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2話 ちゃんと見てるわ

 コトリは母に強く憧れている。

 

 それは、幼少期の出来事がきっかけだった。

 

「コトリ」

 

 茜色に染められた道で、母がしゃがみ込みコトリの肩に手置く。

 

「なんでお友達を叩いたりしたの?」

 

 いつも優しい母の目が、今はやけに鋭い。

 

「私……わるくないもん」

 

「どうしてそう思うの?」

 

「だって……」

 

 コトリは、一瞬言葉を詰まらせながら、正直に答える。

 

「あの子。私の髪の色を見て、”災いの一族”だって言ったから……」

 

「だから叩いたの?」

 

 コトリは首を横に振る。

 

「違う」

 

「じゃあ、どうして?」

 

 目を逸らすようにコトリは俯く。

 同時に涙がこぼれた。

 でもそれは、怒られていたからでは無い。

 

「……お母さんのことを、悪く言ってきたから」

 

 心につっかえてものが、言葉になると、ポロポロと涙が溢れ出てきた。

 

「そっかぁ。コトリはお母さんの代わりに叩いてくれたの?」

 

 コトリは、小さく頷く。

 

「でも、暴力はダメ」

 

 コトリは、俯き顔を隠す。

 夕日に照らされ、細く伸びた母の影だけが視界を覆う。

 

「コトリ……顔をあげて」

 

 涙を一度服の袖で拭き、母の顔を見る。 逆光で見えにくかったが、揺れる銀色の髪の奥には、穏やかな表情があった。

 

「私は大丈夫」

 

「……なんで?」

 

 真っすぐコトリの目をみて母は答える。

 

「何を言われてもいい」

 

「私はね、コトリと、サトリさんがいれば、他は何もいらない」

 

「それだけで、とっても幸せなのよ」

 

 そういって、肩に置いた手を引き寄せ、コトリを抱きしめた。


 あの日、母のように強く生きたいと、コトリの中に一つの決意が根付いた。

 

 ――夜は、静かだった。


 昼間の賑やかさが嘘みたいに、白嶺(はくれい)の里はやわらかな静けさに包まれている。


 遠くで、虫の音が細く続く。

 風が、ゆっくりと流れる。


 それだけで、世界は満たされていた。


 縁側に腰を下ろし、古小烏(ふるこがらす)コトリは空を見上げる。


 黒く広がる空。

 この世界には—— 月がない。


 夜は、どこか欠けたまま広がっている。


 どこまでも抜けていて、どこか手の届かない場所まで続いている。


 静かすぎる空は、ときどき少しだけ怖くなる。


 さらりと風が吹く。


 視界の端で、コトリの髪が揺れた。


 淡く光を返す、銀色。


 昼間よりも、夜の方がよく分かる。

 この色は、少しだけ目立つ。


「なにしてるの」


 後ろから声がした。


 振り向く。


 そこに立っていたのは、母だった。


 同じ色の髪。

 夜の中で、静かに光を受けている。


 長く流れる銀。

 風に揺れても、乱れない。


 細められた目。

 穏やかで、やわらかい笑顔。


 すべてを受け入れるような、そんな顔。


「ちょっと涼んでるだけ」


 縁側に腰を下ろしたまま、足をぶらぶらさせる。


「風邪ひくわよ」


「大丈夫だよ」


 母は一歩近づく。


 夜の空気をすべるように。


「お母さんこそ、どうしたの?」


「ちょっと心配で見にきたの」


 そのまま隣に腰を下ろす。


 縁側が、きしりと小さく鳴る。


「私は平気だよ」


「それなら良かった」


 母が、コトリの横顔をじっと覗き込む。

 

「……ほんとにもう」


 小さく息をつく。


(ねこ)って名前のくせに、心配ばっかりしちゃう」


「え、それ自分で言うの?」


「いいのよ、事実だもの」


 風が吹く。二人の銀色が、同じように揺れた。

 くすり、と母が笑う。


「もうすぐ誕生日ね」


 母が、空を見上げる。


「うん」


 コトリもつられて見上げる。


「いよいよね」


「うん」


 胸の奥が、少しだけざわつく。


「緊張してる?」


「それとも楽しみ?」


 横から、そっと覗き込むように。


「どっちもかな」


 指先で、自分の髪をくるりと触る。


「でも、ちょっと怖いかな」


「どんな子が出てくるんだろうって不安もある」


「そうね」


 母が、小さく頷く。


「千代はさ、モグを召喚したでしょ」


「ええ」


「人型だし、お話しもできて、しかも強いんだよ」


 少し身を乗り出す。


「千代ちゃん、昔から要領がいいもの」


 母は、どこか懐かしむように目を細める。


「だから、緊張しちゃう」


 視線が、少しだけ下がる。


「それはいいことよ」


「え?」


「緊張とか、怖いって思えるのは……」


 一度、言葉を選ぶように間を置く。


「コトリが、ちゃんと向き合ってるってことだから」


「……そうかな」


「ええ」


 迷いのない声。


「コトリは、お父さんに似て、変なところ真面目だから、きっと大丈夫」


「お父さんって真面目かな?」


「真面目よ」


 少しだけ肩をすくめる。


「今でも二人きりだと、猫ちゃんって呼んでくるの」


「えー。ちょっと嫌だな」


 コトリが顔をしかめる。


「そう?」


 母は楽しそうに笑う。


「私は大事にされてるって実感できて嬉しいわ」


「そういうものなの?」


「そういうものなの」


 優しく言い切る。


 その声は、どこかあたたかい。


「……お母さんはさ」


 コトリが、少しだけ声を落とす。


「なに?」


 母がゆっくりと顔を向ける。


「初めての召喚の時、どうだった?」


 風が、ひとつ通り抜ける。


「そうね……」


 視線が、遠くへ向く。


「怖かった……かな」


「やっぱり?」


「ええ」


 少しだけ目を細める。


「でも……やっぱり」


 一拍。


 ほんのわずかに呼吸が止まる。


「嬉しかった」


「嬉しいの?」


「えぇ……自分の力をちゃんと受け取ったって、分かるから」


 静かな声。


 でも、確かな重み。


「……そっか」


 コトリの肩が、少しだけ緩む。


「私も、ちゃんとできるかな?」


「できるわ」


 即答。


 迷いはない。


「コトリなら」


 その言葉に、少し照れる。


「……ありがとう」


 母は何も言わない。


 ただ、そっと手を伸ばす。


 コトリの髪に触れる。


 指が、ゆっくりと滑る。


「コトリ……」


 小さく名前を呼ぶ。


「もし」


 その手が、わずかに止まる。


「もし、何かあったら」


 指先に、ほんの少しだけ力がこもる。


「何か?」


 コトリが首を傾げる。


 母は、ふっと力を抜く。


「ううん……なんでもない」


「えーなになに?」


「大したことじゃないわ」


 軽く笑ってごまかす。


 でも、手はまだ離れない。


「……コトリ」


「うん?」


「16歳の誕生日おめでとう」


 やわらかく、包み込むように。


「え?」


 ぱっと顔を上げ、時計を見る。


「わあ!本当だ!」


 一瞬驚き、すぐに返す。


「もうこんな時間だったんだ……早く寝なきゃ」


「そうね」


 母が小さく頷く。


「明日、頑張ってね」


「うん」


 ぎゅっと拳を握る。


「ちゃんとやるよ」


「ええ」


 そして――。


「ちゃんと、見てるわ」


 その声は、優しい。


 でも、どこか変えられないものを知っているような響き。


「うん……見ててね」


「お母さん」


 少しだけ、声がやわらぐ。


「ありがとう」


 母は答えない。


 ただ、静かに微笑んだ。


 指先が、もう一度だけ髪を撫でる。


 風が流れる。


 虫の音が、遠くで鳴く。


 その夜。


 母は、いつもより少しだけ長く。


 ——離れるのを惜しむように。


 コトリの隣に、いた。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


続きが気になった方は、

ブックマークで追っていただけると嬉しいです。

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