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一神噺.おはよう、なのり

 今日は何するんだったけな? バイト。いや、バイトは今日は休みだったな。何だっけ? 何かしようとしてたんだよな。

「ん・・・・・・」

 あー、そうだ。確か昨日、猫拾ったんだったな。猫らしく甘えることも無く、そっけない素振りの可愛げのない猫だったな。でも綺麗な毛並みだった。ふさふさして、サラサラ流れるような、そう、こんな感じだ。

 寝返りを打った男の手が、サラサラとしたものを撫でるように動く。

「んん・・・・・・」

 猫って、動きが俊敏な分、体は筋肉質なんだろうか。昨日の猫は妙に柔らかかった気もするな。そうそう、こうぷよぷよもにゅもにゅしてたっけ。

 男の腕が、今度は何かの感触を楽しむかのように鷲掴むように動く。

「ん、んぅ」

「ん・・・・・・・?」

 自分ひとりしかいない部屋。カーテン越しに微かな朝陽が部屋に差し込んでいる。夢見心地で感じていた感触が妙にリアルでうっすらと男が目を開く。

「あれ・・・・・・?」

「んぅ・・・・・・」 

 昨夜は肩辺りに感じていた温もり。今、ぼぉとする中で感じる温もりは足元まで全身に感じられるほど大きい。鼻を押し付けると感じられるほどだった猫のコンディショナーの香が、呼吸をするたびに鼻腔に香る。今まで感じたことのないような柔らかい感触が掌越しに伝わり、毛布では感じられない人肌のような温もりが妙に温かい。首筋に掛かる寝息の吐息が猫のものよりも遥かに大きく感じられる。

「ふぁあぁぁぁ・・・・・・」

 あまりの心地良さに再び睡魔が襲い、欠伸が漏れる。

「・・・・・・・・・」

「ん、んぅ・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 それでも感じる普段とは何かが違う妙な違和感に、睡魔が後退する。目の前に何かがあって、その距離が近すぎて焦点が上手く定まらない。

「猫・・・・・・?」

 確か昨日は隣に寝かせていた。だから目の前に見える薄暗い中でも分かる金に近い肌色は猫なのだろうか。にしても、色の面積が随分と広くないだろうか?

「あれ・・・・・・?」

 体を壁に這わせるように起き上がると、何かが変だという現実に気づいた。昨夜寝るまでは、全身に撫で心地のよい金色の毛をした猫がいた。そこまでは覚め行く意識の中で思い出した。

「っ! な、何、で・・・・・・?」

 上手く口が回らない、と言うか、頭が回らない。いや、別に頭は回らないが、脳の言語運動思考の脳内神経がが動かないって意味だ。

「って、何言ってるんだ、俺は」

 口には出していないが、どうやら脳の回転はすっかり覚めたようだ。

「おいおいおいおい、何が起きた?」

 猫がいたと思われる場所には、猫の毛並みと同じ色をした長い髪が広がっている。それをそっと掻き分けると、髪の下に見慣れない女性の顔がある。肩ほどまでしかなかった毛布の膨らみが、男の足元には及ばないが、それくらいの背丈にまで毛布が人の形に膨らんでいた。

「え・・・・・・?」

 もしかして、昨日は酔ってたか? 猫を連れ込んだ夢を見ていたつもりが、実際は見知らぬ女性を連れ込んだか?

「いやいやいやいや」

 男が勢い良く頭を左右に振る。 

経験が無いわけじゃないが、見知らぬ女性と同衾するようなことは、今まで酔った勢いでもなかった。大体昨日の記憶ははっきりしている。それが夢とは思えない。

「むしろ、これが夢?」

 意識ははっきりしていても、思考は完全に停止しているようで、どうすることも出来ず、隣で眠っている謎の女性をただ見つめるしかなかった。

「んぅ、ん・・・・・・?」

 男の独り言に目が覚めたのか、髪に隠れていた瞳がゆっくりと開いていく。西洋人形のような青い瞳が数回の瞬きの後に、男の姿をその瞳に映す。同時に男の目にも艶美のある姿が映し出される。

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 互いに静かに見つめ合う。男は状況が理解できず、ただ呆然と。女は、寝惚けて思考が働かないようで、ただ呆然と。

「あ、えと・・・・・・」

 少々照れの入った表情で、この状況を打破しようと言葉を口にしようとするが、何も浮かばない。

「主、名を何と申す?」

「は・・・・・・?」

 抑揚の無い、静かな声で女が横になったまま男に問いかける。突然話しかけられ、男が困惑の表情を浮かべる。

「名を何と申すか、と聞いておるのじゃ」

 寝惚け眼だが、一度で聞き取れなかったことを再び聞き返され、女の表情がむっとする。

「あ、えっと、風祭隼斗(かざまつりはやと)・・・・・・」

「そうか、やはり隼斗か。ふむ、悪くはない」

 寝転んで毛布を被ったまま、女が男を吟味するように見つめ白い手を男の頬に当ててくる。スッとした顔立ちに、青い瞳、柔らかそうな淡桃色な唇、白い肌の日本人とは明らかに異なる容姿。可憐などではない、華麗なる美人。思わずその瞳に吸い込まれるような感覚が男を襲った。

 もそっとゆっくり女が体を起こす。

「って、ちょっ、ちょっとっ!」

 隼斗が慌てて、視線が女から横を向く。起き上がった女の体を、撫でるように毛布がサラッと流れ落ちる。そして露になる白い肌の上半身。ふくよかに丸みのある柔らかな乳房が隼斗の目の前に露になり、流れ落ちた毛布のおかげで下半身は上手く隠れていたが、それでも見知らぬ女性の裸体に表情は微かに緩みながらも直視することは出来なかった。

「なんじゃ? 急にそっぽを向きおって」

 少々前かがみになった女が、隼斗を不思議そうに見る。サラッと流れた髪から仄かな芳香が鼻孔をくすぐる。

「服ってか、隠してくれっ!」

「んぷっ」

 隼斗が毛布を掴んで女に投げる。がばっと毛布を被った女が毛布を胸元に退ける。もとい、胸に引っかかり、上手い具合に隠れたというほうが賢明のようだ。

「ったく、なんじゃいきなり」

 突然のことに不満げな女だが、隼斗はホッと肩を撫で下ろした。

「あの、それで、貴女は・・・・・・どちら様?」

 しばらくして、ベッドの上でほぼ密着に近い形で向き合う二人。

「よくぞ聞いた。我は(びゃっ)()稲浪(いなみ)じゃ。幾久しく頼もう、隼斗」

「は・・・・・・?」

 名前を聞いたんじゃなくて、何でここにいるのかを聞いたつもりなんだけどな。しかも幾久しくって、これから宜しくって意味じゃなかったか? ってか、白狐って何だよ。苗字か? 随分神話とんだ名前だな。喋り方も変だし。

「何を呆けておる。汝はこれより我の主となる者ぞ。その、我を・・・愛でた・・・・・・責任は、取ってもらうの、でな・・・・・・・」

 途中から気恥ずかしくなったのか、稲浪がモジモジと隼斗を見る。不意になよなよしくなり、隼斗も思わずその新たに見る表情に、戸惑うばかりだった。

「は?」

 目覚めた時に隣で寝ていた、謎の女性、稲浪。ブドウ糖が不足しているのか、上手く頭が働かず、何を言っているのか丸っきり理解出来ないが、美人だ。

「隼斗、空腹じゃ、朝餉(あさげ)を用意してたもれ」

 クゥっと可愛く稲浪の腹の虫がなる。俺も腹が減ったし、とりあえず細かい事はその時で良いか。

「って何こうも落ち着いてられんだ、俺っ」

「?」

 隼斗がうなだれるように、頭を横に振る。稲浪がどうしたのじゃ? と声を掛けるが、なんでもない、と手をかざす。隼斗が妙な緊張感とドキドキ感を感じながら、腰を上げる。

「では、我も顔を洗うとしよう」

 それに続くように稲浪が立ち上がると、肌を隠していた毛布が流れ落ち、振り返った隼斗の前に一衣纏わぬ裸体が露になる。均等の取れた足に、少々バランスの悪さを感じさせる程の大きな乳房、腰丈近くまで伸びる金髪。小顔に映える青い瞳。全てが一つになった時、真の美しさを隼斗の目に映し出した。

「頼むから、隠してくれっ!」

 慌てて隼斗が近くにあった自分の服を稲浪に投げ、部屋のドアを閉めた。

「なんじゃ? 昨夜は我の身体を隅々まで愛でたというに、おかしな奴じゃ」

 稲浪が隼斗の様子を不思議そうに見つめていた。

「何が起きた? 何をした? どうなってんだ? ってか、あれ、誰だよ?」

 洗面所で水の流れる音を聞きながら、隼斗がキッチンで味噌汁を作りながら苦悩していた。それでも、振り返ると顔を洗いバスタオルで顔を拭いている稲浪の後姿が見え、その後姿からでも分かる、色気に富む美人ぶりに言葉を失うばかりだった。


「ふむ、隼斗は飯食か」

 しばらくして、二人がようやく、とりあえず落ち着くとリビングの四人掛けの小さなコタツテーブルの上には白飯、玉ねぎとジャガイモの味噌汁、卵焼き、焼き鮭のごく普通の和食の朝食が並んでいた。

「パンのほうが良かったとか?」

「いや、我も和食が好みじゃ。此れで良い」

「普段は朝から引越しのバイトしてるから、朝のうちに腹に溜めないと力が出ないんだ」

 二人見つめあう形で腰を下ろし、稲浪が手を合わせる。

「これ、隼斗。挨拶は基本ぞ。食物を食する感謝の念を言葉にすることは誠の理と言うものじゃ」

 腰を下ろして箸を持った隼斗を、稲浪が咎める。

「いや、俺が作ったんだし、別に良いだろ?」

「何を言う。頂きますと言うのは、調理人に対する感謝ではない。いや、それも含むが、本来は我らの礎となす動植物の命を戴くことに対する感謝と祈りじゃ」

 ほれ、手を合わせぬか。と稲浪に言われ、隼斗も押される形で稲浪と同じように手を合わせると、稲浪も満足げに、いただきますと口にした。それに続いて隼斗も言うと、ようやく朝食と相成った。

「ふむ、腕は立つのじゃな。我の口に良く合うぞ」

「それは良かった」

 隼斗は一人暮らしも長く、それなりに生活スキルを身につけたようで、稲浪の口にも隼斗の料理は問題ないようだ。若干静けさに包まれる食卓の場。それが自然のように。

「って、何でこんなに和んでんだよっ!」

 ふと、状況を客観的に捉えた隼斗が一人で苦悩する。

「食事中に大声を出すでない。行儀が悪い」

「あっ、ご、ごめん」

 突然の大声に稲浪が味噌汁を啜りながら、隼斗を咎める。

「いや、そうじゃなくて!」

「なんじゃ?」

 すぐに隼斗が箸を置き、稲浪を見る。稲浪は特に気にした素振りを見せることなく、卵焼きを口に運んでいた。

「えっと、稲浪さん、でしたよね?」

「稲浪で良い。汝は我の主ぞ。我への遠慮は無用じゃ」

 少々取り乱している隼斗に比べ、落ち着いた面持ちで箸を進める稲浪。シャツとズボンを隼斗が渡したが、ズボンはサイズが合わず、シャツ一枚で隼斗の正面に座っている。下着もなく、一枚の布で体を覆う稲浪に、隼斗は少々目を背けながら、ようやく本題を持ち出すことが出来た。

「それじゃ、い、稲浪」

「ふむ、何じゃ?」

「あーその、昨日、俺と何かあった?」

 訊きたい事がありすぎて、どれから聞いたら良いのか隼斗は上手く整理が出来なかった。

「何かとは失礼な。汝は我を愛でたではないか」

「・・・・・・それ、マジ?」

 自分の記憶とまるで異なる現実に、隼斗は困惑するばかりだった。

「俺、昨日、猫を拾って風呂に入れて、寝た記憶しかないんだけど・・・・・・」

 そこに今目の前にいる稲浪は何処にもいなかった。居たのは、稲浪の髪の色に似た毛並みの猫だった。

「我を猫ごときなどと同視するでない。我は崇高なる白狐なり。地ベタを這うような下衆ではない」

 猫と言われた事がひどく心外の様子で、稲浪が隼斗を睨む。その形相に思わず慄いた。

「えっと、それで、稲浪とは、昨日何処で会ったっけ?」

 稲浪の良く分からない言葉を受け流し、本筋に戻る。

「玄関前で倒れていた我を、(なんじ)が助けたのではないか。そんなことも覚えておらぬのか」

 何を言っているんだ? と稲浪の視線に、隼斗は自分の記憶との相違に嫌な予感のようなものを感じ始めた。

「その後は、どうしたっけ?」

「どうしたも何も、汝が我を風呂へ連れて、我の・・・その、全身を・・・・・・ま、(まさぐ)ったではないか」

 思い出して恥ずかしくなったのか、稲浪の頬が紅潮する。凛々しさのある風貌に垣間見せるあどけない少女のような恥じらいに、隼斗も目のやり場に困り、視線を背ける。それと同時に、記憶の出来事との相違の歯車が、とある対象物を除いて重なるように回り始める。

「その後は、一緒に寝たりとか?」

「覚えてるではないか」

 その通りじゃ、と稲浪の言葉に、隼斗の背筋に冷や汗にも似た嫌なものが走る。

「つかぬ事を伺いたいのですが・・・・・・・」

「何じゃ? 主の頼みとあらば、出来る範囲で答えてみせよう」

 聞いてはいけないような気がして、思わず言葉を飲み込みたくなるが、ここはビシッと聞いておかなければ、話が進まない。でも、聞きたくない気もあるんだよなぁ。

 お茶を啜り、隼斗が気持ちを静めるように一息つく。その正面で稲浪が白飯に鮭を乗せ、口に運ぶ。この塩加減が絶妙じゃと呑気に食事を楽しんでいる姿は、華麗さと気品を纏う稲浪の姿ではなく、彼氏の料理を美味しそうに食べる無邪気な彼女のようでもあった。

「稲浪って、何者?」

 口を動かしていた稲浪が、おかしなことを聞いたような表情を浮かべ、飲み込む。

「何度も言っておろう。我は白狐の稲浪。それ以上でも以下でもない」

 隼斗の聞きたいことを理解してくれない稲浪なのか、聞きたいことを素直に応えた稲浪の言葉を理解出来ていない隼斗なのか、両者の思う所は上手く噛み合っていなかった。

「そういうことじゃなくて、あー、その・・・・・・稲浪って人間・・・・・・」

 隼斗がざっくばらんに言葉を崩して、聞きなおす。

「・・・・・・だよ、な?」 

自分で言っておいて何だが、妙なことを口走っているよな。第一どう見ても稲浪は人間じゃん。何考えてるんだろうな、俺。

自分で聞いておきながら、隼斗は馬鹿なことを言った、と苦笑していた。

「何度言えば、分かるのじゃ。我は人間ではない。白狐じゃ」

「えっ・・・・・・・?」

 今、稲浪、人間じゃないって言った? どういうことだ? どう見ても、人間だよな。冗談か?

「仕方あるまい。これを見れば、隼斗も納得するか?」

「は?」

 稲浪が箸を置くと、隼斗の目の前からその姿を消した。突然のことで隼斗が混乱する。ほんの一瞬前まで目の前にいた稲浪が姿を消した。瞬間移動とでも言うべきなのか、現実に起こった摩訶不思議な出来事に、隼斗の瞬きの回数が増える。

「・・・・・・稲浪?」

「なんじゃ? これで満足したか?」

 姿は見えないが、隼斗の呼びかけに答える稲浪の声は部屋の中から聞こえた。

「何処にいるんだ?」

「ここじゃ、ここに居るではないか」

「ん・・・・・・?」

 クイクイ、とズボンが引っ張られ、隼斗がテーブルの下を覗き込むと、そこには、記憶の中にいた猫の姿があり、その置くには先ほどまで稲浪が着ていた隼斗のシャツがあった。

「あれ、お前。いつの間に。ってか、稲浪はどこだ?」

 テーブルの下に居た猫を隼斗が抱き上げ、稲浪を呼ぶ。

「何を言っておるか。我はここじゃ」

「猫が、しゃ、喋った・・・・・・?」

 抱き上げた猫から、聞き慣れた声が返ってくる。ペットを買えない人や医療現場などでセラピーとして用いられる人工知能を搭載したペットロボなどは、ごく普通に世間にはありふれている。だが、やはり生身の動物ではない、毛並みの向こうには人工的な固さが感じられる。しかし、今隼斗が抱いている猫は、そんな不自然な機械の固さのない、柔らかい生き物の感触と、仄かに覚えのある香りがした。昨日風呂に入れた猫と、今朝目覚めたら目の前にいた稲浪の香り。

「猫ではない。白狐だと言っておろう」

「うおっ!」

 呆れた声と共に、抱いていた猫がポンと姿を変え、隼斗の上に稲浪がのしかかるように姿を現した。

「え、あ、な、む、むぅぅ―――!」

 目の前で姿を戻した稲浪の胸が、ちょうど隼斗の眼前に晒され、もにゅっと隼斗の顔を挟み覆い隠す仄かにいい香のする柔らかい物体。全身に感じる温もりと、それほど重くはないが、柔らかい感触と程よい重みに、隼斗の思考が停止した。

「ちょっ、ちょっほっ、ふぃ、ふぃはふぃ。ふぁ、ふぁはへぺっ」

「こ、こら、喋るでない、隼斗っ。く、くすぐったいっ、ぞ」

 隼斗が息苦しさにもがくと、胸元から感じる隼斗の吐息に稲浪が身を捩じらせる。すると必然的に、隼斗の顔には、柔らかいものがさらに押し付けられる。

「っ! ぷはぁっ!」

「きゃっ」 

 隼斗が息苦しさと、目の前にあるものが何かを感覚的に把握し、顔が紅潮し、稲浪の肩を掴み、引き剥がすように横に投げる。

「あっ・・・・・・」

「きゅ、急に何をする。痛いではないか」

横に飛ばされた稲浪が体を起こすと、隼斗と視線が交差し隼斗の視線が稲浪の顔から下へと移動する。

「ぶっ・・・・・・!」

「隼斗?」

 一糸纏わぬ、あられもない姿の稲浪。生物ならば生まれた時の姿で、隼斗が勢い良く押し退けたせいか、開脚された日焼けを知らぬ足肌の奥に見える、男にとっての永遠の神秘の花園が隼斗の眼前に晒され、隼斗の鼻孔が鮮血を吹いた。

「経験と言うものがないのか、隼斗は。あれくらいで鼻血を吹くとは情けないの」

「いや、そういうわけじゃない。いきなりあんなの見せられて驚いただけだって」

「あんなのとはなんじゃ。昨夜は我の体を弄ったではないか」

「ぶっ! 妙な事を言うな。思い出したじゃないか」

 稲浪の言葉に隼斗の鼻に詰めていたティッシュが白から赤へと染まっていた。

「じゃ、じゃあ、やっぱり、稲浪があの猫だってって言うのか」

「猫ではない。白狐じゃ。猫などと一緒にするなと言っておろうが」

 確か狐はイヌ科だったな。だから猫って言われるのが嫌なのか。

「どうした、隼斗。食指が動いておらぬぞ」

「い、いや、もう一杯なんだ」

 色々と主に目からの栄養が強すぎて、満腹になってしまった。

「そうか、では、これは貰うぞ」

「あ、ああ」

 稲浪が隼斗の分まで朝食を食した。自分よりも若干小さい稲浪だが、その見た目からは分からない、旺盛な食欲に隼斗は呆気に取られていた。稲浪が食べ終わると二人して再び手を合わせ、ごちそうさま、と感謝の念を唱え、隼斗が後片付けに入る。

「稲浪」

「なんじゃ?」

 洗い物をしながら休んでいる稲浪を呼ぶ。

「お前って、人間じゃないんだよな?」

「白狐だと何度言えば良いのだ。見たであろう。我の姿を」

 隼斗が先ほどのことを思い出す。目の前に現れた猫、もとい、狐。だが、それが稲浪へと化けた。疑いたくとも目の当たりにした現実に、当惑するばかりで、稲浪の言葉も理解に苦しんでいた。

「稲浪はどこから来たんだ? ってか、何なんだ?」

 隼斗は上手く訊きたい事が言葉に出来ず、曖昧な訊ね方しか出来ない。上手く言葉に出来ず、気持ちが燻るが、現実ではありえない事態に巻き込まれ、他に言葉が思い当たらなかった。

「我はNBSLで生まれ、闘い抜くことを定められた創生の神子じゃ」

「NBSL?」

 なんであんな所から? 闘い抜くってどういう意味だ? 言っている意味がまるで分からない。

「おお、そうじゃ。忘れておった。隼斗よ。我と共にNBSLに参るのじゃ」

「はぁ? 何で?」

「御霊を享有する我らは、NBSLによって新たなる力を授けられた、創生の神子。我は隼斗を我が主を見なし、(きゃく)(しき)の申し出をするのじゃ」

「力? 赫職?」

 いまいち稲浪の言っている言葉が理解出来ていない隼斗を見て、稲浪が立ち上がる。

「これが我の力じゃ」

「えっ・・・・・・」

 隼斗が稲浪に振り返ると、稲浪が(かざ)した掌に火柱が轟々と焚き上げられていた。

「ちょっ、ちょっと、危ないっての」

 勢い良く燃え上がる青い火柱に、天井に備え付けられている消火システムが危うく作動するところで、隼斗が稲浪を止める。

「な、何だよ、今の・・・・・・?」

「今のが我が力、狐焔(きつねび)じゃ」

「きつねび?」

 確か、鬼火のことじゃなかったか? 確かに炎は青かったけど、そんなものを稲浪は使えるって言うのか。

 突然のことに、隼斗は驚きもあるが、現実離れしたことを経験しすぎたのか、頭がショートし、妙に現実を達観したかのように受け入れていた。そんな隼斗の前に、

「我は青き炎を司る白狐、稲浪。風祭隼斗、汝を我が御霊の赫職として、契りをここに申し渡す」

 サラリと流れる金髪。華奢な体つきに映える胸。引き締まった手足。隼斗の目を捉えて離さない青い瞳。稲浪が隼斗の前に立ち、プロポーズのような宣言を口にする。

「・・・・・・・・・・・・は?」

 そんな稲浪の告白を、隼斗は唖然とした情けない表情で、首を傾げた。一世一代の申し出を貶されたと思ったのか、稲浪の表情が険しくなる。

「・・・・・・何じゃ隼斗、我では不満があると言うのか」

 稲浪が隼斗に詰め寄り、その気迫に隼斗が後にたじろぐ。

「いや、ちょっ、違、そうじゃなくて」

「では、申し受けると?」

 さらに鋭くなる瞳に、息を呑むしかなかった。

「え? ・・・・・・ああ。わ、分かったよ。受ける」

「受ける?」

「う、受けます。受けさせていただきます」

 思わぬ形相と気迫を漂わせる稲浪に、隼斗は断ることが出来なかった。

「うむ。では・・・・・・・・・ん」

「は? え? ・・・・・・んん!」

 不意に稲浪が隼斗の胸に手を添え体を密着させてきた。未だ何一つまともに理解出来ず、硬直していた隼斗に稲浪の顔が迫り、唇が重なった。すると、隼斗の手の甲に一筋の刺青のような模様が浮かび上がった。

「隼斗、改めて幾久しく頼もうぞ」

 ほんの一瞬にも、時が止まったように長い時間のようでもあった、唇に残る感触。ここ最近はバイトに明け暮れていた隼斗には久しい、柔らかな感触と鼻腔に香る香り。離れた稲浪は微かに頬を紅潮させながら、隼斗を優しい笑みを浮かべて微笑んだ。その凛々しさをも感じさせる笑みに、隼斗は呆然と立ち尽くしたまま、稲浪を見つめ水道からは洗い物をしていたままの水が流れ続けていた。

「こ、これは・・・・・・?」

 突如自分の腕に浮かび上がった妙な模様に隼斗が驚く。

(きゃく)(しき)(もん)じゃ」

 そう言うと、稲浪が自分のシャツをはだけさせる。一瞬隼斗が視線を外そうとしたが、稲浪が、見よ、と胸上だけをはだけさせて隼斗に見せる。同じように稲浪にも刺青のような模様が淡く青い光を放っていた。

「これが我が赫職紋じゃ。契りを結んだ神子と赫職には、その(しるし)が刻まれるのじゃ」

「じゃ、じゃあ、これとそれが、俺と稲浪の契りってやつ、なのか?」

 隼斗の言葉に、稲浪がうむ、と満足げに頷いた。可愛らしさではなく、可憐な笑みを浮かべる稲浪に、隼斗は見とれるばかりだった。

「それで、その赫職ってのは、一体何なんだ?」

 しばらく呆然としていた隼斗がやっと現実に戻り、残りの家事を一通り終えると、稲浪に問いかけた。相変わらずシャツ一枚で下着も身につけていない稲浪は、隼斗に言われ下半身には毛布を被りベッドに腰を下ろしていた。

「先も言うたであろう。我らは闘い抜くために生れた、創生の神子。その我を御し、時に我の御霊の源となれし者が赫職じゃ」

「はぁ・・・・・・」

 言ってることが難しすぎて理解出来ん。闘いって何なんだ。創生の神子ってものそうだし。

「つまり、赫職ってのは、その、創生の神子の主ってことか?」

 稲浪が大まかにはの、と頷く。

「それで、稲浪は白狐って狐なんだろ?」

「ようやく理解したか」

 やっと信じてくれたのか、と稲浪が満足げに隼斗を見る。

「で、その狐が何で人間の姿をしてるんだ?」

 いくら技術が進んでいるとは言え、動物が人間に化けるなんて、聞いたことも見たこともない。いや、見てはいるけど。

「我ら創生の神子は、NBSLによって生み出された命。その命を匿う身体は状況に応じて自在に変えられる」

「う、う〜ん・・・・・・?」

 理解しようにも、理解出来る常識と言うものを凌駕しすぎて、そうなるのだから仕方ない、と諦めの境地で理解するしかない。

「なんじゃ、いまいち不服そうじゃな?」

「いや、そういうわけじゃないんだ」

 稲浪が首を傾げる。隼斗にしてみれば、かつて専門学校で学んだ映画の世界に自分が迷い込んだ感覚もあり、稲浪の言っていることを信じ始めている。無機質な日常の繰り返しに、突如現われた現実離れの存在である稲浪。いくら娯楽が溢れている今宵の情勢でも、物足りなさを感じていた中に現われた常識を超えるかもしれない日常の到来に、困惑していた。

「なんて言うか、実感がないって言うか、夢を見てるみたいだ」

 隼斗の言葉を稲浪が鼻で笑う。

「夢なものか。我はここに居るではないか」

「いや、まぁ、そうなんだけどさ」

 稲浪が狐に化けたことも、手から炎を出したことも見た。実感がないわけじゃない、適応出来ていないだけなのかもしれない。

「我と隼斗は契ったのだ。その事実を早々に受け止めよ」

 諭すような物言いに、隼斗は頷くしかなかった。

「では、参るかの」

「どこに?」

「NBSLじゃ。赫職の申請とやらをすることが、我らの掟なのじゃ」

「って、だから、隠してくれって!」

 稲浪が行くぞ、と隼斗を急かしながらベッドから立ち上がると、毛布がずり落ち秘部が目の前に晒され、隼斗が顔を背ける。

「お主はおかしな奴じゃ。我は気にせぬと言うに」

「俺が気にするんだよっ!」

 隼斗がタンスから稲浪が着れそうで、既に自分には小さくなった服を投げる。

「着るものがないから、今はそれで我慢してくれ」

 あまり服に対する興味がないのか、稲浪は隼斗の出したシャツとジーンズを暑苦しいぞ、と不満を言いながらも言われた通りに着こなした。

「稲浪の服と下着も買わないといけないよなぁ」

 ドアの向こうで隼斗が、とんだ出費にため息を漏らしていた。


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