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俺は魔法が使えない!!  作者: カリン・トウ
第二章 The Speckled Beryl / Get over it
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第二章42 EMETH①

 鋼鉄の扉の先は、真っ暗だった。

 女の子が、ぱんぱん、と手を叩くと、部屋の壁面に点在していた燭台に、灯りが、ぽっと灯って、室内がやんわりとした光に包まれた。

 そこは、大きな部屋だった。いや、部屋というよりは、重要施設のロビーという方が近いか。

 入ってすぐの所に、空港で手荷物検査に用いられる大型のユニットが設置してある。

 その左右には、透明な仕切りが設置してあって、この検問をくぐり抜けなければ、内側に立ち入れないような作りになっている。

 といっても、通電はしていないらしく、山刀を腰に下げた燎祐が通過しても、なんともなかった。ただ、レナンを抱えながらだったので、通るのに少し難儀したようだった。

 

 用を為さない関所の向こうは、ただただ部屋という空間があるだけで、長椅子もなければ観葉植物もない、合理的な無機質とでもいうのだろうか、あまりに質素に徹した場所であった。

 燭台の上で揺れる灯りだけが有機的な印象を与えた。

 

 燎祐は、別の意味で感嘆の声を漏らし、何とも言えない表情で辺りを見回していると、既にとことこと歩き出していた女の子が、部屋の右手の方から、おいでおいでと手招きをした。


「おい、こっちだ」


「お、おう。今行く」


 慌てて女の子の背を追いかけ、最初の部屋を抜けると、細長い廊下に出た。

 やっぱり最初の部屋と同じ質素に徹した造りで、壁面に装飾もなければ、調度品が飾ってあったりもしなかった。

 ただただ白っぽい壁面と、冷たいリノリウムの床が続いている。どこまでも無機質だ。


 天井には、蛍光灯が二本挿せる逆富士型の白い照明器具がくっついているものの、刺さっている蛍光灯が既に寿命を迎えているのか、肝心の灯りは一つもついていない。

 いまも燎祐たちを照らしているのは、壁面の燭台に灯る、やんわりとした光だけ。

 その光の中にあると、無機質に思える造りのこの場所も、なんだか趣があって見えた。

 心なしか、レナンの呼吸も安らいでいるように感じる。


 女の子は、先を行きながら、チラッと燎祐のほうに顔を向ける。


「もうすぐげんきだぞ、お前も私もあんしんだな」


(――私も、か。この子、本当にレナンのこと気に入ったんだな。これならもう心配はないか)


 誤って自分が逆鱗に触れても、この子はレナンだけは絶対に助けてくれる、そんな安心感が、燎祐の中に自然と芽生えていた。

 それとは別に、この子の独特な言葉も、意味がそれとなく分かってきた。


 たとえば『私が考えたことないこと』、これは少なくとも三通りの意味があった。

 一つは文字通り『考えたことがない』、つまり予想外や想定外のことだ。

 二つ目は、この子が『知らない』こと。知らないから、考えたことがないに含むのだろう。

 三つ目は、この子が『分からない』ことだ。分からないことは、考えたくないのだろう。

 女の子は、この三つを、箸を持つ手も嫌がるほど相当に毛嫌いしている。


 反対に、『私が考えたことあること』は好感触で、意味するところは『私が考えたことないこと』と正反対だ。

 なるほど、この子は、自分にとって既知のこと、自分の知る領域のことは受け入れるが、それ以外は完全にシャットアウトする、気質らしい。

 つまり、変な探りを入れようとすれば、怒らせてしまう可能性が非常に高かい、ということだった。


 そして、ことあるごとに発する「ん」という言葉。

 よく小さな子供が、言葉に出来ない不平不満を「ん」と唸って訴えることがあるが、この子はそれが顕著だった。

 また、対応する言葉が分からないからなのか、それとも面倒くさいのかまでは分からないが、「ん」を感嘆符や肯定の意味で使っている時がある。

 

(――言葉づかい全体に稚拙さがあるし、語彙も少ない感じからして、この子、やっぱり見た目通りの歳なのかな、まゆりと違って……)


 そんな小さい子供が、どうして封鎖区画に一人でいるのかは謎だったし、すみれ色の魔力色のことも気がかりだった。

 加えて、相羽の件にしろ、何にしろ、もう分からないことだらけで、解決すべき疑問が山積みだった。

 それを一人分の頭で整理するのは、流石にしんどいので、そろそろ相談相手がほしくなってきた次第で。

 しかしレナンは、まだ微睡(まどろ)みの中。もう暫くは、燎祐一人で抱え続けるしかないのだった。


 歩きながら、女の子が、「ん」と、通路の奥手にあるものを指さした。

 観音開きになるタイプの扉だった。

 これから、その中へと入っていくのだろう。

 扉の上部には、横長の表示灯が取り付けられていた。

 それが判読できる距離まで近づいた。

 表示灯には『EMETH』と書かれていたが、燎祐にはその意味が分からなかった。

 女の子は、振り返らずに燎祐に言う。


「このなか、うるさいのだめだからな」


「ああ、分かった。静かにする」


「あとな、もし、こえが聞こえたら、聞くな。あと、あいてするな。ついてくるぞ」


 燎祐は女の子の言葉に、一瞬、はてなマークを頭上に浮かべた。

 うるさいのがダメと言われたからには、この先の部屋にてっきり誰かがいるのかと思っていたのだが、明らかに、それとはまったく接点がなさそうなお話だった。

 特に「ついてくる」なんて、静かにすることと少しも繋がらない。

 しかし、女の子の機嫌を損ねたくはないので、あえて深くは突っ込まずに、浅く斬り込む。


「えっと、それってどんな声なんだ?」


「ん……、なんかふわっとしたのだ。もし聞こえたら、耳ふさぐんだぞ」


「はは…………それ無理、かな」


 その声に振り返った女の子は、一瞬、なんで?、みたいな顔をしていたが、何拍かのあと「あっ」という表情になった。

 燎祐がレナンを抱えているのを忘れていたらしい。

 ジト目だからちょっと変化が分かりにくいけれど、これは完全に「忘れてた」って顔だった。

 しかし、何かを思いついたらしく、女の子は、ポンと手を打った。


「指の、つかえ」


「……使い方、分からないんだけど」


 また数拍置いたあと「あっ」という顔になった。

 この子は、だいぶ忘れっぽいらしい。

 ジトッとした目が、下から上に、円を描くように回る。その動きに釣られて、女の子の顔が、ふわっと上にもちあがる。どうやら考え中のようだ。

 それから少しの時間を経たあと、女の子の顔が、ふわりと正面を向いた。


「こえが聞こえたら、頭のなかで、指のにおねがいしろ。聞きたくないって、おねがいしろ。頭でおねがいしたら、指のがつかえる」


 女の子は、言葉と、身振り手振りが一致してない不思議なジェスチャーを交えながら、指輪の用法を示した。

 思っていたよりもだいぶ簡単な使い方だった。

 では早速と、一つ性能を試してみようと思った矢先、女の子が、ずびしっと燎祐に指を突きつけた。


「でも、いらないおねがいするな。あと、いっぱいおねがいもするな。すぐこわれるぞ。お前の、それ、がんばってるからな」


 分かったか――とでも言いたげな眼を、燎祐に向ける。

 軽挙を起こそうとしていた燎祐は、思わず、うっ、としたが、しかしそれで、一つだけ理解したことがあった。

 

 『お前の、それ、がんばってるからな』


 いま女の子が言った、その一言は、即ち、まゆりの指輪が燎祐を護ってくれていたことを意味していた。


 まゆりは、ホログラムの映像の中で、この指輪のことを『自分が作れる一番の御守り』だと言っていた。

 事実、この指輪は、自室の机の中にしまってきたはずなのに、持ち主である燎祐の元に現出した。

 かつて、封鎖区画に誘い込まれた燎祐を救うべく、全力で追った、あの時のように――まゆりが送った指輪は、燎祐の危機に際し、世界を跳躍してやってきた。


(じゃあ、俺が瘴気(ミアズマ)にやられなかったのも、爆発に巻き込まれたのに無事だったのも……、全部この指輪が助けてくれていたからなのか……)


 たとえ未完成で不完全であっても、まゆりが指輪に込めた燎祐への想いは本物だった。


 ――と、そんな風に感傷に浸っていると、女の子が、ふんわりと怒った。


「んん~~っ! わかったら返事しぃ~ろぉ~!」


「あっ、はい! りょ、了解しました……。必要な時しか使わないようすにるよ。そういや、身につけてるだけでも、効果があるんだったもんな」


「ん。そうだぞ。だから、むりさせたら、だめなんだぞ。ん、お前、私のいったこと覚えてる。すこし、かしこいなっ」


 女の子の燎祐への当たりが、ちょっと柔らかくなっていた。

 会ってすぐは、すぐに「嫌いだ」が飛び出していたが、女の子が(一方的に)レナンと触れ合ってからは、すこし懐いてしまった感がある。

 燎祐はこれを「レナン効果」と勝手に名付けた。


「いくぞ。ついてこい」


 女の子の先導に従って、燎祐は、観音開きの扉を潜った。

 室内は、廊下やロビーと違って照明が少なく、全体的に薄暗い感じで、はっきりと奥まで見渡すことができず、広さも少し曖昧だ。

 入り口から少し歩くと、真正面にいくつもの円柱が見えた。

 近づいてみると、それは、SF映画でしか見たことがないような培養槽で、中はどれも空っぽだった。最近使われたような形跡もない。筐体(きょうたい)の下部には、金属製のタグプレートが打ち込まれており、そこには部屋の表示灯と同じく『EMETH』の文字が刻印されていたが、しかし、どの培養槽のタグプレートも、頭文字に抹線のような削り跡がついていた。


(何かの研究施設の跡なのか、ここは……?)


 その時、前を行く女の子が、パッと耳を塞いだ。そして小走りになって、部屋の奥へと急ぎはじめた。

 燎祐が、その後に続こうとしたとき、耳に、ふわっとした声が聞こえてきた。

 それは確かに誰かの声で、間違いなく話しかけられていると分かるのだが、聞こえてくるそれは人間の言葉ではなかった。

 なのに意味を正しく理解できる言語だった。

 燎祐は、その正体を知っていた。


(――――純粋言語だ!?)


 それは、この世に存在する、あらゆるものに通じる、最も純粋な言葉。

 意志と想いを、完全に伝える純粋な音。

 翻訳を必要とせず、理解するための知識も要らない、はじめから完成されている完全な言語だ。

 言い換えれば、それは、音に込められた意志の一切合切を、聞く者の理解力を飛び越えて、絶対強制的に解らせる拒絶不能の言語ということだ。


 ゆえに、耳に聞こえた声がその音が、もしも、怨嗟や呪詛であったなら――――

 発せられた怨気のすべてを、一滴も漏らさず身に受けることになる。

 

 そして燎祐が耳にしたのは、まさしく、その類いのものだった。

 言語のもつ曖昧さを補完された完全な怨気は、それ自体が強力な呪いといっても過言ではない。


(やばいっ!! この声は――――やばいッ!!)


 全身に怖気が走った。氷の手が背中に突き込まれたような気分だった。

 咄嗟に、燎祐は、女の子の教えに従って、すぐに「聞きたくない」と、念仏のように頭の中で唱える。

 すると、右手の薬指に嵌めた指輪が、ぼんやりと淡く発光して、燎祐の周囲を光膜が覆った。

 展開された光膜は、どうやら音を消す防郭魔法の類いらしく、耳に届いていた呪詛がぱたりと聞こえなくなった。

 ほっと安堵した燎祐の顔には、油っぽい汗が浮いていた。体感した限り、危険度は瘴気(ミアズマ)の比ではなかった。


「ふんわりしてるっていうから、もっと可愛いのを想像してたのに、こんな強烈なのだったのかよ……。こんなのにつけ回されたら、いつ頭が壊れたっておかしくないぞ……」


 燎祐は、引き攣った笑いを浮かべながら、女の子の背中を探すと、その姿は、部屋の最奥にある二枚扉の向こうに消えかかっていた。


 急いで後を追うと、閉まりかかっていた二枚扉が、スーッと左右に開いた。どうやら自動開閉式だったらしい。

 その向こう側に辿り着いた途端、燎祐は一瞬言葉を失った。


「――――なんだ、ここ」


 奇妙な部屋だった。

 部屋には、手術台とその周辺器具、そして培養槽が二セット分あった。

 一見すると、実験室とオペ室が融合したような感じを受けるが、妙なのは、その配置だ。

 鏡写しのように、室内の全ての器具が、綺麗に左右反転した並びになっている。

 実像の境界線こそ見当たらないものの、部屋の中央には、確かに、この空間を二分するなにかが存在していた。

 もちろん魔力のない燎祐にそれ以上のことは分からない。分からないが、その感覚だけは、確かに感じた。


「おい、こっちのにのせろ」


 女の子は、左側の手術台をぱんぱんと叩いた。燎祐がそれに気づいて手術台の方へ寄っていくと、その間に、女の子は小走りで部屋の隅までいって、ビールケースくらいの大きさのボックスを両手に抱えて戻ってきた。

 燎祐が、レナンを手術台の上に寝かせると、女の子は、持ってきたボックスの上に登った。どうやらお立ち台だったらしい。

 

「いま、わるい空気とってやるからな。もうあんしんだぞ」


 そう言うと、女の子は、両手をレナンの胸の中心に添えた。

 程なく、すみれ色の柔らかな光が、小さな掌から溢れ出し、レナンの全身を包んだ。

 燎祐は施術の邪魔にならないよう、一歩下がったところで、それを見ていると、光に包まれたレナンの身体の隅々から、黒とも紫とも付かない色をした何かが、水に突っ込んだドライアイスの蒸気のように、もわあっと湧き上がった。

 その蒸気が次から次に湧いてくるので、手術台は、いつのまにか雲海の中に浮いているかのような有様になっていた。


「こんなに吸い込んじまってたのか……」


「ん。わるい空気、きれいなちから見つけると、あつまってくるからな。でも、それだけじゃない。こいつ、じぶんのちから、わるい空気に食べられてたんだ」


「力を食われた?」


「ん。わるい空気、きれいなちから食べてふえるんだ。こいつのちから、いのちといっしょだからな、わるい空気いっぱいすったり、ちから、たくさん食べられたら、死ぬ」


「じゃあ、衰弱してたのって……」


 レナンの命がけの闘いは、封鎖区画に足を踏み入れたときから始まっていたのだ。

 そして、あの時、レナンが暴走しかかったのも、(じかん)が足りないという焦りがあったのかもしれなかった。


「でも、こいつ、わるい空気と、たたかってる。すごく、すごく、がんばってる。こいつ、つよいんだな」


 女の子は優しげに言った。

 しかし、燎祐の胸には、重く響く言葉だった。

 燎祐は目頭が熱くなった。

 鼻の奥がつんとして、拳を強く握った。


「……ああ。すごく強いんだ」

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