プロローグ:返してよ、コトリ
地面が、悲鳴をあげていた。
ひび割れた大地の奥で、何かが蠢いている。
音じゃない。
けれど、確かに“感じる”。
——軋む。
——裂ける。
——壊れていく。
まるで、
世界そのものが限界を迎えているみたいに。
土が、靴の下で崩れる。
踏みしめても、支えにならない。
「……コトリ」
呼ぶ。
返事はない。
目の前で、動かない。
分かっている。
それでも——呼ばずにはいられなかった。
少女は、その場に膝をつく。
崩れた土に、指が沈む。
「ねぇ」
もう一度。
「起きてよ」
声は静かだった。
泣き叫ぶでもなく、怒鳴るでもない。
ただ——“そこにいてほしい”という願いだけが滲んでいる。
そのとき。
足元の土が、ゆっくりと持ち上がった。
ひびが走る。
裂け目が、広がっていく。
奥で、何かが“形”を持とうとしていた。
空気が、重い。
肺に入るだけで、息が詰まる。
抑えきれないものが、溢れ出そうとしていた。
少女の手が、ぎゅっと土を掴む。
「……返してよ」
顔を上げる。
ゆっくりと。
確かめるように。
瞳だけが、濁っていた。
「返してよ、コトリを」
その瞬間——。
空気が歪む。
世界の“形”が、わずかにズレた。
地中から、影が這い上がる。
輪郭が滲む。
揺れる。
崩れながら、無理やり“形”になる。
——獣。
いや。
それは、獣と呼ぶには歪すぎた。
長く、うねる身体。
裂けた口元。
剥き出しの牙。
未完成のままなのに、
押し潰すような存在感だけが、先にそこにあった。
まるで——感情だけが、先に形になってしまったみたいに。
「——ああ」
場違いな声が、落ちる。
軽い。
あまりにも軽い。
まるで、壊れていくものを“待っていた”みたいに。
「もうそこまで行ったんだ」
足音が、ひとつ。
乾いた土を踏む音。
「——予想より早いね」
少女は、振り返らない。
ただ、歯を食いしばる。
「……あんたのせいでしょ」
感情はない。
結論だけが、そこにあった。
背後で、くすりと笑う気配。
「どうだろうね」
女性の声。
柔らかい。
愉快そう。
でも——温度がない。
「私は、ただ見てただけかもしれないし」
一歩、近づく。
「少しだけ、手を貸したかもしれない」
少女の肩が、ぴくりと震える。
指先が、土を抉る。
「……ふざけないで」
抑えた声。
まだ、崩れない。
けれど——。
「——ふざけないでよ!!!」
弾けた。
「ふざけてないよ」
即答だった。
躊躇もなく。
迷いもなく。
「だって、本当のことだし」
次の瞬間——。
——ドォンッ!!
地面が、爆ぜた。
轟音。
崩壊。
破裂。
耐えきれなかった“それ”が、姿を現す。
龍。
そう呼ぶには、歪すぎる。
けれど確かに、それは“それ”だった。
怒り。
悲しみ。
そして——選ばされ続けた結果。
形を与えられた、感情。
少女の背後で、それが唸る。
熱が、空気を焦がす。
「……ねぇ」
少女は、振り返る。
ゆっくりと。
引きずるように。
そこにいたのは、
すべてを見透かすような目をした女。
そして——楽しそうな顔。
「満足?」
静かな問い。
女は、首を傾げる。
「んー……どうだろ」
考える仕草。
本当にどうでもいいみたいに。
「まだ、かな」
笑った。
軽い。
あまりにも軽い。
この場のすべてを、“最初からなかったもの”みたいに。
「……そっか」
少女は、小さく頷く。
何かが、決まる。
静かに。
確実に。
「じゃあさ」
一歩、踏み出す。
地面が沈む。
「満足するまで、壊してあげる」
その瞬間——。
龍が、咆哮した。
空気が裂ける。
大地が沈む。
世界が、軋む。
それでも、女は動かない。
ただ——楽しそうに、見ている。
「いいね」
ぽつりと。
「うん。想像より、いい」
子供みたいに笑う。
「やっぱり君は面白いよ」
その言葉が、最後の引き金だった。
少女の中で、何かが完全に壊れる。
「……消えろ」
低く、吐き捨てる。
龍が、再び動く。
世界ごと、引き裂くように。
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