については、我らもその全貌を聞かされてはおらぬ故知らぬ。じゃが、役割は把握した」
稲浪が満足げに、凛々しく微笑む。赫職の申請だと言うことで二人で出向いたが、それらしいことは何一つすることなく、所長である大郎の話を聞かされただけでお開きになったが、それでも稲浪は改めて自分の役割を把握し、隼斗もまた空想世界が現実に起こったことを受け入れようとなかなかしていなかったが、大郎や稲浪の話を信じる他なくこの件から逃れることも出来なくなり、徐々に現実を受け入れていた。もとい、今はそんなことよりも、一刻も早く家に帰りたいようでもあった。
「俺、何をすれば良いんだろうな・・・・・・」
「何を言うか。隼斗には我を御する役割があるではないか。我を使役することが汝の務ぞ」
青い瞳が隼斗を捉える。そこには全幅の信頼を寄せる稲浪の思いが込められているようだった。
「先のことを案ずる必要はない。我は最強なる青き炎の神子。我を使役することを誇りに思うて良い」
隼斗には、稲浪の何事も恐れない不屈の自信が一体何処から来るのかは分からないが、それでも、その勇ましいほどの凛々しさが、これから先何が起こるか分からない事態に遭遇しても、稲浪がいてくれればと思う安堵感と、改めて見る稲浪の美しさに胸が高鳴るのを感じていた。
「ま、まぁ、そんな対したことじゃないだろうし、とりあえずは飯のことを考えるか」
大郎から受け取った、ある意味赫職としての契りを正式に認可させられたとも言える、通帳。大金を要するものへの使用は気が引けるが、食事程度のものなら、と隼斗が稲浪を見る。
「我は隼斗の作る夕餉が良い。汝の味は気に入った」
二言ほど前にドキッとさせられたにも拘らず、隼斗は再び言葉を失いかけた。外食よりも自分の料理のほうが良いと言われて、嫌になる人間はいないだろう。ましてや、好きかどうかはまだはっきりしてはいないが、気になっている人に言われたのであっては、それが男であろうと、嬉しくて笑いが漏れるのは至極全うなことなのだろう。
「何を笑ろうておるのじゃ?」
「いいや、何でも。じゃ、買い物して帰るか」
「うむ。楽しみにしておるぞ」
「少しは手伝ってくれても良いと思うんだけどな・・・・・・」
腕を組んだまま、二人は駅へと歩き、そのまま自宅へと帰路に就いていった。
「結構買い込んだな」
「これだけあれば十分じゃ」
買い物に立ち寄ったスーパーで、稲浪が隼斗にリクエストをしたため、その材料と買い置きがなかったシャンプーや洗剤に加え、稲浪がこれから同居するとなり、それに必要なものを稲浪が籠にいれ普段なら籠一つで十分に足りる買い物が、結局籠二個分で納まり、隼斗の手には二つ、稲浪が一つを手にしてスーパーを後にした。
「? 隼斗、そこで待っておれ。すぐ戻る」
「は? あ、おい、稲浪?」
突然稲浪が隼斗に買い物袋を預けて、帰路とは違う方へ歩いていく。突然のことに唖然と隼斗がその場に立ち尽くしていた。
「お主、どうしたのじゃ?」
稲浪が路上でオロオロと右往左往している女性の下へ歩み寄る。
「ひゃあっ!」
不意に目の前に現れた金髪美人の稲浪に、ビクッと全身に緊張が走ったように硬直する女性。その驚きように、稲浪も思わず一歩後に反れた。
「落ち着け。我は怪しい者ではない」
「ふぇ? あ、は、はい。す、すみません・・・・・・」
それほど離れていないため、隼斗が重たそうに買い物袋を提げながら、稲浪の所に歩いていく。
「それでどうしたのじゃ? 挙動不審な真似などしおって」
「あ、そ、その・・・・・・」
稲浪の気迫にでも押されたのか、それとも人付き合いが苦手なのか、おどおどと言いよどむ女性。
「稲浪の奴、何してんだ?」
遠くから見ている隼斗には、稲浪が女性にカツアゲでもしているように見えていた。
「そのでは分からん。ハッキリと物申さぬか」
「は、はいっ。ツーちゃんとはぐれちゃったんですっ」
稲浪の少々高圧とも思える口調にすっかり怯えている女性が、上官に叱咤され勢い良く謝罪する新兵のように、体を固くしながら言った。
「逸れ人か。良かろう、我が手伝おうではないか」
「へ? い、良いん、です、か?」
恐る恐る上目遣いで女性が稲浪を見る。背丈は互いにそれほど大差はないため、上目遣いには見えないが。
「良いと言うておる。何度も聞くでない」
「ご、ごめんなさいっ」
すっかり稲浪に萎縮している女性。それでも、その目は救いの蜘蛛の糸でも見つけたような輝きを見せていた。
「我は稲浪。汝、名は何と申すのじゃ?」
「あ、は、はい。ふ、藤川、こ、琴音です」
噛み噛みではあったが、素直に応える琴音。
「琴音か。それで、ツーちゃんとは誰ぞ?」
「稲浪、どうしたんだ? 急に先に行ったりして」
するとそこに、隼斗もやってくる。琴音が少しだけ緩めた緊張を再び全身に走らせる。
「逸れ人だそうじゃ。隼斗は先に戻って良い。我はツーちゃんとやらを探して帰る」
隼斗に先に帰って夕餉の支度を頼むぞ、と稲浪が言うが、
「逸れたのか。なら俺も手伝うよ」
隼斗が一人より二人のほうが早いしなと琴音を見るが、琴音は見知らぬ二人が目の前に現われたことにすっかり萎縮してしまい、恥ずかしそうに頬を紅潮させていた。
「この辺なら、俺のほうが詳しいし」
この辺りで逸れたってことは、どっかから来たってことだろう。琴音って言ってたっけ? この辺りは詳しく無さそうだしな。
「逸れ人なら、我一人でも問題ない。我は鼻が利くのじゃ」
「鼻? ・・・・・・ああ、なるほどね」
そう言えば、狐ってことはイヌ科だったな。それで稲浪も鼻が利くのか。
隼斗が首を傾げるが、すぐに何度か頷いていた。琴音が不思議そうに見てくるが、隼斗も稲浪も何も言わなかった。稲浪は掟を守っているようで、隼斗も先ほど聞かされた守秘義務を思い出したように、なんでもないと琴音に言うだけだった。
「えっと、それで琴音さん、でしたよね?」
「あ、は、はい」
「そのツーちゃん? って言うのは、どんな人ですか?」
どこか威圧感のある稲浪とは異なり、下出な物言いをする隼斗に、琴音が肩の力を抜く。
「ツーちゃんは、あの、その・・・・・・」
言い難そうに琴音が二人を見る。正直に話すべきかどうするか、心の葛藤をしているようだ。
「なら、どの辺で逸れたんですか?」
隼斗が言い難そうにしている琴音を見て質問を変えると、小さく首を縦に振った。
「私、今日この町に来たので、道が分からなくて、ツーちゃんが探しに行ってくれたんですけど、戻って来なくて・・・・・・」
俺はどこで逸れたかを聞いたんだけど、どういう聞き間違いをしたんだ? まぁ、この町に今日来たってことなら、この辺りで迷ってそのままなんだろうな。そのツーちゃんとらやも、琴音さんを探しているだろうから、探すのはそれほど難しくはないだろうし。
「琴音」
「は、はいっ!?」
不意に横から稲浪に呼ばれ、琴音がようやく落ち着いてきたのに、またガチガチになる。
「ツーちゃんとやらの匂いの残るものは持っておるか?」
「えっと、これで宜しければ・・・・・・」
可愛らしいハンカチを琴音が稲浪に手渡す。稲浪は受け取るとクンクンと匂いを嗅ぐように鼻を近づける。
「分かるのか?」
何となく予想はしたが、実際に稲浪が本当に鼻が利くのかどうか疑っている隼斗に稲浪が、うむ。と声を上げ、ハンカチを返す。
「こっちじゃ。ついて参れ」
稲浪が何かを感じ取ったように歩いていく。当惑している琴音と隼斗が一瞬顔を見合わせたが、稲浪に呼ばれ、その後をついていった。
「じゃあ、この辺りに、ですか?」
「は、はい。ここ、なんですけど、突然のことで、下見にも来る暇がなかったもので・・・・・・」
申し訳無さそうに琴音が隼斗に、引越し先の書かれた紙を見せる。二人の前で稲浪が軒先から漂う食欲をそそる香りを嗅ぐように、時折鼻を引くつかせ歩いていく。
「あぁ、ここですか。ここならすぐですよ」
「そうなんですか?」
隼斗に対しては、初めて来た町で初めて優しくしてくれた人=この人は親切で良い人。の定理でもあるように思い込んでいるのか、琴音は心を許したように力を抜いていた。
「俺もここの住人ですから」
「え、そうなんですか?」
「はい。ほら、あそこに見える左端のマンションですよ」
稲浪が歩いていく先には公園があり、その先に見える二棟の七階建てマンション。その一番左を隼斗が指差す。
「あそこ、ですか」
自分では長時間探しても見つからなかったのに、隼斗にほらあれ、と、自分がいた場所からそれほど離れていない所に簡単にあった目的地。あっさりと見つけられ、琴音は少々呆然とした表情を浮かべていた。
「ってか、隣ですよね?」
渡された紙に書かれている部屋番号。それは隼斗の部屋の隣の番号だった。
「えっ・・・・・・?」
何、この運命的なものは? 的な表情で隼斗を見る琴音。初めて来た町で、初めて優しくしてくれた人が自分の借りたマンションの部屋の隣人だった。そんな嘘みたいな状況に琴音は驚きと、助かった的な安堵の表情を浮かべていた。
「地図でも、すぐに分かると思いますけど?」
スーパーからそこの公園を通ってすぐそこ。言葉の説明ならそれで事足りるほど特に迷うようなところも何もない、平坦な道のり。地図を見ても分からないとなると、隼斗には思い当たることが一つだけあった。
「す、すみません。私、地図とかは苦手なもので・・・・・・」
申し訳無さそうに顔を伏せる琴音。隼斗が、やっぱりな、と苦笑した。
「でも、良かったですね。後は稲浪がツーちゃんを見つけてくれますよ」
「あ、はい。そうですね、わざわざどうもすみません」
こっちじゃ、と先を行く稲浪の様子を見る限り、適当に歩いている様子もないため、目的地も見つかり、後は時間の問題とでも思ったのか、琴音が嬉しそうに微笑んだ。
「袖摺りあうも多生の縁ってやつですよ、きっと」
元々は稲浪が勝手に動いたことだが、琴音も一安心といった具合で、尚且つ隼斗は稲浪が案外お節介のようなお人好しなのだと言う、出会いから少々キツイタイプかと思っていたが、そうではない新たな発見も出来て、悪い気はしなかった。
『あっ、いたっ!』
「この匂いは・・・・・・」
急に匂いが近くなったのか、公園内を歩いていた稲浪が立ち止った。
『琴音から離れろぉっ――!』
「ん? ・・・・・・うをっ!」
どこからともなく聞こえた声に隼斗が振り返ると、背後から衝撃が襲い、隼斗が十歩程先に立ち止った稲浪の所に吹き飛び、何かが空に舞い上がっていった。
「きゃっ!」
「隼斗っ!?」
琴音が身を縮め、稲浪が足元に買い物袋の中身を散乱させ倒れた隼斗に駆け寄る。
「・・・・・・ぃっつ〜〜。な、何だ?」
「隼斗、大丈夫かっ」
稲浪が周囲に警戒するように険しい表情をしながらも、隼斗が起き上がるのを補助する。
「あ、ああ。何とか。な、何が起きたんだ?」
「分からぬ。じゃが、神子の仕業じゃ」
背中を押さえながら立ち上がる隼斗に手を貸しながら稲浪が周囲を見回す。その目はとたんに鋭利さを増していた。だが、公園内には人気はなかった。
「隼斗さん、大丈夫ですか!?」
我を取り戻した琴音も隼斗に駆け寄り、支えるのを手助けする。
『ああっ!? 琴音っ!』
「上かっ」
叫ぶような琴音を呼ぶ声に、稲浪が空を見あげ、それに続くように痛みを堪えながら隼斗とそれを支える琴音が顔を上げる。
『お前、琴音から離れろっ!』
「う、浮いてる・・・・・・」
視界に入ったものに隼斗が絶句するように大きく目を見開いていた。
「ツーちゃん!?」
空に少年が浮いていた。それを見た琴音が、稲浪も隼斗も手伝っていた探し人の名前を空にいる少年に向かって口にした。
「なるほど。やはり神子であったか」
隼斗を襲ったのが、神子だと予想した稲浪の予感が的中したように、稲浪が微かに口の端を吊り上げた。まるで自分の赫職に手を出したことへの報復でもしようとしているようだ。
「お前、琴音から離れろっ!」
先ほどと同じことを隼斗に向かって言うツーちゃんと呼ばれている少年。隼斗が琴音に支えられているだけで、隼斗が琴音にはくっついているわけではないが、少年にはそう見えるのだろう。離れようとしない隼斗に向かって勢いをつけて飛んでくる。どうやら先ほど隼斗を突き飛ばした時と同じようだ。それを見て稲浪が、不敵な笑みを浮かべながら両手に青い焔を宿す。
「ツーちゃん! 止めなさいっ!」
先ほどまでオドオドしていた琴音が、少年に向かって大声で叱咤する。突然の琴音の大声に隼斗と稲浪が不意を突かれたように驚き、稲浪の手から焔が消える。そして、少年も宙空で止まる。先ほどまでの威勢は消え失せ、母親に叱られた子供のように怯えた目をしていた。
「ツーちゃん、降りてきなさい」
琴音の力強さを感じさせる、怒りを含んだ声に少年がゆっくりと地に降りる。
「琴音、さん・・・・・・?」
第一印象が強く焼きついた隼斗にしてみれば、場を一瞬で凍らせるような琴音の態度に
上手く言葉が出ず、ただ名前を呼ぶしかなかった。
「これをやったのは、ツーちゃんね?」
周囲に散乱してしまった、夕飯の食材や日常生活用品の数々。卵はほとんどが潰れ、黄身と白身がケースから漏れ、野菜や果物、肉や魚などのラップや袋も破れ、公園の土がべったりと付着していた。
「だ、だって、琴音が・・・・・・」
「言い訳はしないの。隼斗さんに謝りなさい」
「で、でもっ・・・・・・」
琴音が絡まれているのか襲われているとでも思ったのだろう。隼斗と稲浪が琴音と出会った時の琴音の態度を見ていれば、少年が琴音の身を案じることも理解出来る。そして、今は琴音から隼斗を引き離そうと必死になった。それだけなのだろうが、琴音にしてみれば右も左も分からない中で声を掛けてくれた少々古風な物言いと容姿にギャップのある稲浪と、優しく声を掛けてくれた隼斗に対して酷いことをしたと言う認識しかないのだろう。
「謝りなさい。下手をしたら大怪我をさせていたのよ」
強い口調の琴音に、稲浪も隼斗も呆気に取られていた。
「・・・・・・・・・ごめん、なさい」
縮こまった少年が隼斗に呟くように、そう言った。今にも泣き出しそうな表情だった。
「あ、いや、俺は大したことないから、良いよ」
「本当に申し訳ありません」
少年が謝ると、琴音が隼斗から一歩離れ、深々と頭を下げる。
「あ、いえ、そんな。頭を上げて下さい。俺はほんとに大丈夫ですから」
何度も少年の変わりに謝罪する琴音に、隼斗がかえって恐縮する。
「まるで悪戯小僧と、その母君のようじゃな」
ペコペコと頭を下げる琴音と、叱責され落ち込む少年を見て、稲浪が失笑を浮かべていた。
「これはお詫びいたしますから」
「いや、いいですよ。そんなことまでしてもらわなくても大丈夫なんで」
しばらくは琴音と隼斗の頭を下げる、上げてくださいの攻防が繰り広げられ、ようやく頭を上げた琴音が、隼斗たちと共に散乱した商品を片付ける。
「この子に悪気があったわけじゃないんですから、これくらいは何てことありませんよ」
それに、俺には大金のある通帳があるから買い直したところで負担にはならない。
きっと隼斗は稲浪と出会わずに、この状態を迎えていれば、琴音の申し出を受けていただろう。だが、今の隼斗にはその必要がなかった。一生働いても稼ぐことなどで気やしない金額を持ち合わせていたのだから。
「しかし勿体ないのぉ。洗えば食せるものも多いぞ、隼斗?」
「そうだな。卵とかは後でまた買いに行けば良いだろ」
稲浪も隼斗も、洗って火を通せば問題なさそうなものは近くの水道で土を落とし、袋に入れていた。
「本当にご迷惑をおかけしました。折角親切にしていただいたのに・・・・・・」
先ほどまでの威厳はどこへ行ったのか、琴音は再び出会った当初の女々しさに戻っていた。その隣で、ツーちゃんと呼ばれている少年がふてくされたような表情で隼斗に、「ん」と落ちていた物を渡していた。
「にしても、ツーちゃんだっけか? なかなか凄いことしてたな」
「ツーちゃんって呼ぶなっ!」
隼斗が先ほどの少年が中に浮いていたことを話題に出すと、少年がツーちゃんと呼ばれることが嫌なようで、琴音には従順に従っているが隼斗には睨みかかっていた。その横で、思い出したように琴音がハッとする。
「あ、あの、あ、あれは、で、ですね・・・・・・」
どうごまかしたら良いのか、全く思いつかないようで琴音があたふたと視線を彷徨わせる。
「隠すことはない。我も神子なり。知りゆる同士に掟は不要じゃ」
「え?」
稲浪の言葉に琴音が驚いたように稲浪を見る。
「ああ、実は俺、赫職って奴なんですよ。稲浪は俺の神子です」
「えぇ!?」
「お前、赫職なのか!?」
琴音が大げさにも思える驚きの声を上げる。それに合わせるように少年も隼斗に驚いた顔を向ける。
「って言っても、昨日稲浪と出会って、さっき所長さんに話を聞いて来た帰りだったんですけど」
「我を見て気づかぬとは、汝らも日が浅いようじゃの」
稲浪は感覚的に早々と少年が神子だと察し、琴音が赫職だと思っていたようだが、琴音も少年も隼斗が赫職で稲浪がその神子だとは気づいてはいないようだった。
「そうだったんですか。実は私とツーちゃんも四日前に出会って、NBSL本社ビルに赫職申請に行くためと、東京よりも大府の方が安心かと思って出て来たばかりなんです」
なるほど。どうりであれだけ驚くわけだ。初めて自分以外の赫職と神子に出会えば、そりゃ驚くよな。俺も驚いたし。
「じゃあ、これから申請に、ですか?」
「いえ、今朝リニアで来てそのまま行って、帰りだったんです」
「入れ違いだったのか」
「そのようじゃの」
今朝、隼斗は稲浪とまともに出会って、話を聞いていたため申請に出るまでが少々遅かった。その間に琴音がビルを訪れていたのだろう。
「話を聞かされたその日に、他の赫職さんと神子さんに遇うなんて思いもしませんでした」
あはは、と戸惑いを含んだ笑いを見せる琴音。
「隼斗、どうするのじゃ? 我は別に構わむぞ」
話がひと段落したところで稲浪が隼斗を見る。
「どうって?」
だが、隼斗は稲浪の言っていることがさっぱりのようで、その視線から何も感じ取っていなかった。
「会長の話を聞いておらなかったのか。我ら神子は闘うことを運命められし者ぞ」
「あっ・・・・・・」
その一言で稲浪の言いたいことが隼斗にも理解出来た。
『契りを結んでいない神子を仲間にするも善し。二人で頂点を目指すも善し。このゲームで君たちが目指すのは、まずは日本における勝者になることだ』
NBSLの所長の大郎は言った。そして、その話を聞いたその日に隼斗と稲浪は自分たち以外の赫職と神子に出会った。この創生の内容は至ってシンプル。神子を倒し、まずはこの国の勝者になること。そう聞かされた。つまり、稲浪が言いたいこと。それは・・・・・・。
「まずは手始めにこやつをやるかの?」
準備は出来ている。稲浪が目で隼斗に言う。
「え? あ、あの、その・・・・・・」
「良いよ、琴音。やろうぜ。こんなオバサン、俺がちゃっちゃっとやっつけるって」
隼斗と稲浪の横で少年が琴音に闘うと言うが、琴音はどうしたら良いのか分からないようで、隼斗を見る。隼斗としては自分が巻き込まれた現実は把握したが、神子が闘うことに対しては、まだ若干の抵抗があり、自分を見てくる琴音もツーちゃんと呼んでいる少年が闘うことに対して、納得出来ていないようで、困惑している表情を見るとあまり乗り気ではなかった。
「オ・バ・サ・ンじゃとぉ?」
だが、一方の稲浪は、困惑している隼斗と琴音とは打って変わっての、怒りを堪えている顔だった。眉間に皺が寄りヒクヒクとこめかみが痙攣していた。それでも綺麗だと認識出来るのは、元の造形がちょっとやそっとでは崩れないと言う事の表れなのだろう。
「いい度胸じゃのぉ、小童。この我を知っての失言か」
「オバサンのことなんか知らねーよぅだ」
さっきまでのしおらしさはどこへやら。少年が精一杯の睨みを利かせながら稲浪に、ベーと舌を出す。
――――ぶちっ
何かが切れた、そんな音がした。そんな空気が辺り一面を瞬間的に駆け巡った。冷酷な冷たさではない、その真逆の劫火のような熱が辺りを包む。
「貴様には目上に対する礼儀と言うものを叩き込む必要があるようじゃな」
稲浪の声は酷く低かった。それだけ少年の言う、オバサンの一言が稲浪の堪忍袋の緒を切ったのだろう。稲浪の形相に隼斗と琴音は殺気を超えた何かを感じ身を竦めていた。
「お、おいっ、稲浪。落ち着けって」
「ツーちゃん、だ、だめよっ。止めなさい」
二人がそれぞれの神子に呼びかけるが、一度火のついた稲浪には隼斗の言葉は届いていないようだ。
「征くぞっ、小童!」
「後悔しても知らないぜ、オバサン」
その瞬間、少年が大地を蹴り大空へと舞い上がる。
「へへーん、ここまで来てみろよ、オバサン」
空を飛べる神子は多くはない。少年もその限られた類なのだろう。
「琴音さん、あの子ってどんな神子なんですか?」
ただならぬ雰囲気の稲浪を遠めに二人で見つめる。
「ツーちゃんは、燕子のつばさなんです。でも、私が知る限り、ツーちゃんは飛ぶことが能力みたいで・・・・・・」
そこで心配そうに琴音がつばさを見上げる。稲浪のことを知らない琴音は、つばさが怪我をしないかという不安があるようだ。本当に子を思う母親そのものの表情だった。
「そうなんですか」
攻撃する術はその体か。飛行能力だけだと言うなら、稲浪の敵じゃないかもしれない。俺も良くは知らないが、稲浪は狐焔を使っていた。それが本気になればどれほどのものかは知らないが、このままだとつばさが危ない気がするのは気のせいか? 創生のことを考えれば倒すに越したことはないんだろうが、琴音さんのことを思うと・・・・・・。
「無知で生意気な小童よ。我が焔の前に平伏すがよい」
稲浪が両手に狐焔を滾らせる。狙いを定めるようにつばさを見つめ、つばさはここまでは来れまいと得意げに何度も稲浪のことをオバサンと連呼して馬鹿にしている。それを先ほどまで憤怒の表情を浮かべていた稲浪が冷めた笑みを浮かべていた。
「我に楯突かなければ永らえたものを」
両手に宿した狐焔を稲浪が大空に向かって振るう。その勢いでTシャツ越しからでもハッキリ分かるほど胸が揺れているが、誰もそれに目を留めてはいなかった。
「うわっ!」
「ツーちゃん!」
次の瞬間、二本の青く轟々と燃える火柱が火炎放射のように空に向かって燃え上がった。つばさが予想もしていなかったようで、慌ててさらに上空へと舞い上がるが、稲浪は薄ら笑みを浮かべ空に手をかざした。
「こ、これが、稲浪の力、なのか」
家で目にした灯程度とはまるで別格の稲浪の焔。稲浪が常に鼻高々に最強を謳う自信。何処から来るものなのか不思議に思っていた隼斗だったが、つばさを何処までも追いかける龍のような巨大な二本の火柱を前にして、稲浪が自分に自信を持つ意味を初めて理解出来ていた。
「うわっ、な、なんだよっ、これっ」
つばさは燕子なだけに、宙空での動きは機敏で稲浪の青い焔を何とかかわしているが、それでも稲浪はまだまだ序の口程度にしか力を使っていないような余裕の表情で焔を操り、つばさで遊んでいるようにも見えた。
「どうした? 避けてばかりでは我を倒せぬぞ」
稲浪の言葉を聞く余裕もなく、上下左右を飛び回るつばさ。直接焔を被っていなくとも、焔は熱を発するため、つばさが焔をかわしていても、熱風の渦が焔と共に襲い掛かってくることまではかわしきれないようで、時間が経つと共につばさの表情が苦渋に歪む。
「隼斗さん・・・・・・」
徐々に不安がつばさを襲う恐怖に変わったようで、琴音が縋るように隼斗を見てくる。その瞳は子を思う母のような瞳で、隼斗の心を突き刺す。
「そう言えば・・・・・・」
所長が言ってたよな。嚇職のいない神子を自分の神子にするのも、倒していくのも、そして、仲間を作って闘うことも善し、と。
「稲浪、もう止めるんだ」
稲浪が怒る理由も分からないでもないけど、これは俺たちが望んで決めた闘いじゃない。俺も琴音さんも対立するつもりはないんだから、これ以上の戦闘はつばさが危ない。
「何を言う。神子は闘うことが義務じゃ」
「うわっ、あつっ、く、くそっ!」
つばさは本当に飛行能力しかないようで、稲浪の焔をかわすだけで、一向に攻撃する気配がなかった。その様子を見て、隼斗が目を閉じて少しだけ熱を持った空気を吸い込んだ。
「稲浪っ、俺はお前の赫職だっ」
「っ!」
本当はいまいちに赫職と言うものがどういうものか理解しているようではないが、嚇職を得ていない神子とは違うものだと言うことは何となく把握しているようで、隼斗の呼びかけに稲浪が焔を切り捨て、空に立ち昇っていた焔が霧散して消えた。
「はぁはぁはぁ・・・・・・」
「ツーちゃん!」
稲浪の攻撃が止まると、疲れきったように肩で大きく息をしながら下りてくる。琴音がつばさに駆け寄りつばさを抱きとめると、力尽きたようにつばさは琴音に抱きかかえられた。
「ギリギリだったんだな」
「能力開花から時が経たぬうちに、高天原嶌を出たのじゃ。力を磨かぬ早とちりは少なくない。こやつもその一人なのじゃろう。我でなければとうにやられておったわ」
どこか不満そうな顔をした稲浪が隼斗の元へ戻ってくる。
「ありがとな、稲浪」
「何がじゃ?」
稲浪にしてみれば神子を倒してもいないのに、隼斗に感謝されることの意味が分かっていないようだった。
「琴音さんのことを考えて、初めからそのつもりなかったんだろ?」
それに俺の言うこともすぐに聞いてくれたしな。と言う隼斗に、稲浪が言葉を詰まらせた。
「わ、我の赫職は汝じゃ。赫職の言うことは我らには絶対なのじゃ」
プイッと頬を赤らめて明後日の方向を向く稲浪。どうやら隼斗の言う事が図星だったようで、オバサンと言われたことに対する怒りは焔を共に発散されたようで、途中からは隼斗から見てもただ遊んでいるように見えていた。
「そうか。やっぱり、稲浪は最強だな」
「無論じゃ。今更なこと言うでない」
今更も何も、隼斗は初めて稲浪の狐焔と言うものの力を見た。それだけを見て稲浪が最強と自負するのであれば稲浪に対する不信感もあったのかもしれないが、道に迷い、翼と逸れた琴音を自主的に手助けに行き、挑発的なつばさの一言から闘いをしても隼斗自身が能力を上手く使いこなせず、不安定になり余分な力の消費で琴音の胸に抱かれているだけで、外傷らしいものは見受けられなかった。気恥ずかしさでそっぽを向いている稲浪に隼斗は微笑んでいた。
「稲浪」
「ん?」
名を呼ばれ稲浪が頭だけを隼斗に振り返る。傾き始めた陽に輝く金髪がファサっと流れた。
「これから、よろしくな。まだ良く分からないことばっかだけど、稲浪の力になれるよう、俺、やるよ、赫職」
稲浪を見てると久しぶりに感じる胸の温かさと、稲浪の仕草にドキッとする感覚。昨日出会ってまだそれほど時間は経っていない。でも、この気持ちが何なのか、俺だって子供じゃない。それが何なのかくらいは分かってる。今日知った、稲浪の少々過剰にも思える態度の中に見せる優しさに俺は―――・・・・・・。
「うむ。我こそ、久しく頼もうぞ」
一瞬、稲浪がポカンとしたような表情を浮かべていたが、すぐにいつもの凛々しさのある表情で、少しだけ声のトーンを落として隼斗の言葉に応えた。
「・・・・・・何故、隼斗がそやつを背負うのじゃ」
「仕方ないだろ。疲れて寝ちゃったんだから」
「本当、迷惑ばかりかけてしまって申し訳ありません・・・・・・」
「良いですよ。おかげで実感が湧きましたから」
戦闘後、疲労でつばさはそのまま琴音の胸の中で眠りに落ちた。家に戻らないといけないため、結局隼斗がおぶることになったが、それが気に食わないようで散乱した中で調理に問題ないようなものと生活用品を入れた買い物袋を持っている稲浪が、恨めしそうな視線を眠っているつばさに送っていた。
「もう荷物は届いてるんですか?」
「いえ、明日の予定です。今晩必要な分と、布団だけは先に送っていたんです」
「宿屋にでも泊まれば早いではないか」
「急な引越しでしたから、費用のこともあったので・・・・・・」
でも、そうしても良かったかもしれないです、と琴音が苦笑する。ここまで来るのに、引越し費用から交通費など諸々急な出費があり、ホテルなどで一泊することが出来なかったのだろうが、NBSLで赫職申請で、所長にもらったクリスタルカードのことを先に知っていれば、手間が省けたのだろう。隼斗とそれほど変わりない状況の琴音に隼斗も共感していた。
「わざわざすみませんでした」
「いえ、これくらいは何てことないですから」
角部屋の隼斗の部屋の隣室が琴音の部屋。眠っているつばさを琴音が布団を敷き、その上に寝かせた。
「では、我らも戻るぞ」
「そうだな。隣なんで何かあったら気軽に声、掛けてください」
「はい、ありがとうございます」
琴音に見送られ、隼斗と稲浪も短いようで長かった一日を終えるように、家に戻った。