第一章16 『烈火』 ②
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燎祐が舟山にサンドバッグにされている頃――――。
部室ではまゆりとタクラマが、テーブルを挟んで向かい合わせに座って、紅茶とお菓子を愉しみながら談笑に花を咲かせていた。
話題はもっぱら音楽のことで、実はそっちの方面の趣味が合うのだ。
二人は特にロックを好んで聞いている。
反骨精神が旺盛なタクラマはともかく、まゆりの場合、幼いふんわりした見た目からはちょっと想像できないが、これでも実はなかなかのコアな支持者。
元々は燎祐の影響で聞き始めたものだったが、今では一度語らせてしまうと楽しく三十分は喋り倒すくらいになっている。
そんなわけで話題には事欠かない。ここ最近の放課後は毎回こんなだ。
ところで今日は、いままで、なんとはなしに聞けなかったことをタクラマに口にしてみた。
「タクラマって、顔の骨格がMR.BONEのボーカルに似てると思うんだけど、実は身内だったりするの?」
小さく首を傾げて、目をぱちくりとする。
まゆりはこれが気になって仕方なかったようだ。
そのことに、なんとなくだが、確信めいたものは感じていた。
とは言え、日本人からした外国人が大半同じに見えるように、亜人を見たって、よっぽど特徴に偏差がなければ全員同じに見えてしまうことには変わりなく、もし違っていたら悪いと思い、自信を持って言い出せなかったのである。
その辺りのことは、まゆり自身もよく外国人(子供)と間違われて、なんだか残念な思いをしていることも背景にあった。
「カカカカ、流石はまゆっち良く見てるぜ。そーよ、実は俺様、あの野郎の身内も身内よ。なんたって孫なんだからよ。おおっと、これ、ミンナにはナイショだゼ?」
口元に指を立てて、光る眼を一つ閉じて、彼なりのウインクをしてみせた。
まゆりはぱあっと目を輝かせて、タクラマに詰め寄った。
「ほんとに?! ほんとのほんとなのっ!?」
「どーどーどーまゆっち。俺様ヒミツって言ったばっかりろォ? でもま、そんなにホットなファンだってンなら、今度あの野郎からサインの一つでも貰っといてやるよ。楽しみにしとけな」
彼の言葉にまゆりは、うん!、ととびきりの笑顔を浮かべ、その後ろに花をいっぱいに咲かせていた。
見ているだけで嬉しさが空気を伝って来るようだった。
その屈託のない笑顔に、妹ってのはこんな感じなんだろうか、とタクラマは思った。
まゆりはご機嫌になって、ふんわりした音色でハミングしながら、暖めておいたポットに茶葉を入れていると、
コンコンコンッ
部室のドアがノックされた。
二人はゆっくりドアの方を見た。それから顔を見合わせて、口を噤んだまま「誰だろう?」と、今一度ドアの方を見た。
すると――――――――
コンコン………………ドンドンドンドンッ!!
キ、キィ……ドドドドドドンッ!! ドゴッドンッ!!
ドォッォオォォォン!! ッドォォッォン!!!
ゴンゴンゴン!! ガンッ!!! ガンガンガンッ!!!
((これ絶対イルルミさんだああああああぁぁぁーーーーっっ!!!))
あたかもホラー映画を踏襲したような執拗かつ激しいノッキングに、二人は戦慄を禁じ得なかった。
もはや疑いようもない。ドアの向こうにイルルミ・レナンがいる!!
まゆりは手の中のものを一旦テーブルの上に置き直し、タクラマと共に動静を見守った。
すると扉を打つ手がパタリと止まった。はて?、と二人揃って首をひねる。
「諦めたのかな?」
「と、思いてえけどなァ……」
けれど、その可能性は極めて薄かった。
と言うのも、この部室棟に限らず、構内の至るところに探知妨害の魔法が仕掛けてある。
無論、急襲に備えてのことで、一日でも発覚を遅らせようという魂胆だった。
相手はその予防線を突破して、ここを探り当てたのである。
ならば、そう易々と引き下がるとは考えにくい。
寧ろ、俄然やる気を漲らせているのではないか、とさえ思えてくる。
「どーするよ、まゆっち?」
「えっと、とりあえず障壁で扉をブロック――――」
二人が密かに小さな作戦会議を始めた瞬間、
――――――――ッッドゴォォオオオオン!!!
安堵をブチ抜く大快音が響く。
途端、ドアが手裏剣のごとく大回転しながら部室内へぶっ飛んできた。
それをまゆりは造作もなく魔法で静止させ、その場にパタリと寝かせると、ドアの飛んできた方向へと目をやった。
しかし何やら、カラカラ、と足下で音がしたので、ふと目をやると、脱落したタクラマの顎が落ちていた。今のに驚いてポロっと取れたらしい。
魔法で拾ってあげると「おっと、すまねえ」と返ってきた。
二人は再び入り口を注視する。
ドアを失った入り口には、もうもうと煙が立ちこめており、その中に拳を振り抜いた格好で止まっている陰があった。
陰は二人の視線に気づくと、纏わり付く煙を散らすように自ら歩み出て、その正体を晒した。
「え」
「なっ」
先ず目についたのは、スラッとした手足。
そして女子にしては丈のある、百七十センチに届きそうな上背。
それを雅に彩っているのは、和を彷彿とさせる長い緑の黒髪。
赤いバンドでポニーテールに結われ、歩くたびにさやさやと揺れている。
それだけでも息をのんでしまいそうだった。
二人を見つめる少女の瞳は蒼く、訝しみの中にさえ澄んだものがあった。
その容貌は、まさしく大和撫子と呼ぶに相応しい。
相応しいのだが……、何故か、その身なりだけは『雅』とか『撫子』とは対極に位置していた。
言うなれば遊んでる感バリバリのJKだった。
まだ春も中頃というのに、ワイシャツは半袖、そして夏真っ盛りかというほど胸元が緩く開いており、それを申し訳程度に閉じているのは男子用のネクタイ。
スカートの丈もなかなか短く、靴下に至っては履いてない。
もはや何かの手違いとしか思われない、両極端を合体させてしまったアンバランスなその出で立ちは、まるで大和撫子の息の根を止めたようであった。
あまりに予想と違いすぎる衝撃的なシルエットに、二人は思わず息を詰まらせた。
その反応とは関係なしに、女子生徒は何食わぬ顔で、つかつかと二人の方へ歩いてくる。
「君たち、舟山先生を知っているな。何処にいるのか教えてくれないか」
全てお見通しだ、とでも言いたげな口ぶりだった。
タクラマの首筋にヒヤリとした緊張が走った。
舟山が「勘が鋭い」と口を酸っぱくしていたのも、強ち嘘ではなかったらしい。
しかし、大和撫子を死に至らしめるその格好が、彼女の凜とした挙措とこの上ないミスマッチを起こしており、そのせいで、まゆりは込み上げる笑いを堪えきれず、つい吹き出してしまった。
「ん……なにかおかしいか?」
「ご、ごめんなさい。ちょっと個性的だったから」
悪く言えば変質者である。
それを斯くも便利な言葉でやり過ごすまゆり。
なるほど、あまねく危険ワードを置換できる「個性的」という言葉は21世紀最大の発明かもしれない。
「あなたが先生の言ってたイルルミさん?」
「お、おいまゆっち!?」
制止するタクラマに、まゆりは「隠したって仕方ないわ」と口にして、彼女をテーブルに招いた。
それから途中だった給仕に戻って、レナンに、淹れたての紅茶と今日のお茶請けを出した。
タクラマは「どうなっても知らねえぞ」と二人に背を向けて、壊れた部室のドアを直し始めた。
一見すると冷たい反応だが、それは彼なりの『任せた』のサインだった。
「私は久瀬まゆり。イルルミさんのことは先生から聞いてました」
「そうか。君は『まゆりん』と言うのか、親切心痛み入る。ご承知の通り私はイルルミ・レナンだ。年の上下は関係なく、レナンと呼んでくれて構わない」
早速あだ名で呼ばれたことに、また笑いがこみ上げてきたまゆり。
実は昔にも一度、同じ呼び方を同じようなタイミングでした子が一人居たのだ。
それでだろうか、不思議とレナンに親近感が湧いていた。
「それで先生はどこにいるんだ、まゆりん?」
「今はレナンの対戦相手を連れて修行中です。まだ全然見込みないみたいなので」
「ふふん。舟山先生め、やはり私から隠遁する気で…………ん、ゑ?! 修行っ?! なんで今!? 弱いのその人?!」
凜とした居住まいを急に失って、慌てたようにレナンが尋ねる。
そのストレートすぎる表現には、まゆりも苦笑を浮かべるしかなかった。
「なんでって言われても、魔法が使えないからとしか。理由は分からないんだけど、もともと魔力を持っていないので」
「――――なっ……そ、そんな馬鹿な…………魔力がないだって……!?」
あり得ない、とでも言うようにレナンは立ち上がった。
修行の件で動揺していたのもあったが、しかしそれ以上に、まゆりの今の言葉はレナンの感情を大きく揺さぶった。
それも当然の反応だった。
魔力は『命の根源』と深い関わりがある。
ヒトの場合、魔力は、命の限り生み出され続ける。
例え枯渇することがあっても、決して『ゼロ』となることはない。
そもそも「魔力がない」なんてこと自体がないのだ。
もし本当に「魔力がない」とするならば、それは落命していることと同義であり、則ち死した肉体であるということに外ならない。
生命において「魔力がない」とはそういうことなのだ。
「…………事実か、それは?」
レナンの威嚇にも似た質疑に、曇りのないエメラルドの瞳が肯定する。
しばしの沈黙が場を包んだ。
先に口を開いたのはまゆりだった。
「私の一番大切な人のことだもの。嘘はつかないわ」
揺らぐことのない真っ直ぐな瞳がレナンを見つめる。
そんなまゆりを見て、レナンは勘ぐるのをもうよした。
レナンは気を落ち着けてソファに座り直し、出されていた紅茶に手をつけた。それから一息ついた後、まゆりに尋ねた。
「まゆりん、差し支えなければ教えてほしいのだが。その人は、本当に私と戦う気があるのかな?」
「その気がなかったら、毎日修行なんてしてないと思うんですけど。でも、先は結構長いみたい。だから直ぐにでも戦うっていうのは無理かなって。いま強くなろうって必死に頑張ってるところだから、できればレナンに、待ってあげて欲しいの」
まゆりは敢えて強くはいわなかった。
是が非でもと頼み込む真似もしなかった。
ただ相手を信用して、全部を打ち明けて、それで判断してもらおうとしていた。
それを聞き終えてから、レナンが答えを出すまでには少しだけ時間を要した。
その間、また緊張した空気が場に流れた。
「…………まゆりんは、本当にその人が大切なのだな。だが、それでも私は戦いたい。彼がいかほどのものか試したい。私は、真っ直ぐな君の精神に、嘘はつかない。これがこの身の本心だ」
レナンの凜とした声が慈悲もなくまゆりの耳朶を打った。
「……だが弱者との手合いは私の望むところではない。いま私の前に立つほどでないというのなら、立てるまでになってもらわなければ困る。時が必要だと言うのなら、必要な時を存分に費やして、必ず私の前に立って貰いたい。それまで勝負は待とう。ふむ、どうやら偶然にも利害が一致しているようだ」
レナンは片目をつむって惚けた風に言った。愁眉を開いたまゆりは表情がふわりと緩んだ。
「んふふ、偶然に感謝しないと」
そもそも譲歩してくれるなどとは露些かも思っていなかっタクラマは、まゆりのネゴシエーションに、頭部をぐるんと百八十度回転させて、脱帽ならぬ脱顎していた。
その直後、立て直し中だったドアの下敷きになって潰れた。
まゆりとレナンは思わず吹き出した。




