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7話 振り返るな

「もう! また大荷物持って」


 コトリが駆け寄る。

 あや婆の手から、荷を半ば強引に取る。


「いいんだよ……これぐらい」


 あや婆が苦笑する。


「良くないよ! いいから、貸して!」


 ひょい、と持ち上げる。


「本当に、大丈夫だって……」


「いいから、いいから」


 少しだけ前に出る。

 先に歩く。


「はいはい」


 あや婆が、ゆっくり後をついてくる。


「……ありがとうね」


 その声に、コトリが振り返る。


「なに?」


「あんたは優しい子だねぇ」


「そうかな……千代にはよく怒られてるけどね!」


 少し照れたように笑う。


 あや婆は、その顔を見て——

 ほんの少しだけ目を細めた。


「……本当に、いい子だよ」


 小さく、続ける。


「……ちゃんと生きな」


「え? なに?」


 きょとんとした顔で振り返る。


「なんでもないよ……」


 あや婆は、いつものように笑った。



 ——あや婆の手が、落ちた。



 その光景が、頭の奥に焼き付いたまま離れない。


 視界の端で、その手だけがゆっくりと落ちる。


 ゆっくりと。

 力を失って。

 地面に触れる。

 色も。

 温度も。


 全部、遠くなっていくのに——


 そこだけが、やけに鮮明だった。


 呼吸が浅い。

 胸がうまく膨らまない。

 喉の奥がひゅっと鳴る。

 心臓だけが、うるさい。


 ——ドクン

 ——ドクン


 耳の奥で、響いている。

 周りの音が遠い。

 人の気配も、ざわめきも。

 全部、遅れて届く。

 足元が、少し揺れる。


 立っているはずなのに、地面が遠い。

 自分だけが——取り残されているみたいだった。


「コトリ!!」


 鋭い声が、空気を裂く。

 びくりと肩が跳ねる。


 視界が揺れる。

 現実に引き戻される。

 振り向く。


 そこにいたのは——


 父、サトリ。


 荒く息を吐きながら、こちらを見ている。


「……お父さん」


 その一言で。


 崩れかけていた世界が、無理やり形を取り戻す。


 サトリの視線が、あや婆へ落ちる。

 ほんの一瞬。

 その目が、止まる。

 それだけで——理解する。


 何も言わない。

 何も表に出さない。


 ただ——切り替える。


 一歩、前に出る。

 コトリとの間に、立つ。


「……コトリ」


 低い声。


「ここはもうダメだ」


「え?」


「お母さんのところへ行け!」


 短く。

 迷いがない。

 それが、重い。


「でも——」


「行け」


 遮る。

 踏み込むように、一歩前へ。


「振り返るな」


 胸の奥が、ぎゅっと縮む。


「……お父さんは」


「いいから行け」


 強く、押し出す。

 言葉で。

 存在で。


 前へ。


「……っ」


 涙が滲む。

 視界が揺れる。


 それでも——


 足が動く。

 一歩。もう一歩。

 地面を蹴る。

 砂が跳ねる。

 走る。

 風が頬を打つ。

 髪が乱れる。

 呼吸が乱れる。

 胸が痛い。

 考えられない。


 ただ——離れなきゃいけない。


 その時。


 影が、前に落ちた。

 前方。

 足が止まる。


 ——違う。


 止められた。


 踏み出そうとしても、動かない。

 膝が、言うことを聞かない。

 地面に縫い付けられたみたいに、離れない。


 顔を上げる。


 そこに——


 あの男が立っていた。


 近い。

 さっきまで、いなかった距離に。

 気づいた時には、もうそこにいた。


「……おっと」


 軽く手を上げる。

 コトリの進路を、なぞるように塞ぐ。


「そっちはダメだよ」


 声は軽い。

 いつもと同じ。


 なのに——


 息が詰まる。

 空気が重いんじゃない。

 “吸えない”。

 肺が、うまく動かない。

 喉の奥が、ひゅっと鳴る。


「……どいて」


 絞り出す。

 声が震える。

 それでも、目は逸らさない。

 逸らしたら——終わる気がした。


「ダメだ」


 即答だった。


 肩をすくめる。


「それは俺の任務にない」


 一歩。


 距離が、静かに縮まる。


 それだけで——

 冷たいものが、足元から這い上がる。

 逃げなきゃいけない。

 分かってる。

 なのに——

 身体が、動かない。


「……っ」


 歯が鳴る。

 指先が、震える。


 その時——


「……そこに行っても、もうダメだ」


 男が、ぽつりと落とす。

 感情はない。

 ただ、事実だけを置く。


「このまま行っても、解決にならない」


 一拍。


「……むしろ悪化する」


 逃げ道を、ひとつずつ塞ぐみたいに。

 言葉が、積み重なる。


「だから」


 小さく息を吐く。


「……大人しく来いって」



——バチッ!!



 白い電撃が一直線に走る。

 ライの腕から放たれたそれは、空気を裂きながら男へ向かう。


 だが——


 男は、わずかに手を上げただけだった。

 弾く。

 電撃が、霧散する。


「……そいつに触んじゃねぇ!」


 ライが叫ぶ。

 すぐ横に、サトリが並ぶ。

 間合いを詰めるでもなく、ただ“そこに立つ”。

 それだけで、空気が張り詰める。


「コトリ……走れ」


「でも……足が……」


 動かない。

 さっきまでと同じ。

 地面に縫い付けられたみたいに——


「大丈夫だ。任せろ」


 サトリが、ライの背中に手を当てる。

 触れた瞬間——

 空気が、わずかに震えた。


「……っ!」


 ライの目が見開く。

 次の瞬間——



 ——バチィッ!!



 さっきよりも重い電撃が、放たれる。

 太い。

 密度が違う。

 一直線に、男を叩く。

 男が、今度は腕を振る。

 弾く——が、


「……さっきより重いな」


 わずかに、足が滑る。


 その瞬間——


 コトリの足から、何かが外れた。

 縫い付けられていた感覚が、ほどける。

 踏める。

 地面がある。


 ——行ける。


 でも。


 胸の奥が、引っかかる。


 ——置いていく。


 頭の奥で、何かが止める。


 嫌だ。


 でも——


 振り返るな。


 あの声が、残っている。


 ——振り返るな。


 息が詰まる。


 それでも——


「これで走れるだろ」


 サトリの声。


 背中を押すみたいに。


「でも……お父さんは」


「俺が付いてるから大丈夫だ」


 間髪入れずに。

 迷いなく。

 その横で、ライが言う。


「コトリ……お母さんを頼む」


「……え?」


 一拍。


「いいから走れ!」


 強く。


 押し出す。


 その瞬間——


「行かせるわけないだろ」


 男の周囲の空間が、歪む。

 空気が捻れる。

 何かが“起きる”前に——


 ——バチッ!!


 ライの電撃が、歪みに叩き込まれる。

 歪みが弾ける。

 消える。


「ちっ……めんどくせぇ」


 男が舌打ちする。

 完全には、止めきれていない。


 その隙に——


 踏み出す。


 コトリは走る。


 振り返らずに。


 振り返れずに。


 足音が遠ざかる。


「それでいい……」


 サトリが、小さく呟く。


「あぁ…めんどくせぇ」


 男が、頭をかく。


「大人しく来るのが”最善”だった」


「お前が”最善”を決めるな」


 サトリの声が落ちる。

 静かに。

 怒りを押し殺して。


「ほんと……めんどくせぇな」


 一拍。


「まだ間に合う」


「黙れ」


 即答だった。

 沈黙が落ちる。

 

「……話聞けよ」


 ナリマサが軽く肩をすくめる。

 大きな動きはないが、その場からは一歩も動かない。

 コトリが走っていった方向を一瞬だけ見て、すぐに視線を戻す。


 サトリはそれを確認してから、ゆっくりとナリマサへ向き直る。

 ここで決着をつけると決めたように。


「お前、誰だ?」


 サトリは落ち着いた声だった。

 呼吸も乱れていない。

 ただ、視線だけが鋭い。


「……名前、いる?」


 ナリマサは少しだけ首を傾ける。

 考える素振りだけして、すぐに答える。


「まぁいいか」


 片手を軽く上げる。


「ナリマサだ」


「……ナリマサ」


 サトリが繰り返す。


 記憶を探るように、わずかに視線を落とす。

 すぐに顔を上げる。


「……ああ」


「ノブナガの配下か」


「まぁ、そんなとこ」


 ナリマサは否定せず、曖昧に返す。

 足の位置を少しだけ変える。

 動きやすい位置に整えるだけの、小さな動作。


「ここは三日月領だ」


 サトリが一歩前に出る。


 距離を詰めるというより、立ち位置をはっきりさせるための一歩。


「お前が好き勝手していい場所じゃない」


「……はぁ」


 ナリマサが軽く息を吐く。

 空を一度見上げてから、視線を戻す。


「ほんと、そうなんだけどさ」


 頭をかきながら言う。


「こっちの事情もあるんだよ」


 一拍置く。


 お互いに動かない。

 距離も変わらない。

 ただ、様子を見ている。


「だから」


 ナリマサが少しだけ肩の力を抜く。


「……おとなしく保護させろよ」



 その瞬間——



 空気が、変わる。

 音が消える。

 風が止まる。

 砂が、落ちない。

 時間が——歪む。

 サトリとナリマサ以外、

 すべてが、止まったように。


「……なんだこれ?」


 ナリマサが眉を寄せる。


 サトリは、目を細める。


「……あぁ」


 その直後——


 空間が、静かに裂けた。

 そこに——

 女が立っていた。

 音もなく。


 当然みたいに。

続きが気になったら、ブクマで追ってもらえると嬉しいです。

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