第二章11 漸次渦の中へ②
組んだ手の上に額を落としたレナンは、酷く気を重たそうにしながら舟山の現状とそれにまつわるエトセトラを、とくとくと語って聞かせてくれた。
内容は色々と突っ込みたいところだらけだったが、話の腰を折るわけにはいくまいと思いとどまった。
レナンは、それを我が身に起きた顛末のように語った上で、締めの句に「申し訳ない……」と添えた。
俺は頭を抱えながら、レナンが悪いわけではないと分かっていながらも、腹の中に溜まっていた言葉を吐き出さずにはおれなかった。
「数少ない霊装の打ち手だか何だかしらないけど、依頼の度にお題出して、今回は携帯電話持って行ったら会ってくれないって、偏屈過ぎんだろそいつ!? 時代を考えろよ時代を!?」
「修理完了までの間、外部といかなる手段の連絡もダメって……。それじゃあ先生に事実確認できるのは、暫く先になりそうね……」
「二人には済まないが、そういうわけで事の解決に当たっては、先生は当てに出来ないと思ってくれていた方がいい。何せ、いつ戻るかの見込みも立たないからね……」
レナンは顔を起こしながら、期待は無用だ、と俺たちに言った。
確かに、舟山が俺たちからの説明もなく、ましてやこちらのの状況について何の把握もなく、しかしナイス・タイミングで救援するなんてのは、何の連絡も寄越した覚えもないのに、単身赴任ガンギマリしたお父さんが、ビデオカメラ片手に子供の運動会にバッチリ参上仕るくらい無理がある。
加えて、外部との連絡不可。これには外部との接触も含まれるというのだから、取り付く島がない。
つまり現状じゃ、記憶違いの疑いがある三人で事実を検証しなくてはいけないわけだ。
「つーかさ、行く方も、迎える方も何でそこまで徹底してんだよ……」
「世界中の魔法機関が血眼になって所在を掴もうとしているそうでね、曰わく半分お遊びらしいが、そうやって身を隠しているらしい。ちなみに前回は指令の書かれた紙をたよりに、東アジアを散々行脚させられたそうだよ。だからか今回はまだマシと言っていたね」
「ん~~……そこまで著名な装具メイカーっていうと『ファブラリスの職人』しか思いつかないんですけど。もしそうなら、そんな人たちと先生が知り合いだって言う方が驚きかも」
「私も、その相手がはっきりと誰だとは知らないが、恐らく『ファブラリスの職人』の一人だろうと思っているよ」
「ファブ何とかって、そんなに凄いのか?」
「それはそうだろうさ。補助魔導機の原型を作った、いわば現代魔法の父たちだからね。先生も今頃はどこかの国の機関に尾行されているんじゃないかな」
「は? 追われてるって、何でまた?」
「第二次大戦後、各国が入手した、現在の補助魔導機の基礎となっているプロトモデルは、現在もなお解明に至っていない魔法出力に関するブラックボックスがあるそうなんだ。もしこれが解決に至れば、熟練した魔杖を超える補助魔導機が実現できるそうでね。難度の高い魔法の簡易化はもとより、失われた魔法が甦る可能性があると言われている」
その声に、ふむふむと興味深げに頷くまゆり。
しかし俺にはレナンの言っていることがさっぱり分からず、煮詰まっていくテーブルの空気から一旦離脱して、斜め上に目をやって一呼吸した。
時刻は昼がほど近く、太陽の燦々とした光が床に反射して、微かに二人の顔を下から煽っている。俺がもう一つ長い息をしている間に、補助魔導機の話が終わったらしく、つんつんと触るような二つの視線がこっちに向いているのに気づいた。
顔を戻すと、二人とも口を引き結んでジトッとした眼をしていた。
心中がそこはかとなく伝わってきて、なんか可愛い。
「今の俺たちに出来ることって言ったら『誰か』探しになるな。記憶の検証は先生が不在じゃ無理だろうしさ」
「いいのかい。その場合の情報源は、全て私ということになるが」
「うん。私たちは出来ることをするだけだもの。だから、レナンから聞かないといけないの。私と燎が居なかった一週間のことを」
テーブルの上に静かな停滞が降りた。俺とまゆりの視線が同じ一点を向く。
少しの間を置いた後、レナンは「分かった」と言って小さく顎を引いた。
「二人は『カリス』を知っているか?」
「うん。一応は」
「俺も名前くらいは知ってるぞ。確か変な宗教団体だよな」
「では尋ねるが、入るのは簡単だが出るのが難しいものと言えばなんだい」
「えっと、刑務所とヤクザ?」
ぽかんとした顔でまゆりが言った。
それ、間違ってはないだろうが、趣旨とはだいぶ違うと思うぞ……。
俺は話の腰がへし折れる前にレナンに声を投げた。
「カリスはオカルト教団ってことか。それも背信や脱退を許さない、キツイ類いの」
「ああ、その通りさ――――」
「――えっ!?」
今一瞬、レナンの声を割って、まゆりのビックリボイスが聞こえたのは多分気のせいだ。
「――――この一件には、そのカリスが絡んでいるっ!」
レナンの凜とした声がテーブルの空気を打った。
俺とまゆりは、互いに驚きに染まった顔を突き合わせたが、その意味が異なるのもまた気のせいだ。
それにしても、あまりの急な話に、どう理解すればいいのか困った。
『誰か』失踪の件にオカルト教団が関係している、これがイコールで俺たちの記憶改変とどう繋がるのか、まったく見えてこない。
俺は再び視線をテーブルの上に戻した。
「続きを話してくれ。まだ全然状況が飲み込めない。どうしてオカルト教団なんぞが出てくるんだ? どういう関係が――」
「えっと燎、その質問は違うと思うの」
ふわりとした声が待ったを掛けた。俺はその意図が分からずに隣を見た。
まゆりは真っ直ぐにレナンを見ている。
「カリスと失踪の件が関係しているとして、一生徒がそんな裏の事情に明るいとは、私には到底思えないの」
「…………」
「前に先生は、レナンのことを八和六合の頭領の「傍仕え」って言ってた。決闘の時は、やることがあるって言って先生と学校に残ってた。そして今日、今この話のこと――――。レナンは一体何者なの?」
まゆりの声には、問いを拒むことを許さぬ響きがあった。
レナンは、場のシンとした空気を、すぅーっと鼻から吸い込んで、気を落ち着けるようにゆっくりと吐き出した。
口を開いたのはそれからだった。
「私は、八和六合の御庭番、平たく言えば、頭領直属の監察官だ。と言っても、扱いは末席も同然だがね。今回はカリス関連のことで内偵捜査を進めていた」
なるほど。耳にして、舟山が『妙に勘が鋭い』って言っていた理由が分かった気がした。
と、俺が感心している横から、まゆりは問いを重ねた。
「失踪と内偵捜査はどう関係しているの?」
「カリスとタ■■■には切っても切れない因縁があったんだ。それを知っていた私は、捜査協力を求めた。解決への早道と思ってね」
さっきにも増して『誰か』の名前にノイズが掛かって聞こえたが、今は敢えて無視することにした。
「結果、裏目に出たってことか。一つ聞くが、その因縁ってのは何だ?」
「それを話す前に私からも確認するが、二人は、カリスがオカルト教団と呼ばれるようになった所以を知っているかい」
その声に、俺とまゆりは小さく首を振った。
カリスを知っていると言っても、いつかのテレビ番組で聞きかじった程度のものだ。
独自に色々と学んでいるまゆりも、そこの辺りは同じだったらしい。
「では順を追って説明しよう。少し長い話になるが聞いて欲しい――」
そう言ってレナンは、カリスの歩んだ栄枯盛衰を俺たちに語った。
声に聞き入っている間に時計の長針が一回転ほどしていた。
宗教的なカリス像の大体は掴んだが、しかし謎なことがあった。
話のなかに幾度も登場した『御業』の奇跡を使えば、今のカリスの凋落など丸っと無かったことにできそうなものだが、どうしてそれを成せなかったのかが分からない。
加えて、そこまでの奇跡の力がありながら、歴史の表舞台に立てなかったというのも不可思議だ。
いくらキリスト教が民衆の中心にあったと言っても、広範に拡大したのはキリストの死後から三百年近くあとの話で、同時期には、それを凌ぐ有力な宗教が他に幾らもあった。
例えばキリスト教が誕生した時代、ローマ帝国には皇帝を『神の子』として崇拝する慣習があったし、また二百年頃にはイシス信仰というのもあって、これは当時のローマ全域に浸透していた。
つまり、レナンから聞き及ぶカリスの話は、史実にそぐわないのだ。
とかなんとか、もの思いに耽っていると、レナンの蒼い瞳が、俺の視線を誘うようにこちらを覗き込んだ。
「ダーリン、その顔は、どうしてカリスが日の目を見なかったか気になるみたいだね」
「読心術でも使えるのかお前は。いや、まあ、実際そうなんだけどさ」
「ふふん、ダーリンの心くらい読めるさ。何だったら朗読して聞かせようか」
「よせ。そして出来れば普段のところもちゃんと読んでくれ」
「軽い冗談だよ。話が詰まりすぎているし、少し息抜きも必要だろう?」
「あ、あの、読心術のお話を詳しくっ!」
まゆりは真剣な面持ちでレナンに尋ねた。
目を見る限り結構マジだ。
しかし、なぜそこに食いついた。
「ふふ、それはまたの機会にでもレクチャーするよ。では、どうしてカリスが台頭できなかったか、だね。なに簡単な話さ、彼らの御業は、それほど珍しい存在というわけでもなかったんだ。当時はね」
「どういうことだ? 御業がカリスの地盤を築いたんだろ?」
「それ自体は間違っていないよ。けれど、形成された時期が違うんだ。カリスが確固たる地位を確立したのは、もう少しだけ後の時代になる。それと、カリスはもともと、知識階級や富裕層を相手にしていたのもあって、庶民全般を分け隔てなく受け入れていたキリスト教と比べれば、その勢力はずっと劣っていたんだよ」
「ん、じゃあ、カリスは全然目立ってなかったてことなのか? そんなすげー力があったてのに?」
「その通りさ。実はキリストが活動していた時代、そういった奇跡はさほど珍しくなかったんだ。例えば、福音書にも名前が上がる、ティアナのアポロニウスがそうだね」
「あっ、その人知ってるかも。確か死者を蘇生したり、怪我を治癒したり、不思議な奇跡を起こせたっていう。同じ時代に、空を飛んだ魔術師シモンもいたと思ったんですけど」
さっきまでとは打って変わって、水を得たように活き活きするまゆり。
魔法っぽいのが絡むとやっぱり強い。
「しかし、そういった奇跡は、どういうわけか時代が進むにつれ徐々に姿を消していったんだ。そしてカリスの御業だけが残った、というのが本当のところじゃないかと私は思っている。あとはさっき話た通りだよ」
そう言ってレナンは、カップを口に付けた。
俺もつられてカップを持ち上げたが、中身が空っぽなのを忘れていた。
まゆりが、横からお茶を注ごうとしてくれたが、手にしたポットも殆ど空だったようで、新しいのを淹れ終わるまでの間、ちょっとしたブレイクになった。
けど、レナンも話疲れてか、お茶を淹れて直ぐには話を進めようとしなかった。
していると、窓の外からチャイムの鳴る音が聞こえた。
壁掛け時計を見たら、時刻は十一時五十分を回っていた。
レナンがカップを置いた。
ふぅ、と一息つきながら目を閉じ、それからゆっくりと瞼を開いた。
「失踪の件について話そう」




