2話 ちゃんと見てるー優しい嘘ー
夜は、静かだった。
昼間の賑やかさが嘘みたいに、白嶺の里はやわらかな静けさに包まれている。
遠くで、虫の音が細く続く。
風が、ゆっくりと流れる。
それだけで、世界は満たされていた。
縁側に腰を下ろし、古小烏コトリは空を見上げる。
黒く広がる空。
この世界には—— 月がない。
だから夜は、どこまでも広い。
どこまでも抜けていて、どこか手の届かない場所まで続いている。
静かすぎる空は、ときどき少しだけ怖くなる。
さらりと風が吹く。
視界の端で、自分の髪が揺れた。
淡く光を返す、銀色。
昼間よりも、夜の方がよく分かる。
この色は、少しだけ目立つ。
「なにしてるの」
後ろから声がした。
振り向く。
そこに立っていたのは、母だった。
同じ色の髪。
夜の中で、静かに光を受けている。
長く流れる銀。
風に揺れても、乱れない。
細められた目。
穏やかで、やわらかい笑顔。
すべてを受け入れるような、そんな顔。
「ちょっと涼んでるだけ」
「風邪ひくわよ」
「大丈夫だよ」
母は、小さくため息をつく。
でも、その目は優しかった。
「……ほんとにもう」
呆れたように笑う。
「猫って名前のくせに、心配ばっかりしちゃう」
「え、それ自分で言うの?」
「いいのよ、事実だもの」
くすりと笑う。
そのまま隣に腰を下ろす。
縁側が、わずかに軋む。
すぐ隣。
同じ銀の髪が、並ぶ。
ふと、思う。
同じ色なのに、どこか違う。
母のそれは、どこか静かすぎる。
「……明日ね」
「うん」
自然に頷く。
「いよいよね」
「うん」
胸の奥が、少しだけざわつく。
楽しみと、不安が混ざる。
「楽しみ?」
「うん」
一拍。
「ちょっと怖いけど」
母は、小さく頷いた。
「いいことよ」
「え?」
「怖いって思えるのはね」
空を見上げたまま言う。
「ちゃんと向き合ってるってことだから」
コトリは、少しだけ母を見る。
その横顔は、穏やかで。
でも——
どこか、少しだけ遠い。
「……そっか」
「ええ」
母が、コトリを見る。
優しく、まっすぐに。
その視線は温かい。
でも、ほんの少しだけ。
何かを“確かめている”ようにも見えた。
「……お母さんはさ」
言葉がこぼれる。
「最初、どうだったの?」
「最初?」
「召喚」
一瞬だけ、間が空く。
本当にわずかな沈黙。
「……そうね」
母は静かに答える。
「怖かったわ」
「やっぱり?」
「ええ」
少しだけ目を細める。
何かを思い出すように。
「でも、それ以上に」
一度、言葉を切る。
「嬉しかった」
「嬉しい?」
「自分の力をね」
ゆっくりと。
「ちゃんと受け取ったって、分かるから」
穏やかな言葉。
でも、その奥に何かが沈んでいる。
言葉にしないままの重さ。
「……そっか」
少しだけ安心する。
「私も、ちゃんとできるかな」
「できるわ」
即答だった。
迷いがない。
「コトリなら」
その言葉に、少しだけ照れる。
「……ありがとう」
母は何も言わない。
ただ、微笑む。
そして、手を伸ばす。
コトリの髪に触れる。
同じ色。
でも。
触れられると、少し違って感じる。
温度が、違う。
そっと、撫でる。
その手は温かい。
でも——
どこか、離したくないみたいだった。
「……ねぇ」
母が、ぽつりと呟く。
「なに?」
「もし」
一瞬、言葉が止まる。
「もし、何かあったら」
コトリは首を傾げる。
「うん?」
母は、ほんの少しだけ笑った。
「……なんでもない」
「えー」
「大したことじゃないわ」
軽く流す。
でも。
その手は、まだそこにあった。
優しく。
少しだけ、強く。
「……コトリ」
「うん?」
「明日、頑張ってね」
「うん」
「ちゃんとやるよ」
母は安心したように微笑む。
「ええ」
そして——
「ちゃんと、見てるわ」
その言葉は、優しかった。
でも。
どこか——決まっている人の声だった。
コトリは気づかない。
ただ嬉しくて。
「……見ててね」
「ちゃんとできるとこ」
母は答えない。
ただ、微笑む。
風が流れる。
虫の音が、遠くで鳴く。
変わらない夜。
変わらない時間。
それなのに——
この夜は、少しだけ重い。
理由は、分からない。
でも確かに、そこにある違和感。
その意味を——
コトリは、まだ知らない。
その夜。
母は、いつもより少しだけ長く。
コトリの隣に、いた。
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