第一章17 『烈火』 ③
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レナンが部室にやってきて1時間ほどが経った頃、舟山が燎祐を連れて転移してきた。
普段通りの舟山とは対照的に、燎祐の方は完璧に白目を剥いていており、転移の直後にバタリと倒れた。ボロ雑巾の有様だった。
「りょ、燎――――?!」
まゆりは目を丸くし、あたふたと駆け寄って、燎祐をいつものふわふわした魔法ベッドの上に寝かせると、直ぐに治癒の魔法を始めた。
タクラマとレナンはその様をソファーから眺めていた。
「燎祐の野郎、戻ってきた早々これたあなァ」
「彼が? これはまた手ひどくやられたものだな」
レナンは苦笑交じりに燎祐の苦労を讃えた。
そして彼が本当に自分と戦おうとしているのだと確信して、相好を崩した。
「私と戦う前にどうか潰れてくれるなよ」
「ハハハ、そうなんですよー。彼は結構頑張り屋で、私もかなり無茶をさせしまって、このままじゃ擦り切れミンチになるところで――――――って、げげげえっ!! イルルミさん!!? な、ななん、なんでここにィィィィッ!!」
まさかの来訪者の存在に最後まで気づいていなかった舟山。
自分のレスポンス先に目を留めた途端、押し黙るどころか盛大にブチ撒けた。
そして、予て言い聞かせておいた二人の顔を交互に見回した。
その眼からは「どうしてこうなったんですか!?」と訴えているのが、鈍い子からしても明らかだった。
あの舟山がそれほど狼狽していた。
「あ、あああっ、あなたたち分かっているんですか!? イルルミさんは誰彼かまわず決闘ふっかける戦闘怪物なんですよ!! 拳は人を問わず、打あるのみとか本気で言ってる、撲殺を司る仏陀なんですよ!? しかも傲岸不遜と傍若無人を合体させて額縁に飾ったような万年ぼっちですよ!! こうなった以上もう猶予はありませんからね!?」
取り乱したように捲し立てる舟山。最初と最後以外は悪口でしかなかった。
それにしても舟山のこのビビり様はなんなのかと、まゆりとタクラマは小首をかしげる。
レナンは閉じた瞼の上で、眉を小刻みにひくつかせながら舟山の前に立った。
「ほぉー。余さず聞こえているぞ舟山先生。それとも敢えて聞かせているのかい?」
「ひっ、ひぃぃぃぃっ!!! まだいたんですかぁぁぁ!! あっ、じゃ、私が帰ります!!」
状況を不利と見て転移を諮ろうとした舟山。
しかしその全身を縄のような火の戒めが瞬時に拘束。そのまま引き倒されて、レナンの足下にゴロンと転がされた。
「ぬわああーーーーーー!!! ひどいーーーー!!」
普段なら脱出手品さながらにポンポン抜け出す舟山が、どういうわけかチリチリと焼かれながら藻掻いている。
「あちーー! あっちーち!! 分かりました! 逃げませんから! もう逃げませんからこれ解いてくださいーー!! うぉあぢぃぃぃーーーー!!」
悶絶し跳ね回る舟山。レナンは、絶対だな?、と念押ししてから戒めを解いた。
舟山は酷い目に遭ったとばかりに体をさすった。
縛られた痕からプスプスと煙が上がっているのを見るに、拘束以外にもダメージがあるようだ。
「はあーあ、これだから脳が筋肉細胞のイルルミさんとは関わりたくないんですよー、まったく。その辺でナパームでも食べて爆発してくれませんかね」
「丸聞こえだぞ舟山先生?」
性懲りも無くいけぞんざいな口を利く舟山を、レナンから飛んできた炎がヒュパッと拘束した。
そしてまた床に転がされて直火焼きになっていた。
「焦げるぅぅぅーーーーー!! あづいぃぃぃーーーー!! ウェルダン反対ーーー!!」
「ふふん、どぉれ裏っ返すとするか」
レナンの足で転がされ、ヒーヒーと悲鳴を上げる舟山。まるでそういうプレイだった。
それを傍で目の当たりにしているタクラマとまゆりは、思わず眉を潜めた。
「あの炎の縄みてーの……魔法じゃあねーぜまゆっち……」
「……魔力特性にも類似してるけど、根底から全く違うものだわ」
じゃあ「何だ」と答えを探してゴニョゴニョとし出す二人。
そんな折り、まゆりのふわふわ魔法の中で目を醒ました燎祐が口を開いた。
「……あいつがイルルミ・レナンか」
「燎っもう起きられそう?」
「あぁ。回復サンキューな」
燎祐はまだ本調子でないようで、のそっと身を起こし、悪酔いしたみたく額を押さえて二度三度頭を振ったあと、ゆっくりとレナンに視線を向けた。
彼の動向に自然と部室内の注目が集まった。
しかし先に口を開いたのはレナンの方だった。
「さっきまで私は、君の虚像を見ていた。しかし、いま実像を見て確信したよ。あの籠手に見合う器だったと。故に、是非に手合わせを願いたい」
レナンの声には十分な気迫が籠もっていた。
少女の蒼い瞳は炎のように燃え上がり、燎祐だけを見据えている。
彼女の全身から立ち上って見えるのは、オーラ然とした紅蓮に燃える紛れもない炎。
その熱気は部室内に居るものに、緊張と渇きを等しく与えた。
皆が目の前の少女一人に沈黙を強いられる中、燎祐が口を開く。
「俺は常陸燎祐、お眼鏡にかなって光栄だ。ところで今の俺はアンタと仕合うに足るのか?」
燎祐の言葉は暗に『今この時か?』と聞いているのと同じだった。それに対しレナンは告げる。
「それは君自身が決めたらいい。勝負はその時まで預けるよ。一方的な申し入れを聞き入れて貰った、私なりの持てなしだ」
「分かった。なら明日から七日後の放課後にしよう」
溜もなくスパッと言い切った燎祐の言葉に、場の全員が目を皿のようにして驚いた。タクラマに至っては顎がスコンと外れている。
その空気を差し置いて、レナンは闘志を滾らせた武辺者の顔つきをして、改めて熱い視線を燎祐に送った。
「君の言葉、聢と相違ない――――――」
「ストーップ!! ストーップ!!!」
既に自由になっていた舟山が、レナンを遮って、突として場に躍り出た。
「ちょっと常陸くぅぅぅぅぅぅん!? ナニをナニって言ってくれっちゃってるんですかああ!! あとたった7日で、そこの血も涙も心もない、ミラクル・ボッチのイルルミさんと戦闘るなんて、そんなの無理無理ムリのでんでん虫ですよ!!! アレは人に暴行を加えることでしか生を実感できない生粋の蛮族なんですよ!! 今の段階の君なんか、一瞬で全身の骨を砕かれて無慈悲に軟体動物に変えられちゃいますって!! どうか考え直してください!!」
小規模噴火のように捲し立てる舟山。
是が非でもレナンを拒もうという姿勢以上に、ディスリスペクトが酷い。
しかも言外に発している舟山の異様な必死さは、もはや天敵の証明に他ならなかった。
それでも、なんとか燎祐を思い留ませようと、舟山が目一杯にディスりながら説得を試みたものの、しかし天敵の蛮族にジロリと一睨みされると、顔を青白くして石膏像のように動かなくなってしまった。
蛇ににらまれたカエルとはこのことか。
燎祐は向き合った蒼い瞳に告げる。
「言ったとおり明日から七日後だ。雨天その他は応相談だがな」
「ふふふ。相わかった。心待ちにしていよう」
不敵な笑みを浮かべ、レナンは、すたすたと部室の端っこへと歩いて行った。
その姿に一同が首を傾げていると、レナンは部屋の隅から「あぁ、それから――」と発した途端、彼女の姿が掻き消えた。
「――――?!」
直後、レナンの姿は燎祐の真ん前に出現し――――燃え盛る拳を一閃した。
「これは餞別代わりだ。特訓の時の参考にするといい」
燎祐が気づいたとき、レナンの拳は頬の横を、とっくに通り過ぎていた。
視認は疎か、全く反応できなかった。拳が擦過した事実さえ、今知った。
それは部室に詰めていた面々も々で、誰も、何が起こったのか見えていなかった。
緊張に揺れる燎祐の顔に、レナンの拳が作った熱風がビュウと吹き付ける。
「は、はは……こいつは、やる気出さないとなっ!」
とんでもない参考資料を出されても、燎祐の心は二つに折れたりはしなかった。
彼の空色の瞳には、寧ろ力が入るとさえ思わせる光が宿っていた。
レナンは心中で笑みを浮かべた。心底愉快だと感じていた。
しかし表情や声には一分も滲ませず、引き戻した拳でもっていきなり燎祐の胸倉を掴んだ。そして力任せに顔を近づけさせると、変わらぬ気勢で、更なることを言い放った。
「では、君が今以上にやる気を持って取り組めるように、敢えて先に教えておこう。実はこの決闘、互いの身を賭けることになっている」
「…………身を賭ける…………どういう意味だ?」
鼻先にレナンの顔が更にグッと近づく。
「なに簡単なことさ。君が勝てば私をくれてやる。しかし負ければ私と婚約、即ち君に私を娶ってもらう。実はそのように、送った『カード』に術を仕込ませてもらっていた」
「なっ――――」
「【雪白の誓約】と言ってね、誰もこの誓いを破ることは出来ないんだ。術は君が『カード』に触れた時点で成立している。この意味が分かるね?」
しかしその言葉は、燎祐ではなく、まゆりを凍り付かせた。
「雪白の、誓約……そんな、どうして……」
まゆりの両目は、愕然と見開かれていた。
それは【雪白の誓約】なるものの意味を理解していたからであった。
雪白とは『号』のこと。
『号』とは窮極へ辿り着いた魔女に与えられる称号のこと。
『号』を持つ魔女とは、即ち、魔法の絶対の支配者。
たとえ世界最高位のクラスに座しているまゆりであっても、その名には戦慄を禁じ得ない。
その魔女が、手ずから作った『誓約の形』に燎祐が触れてしまった。誓約に同意をしてしまった。
それはもはや、運命そのものを握られたに等しく、他の道は存在していないと告げられているのと変わらなかった。
「うそ……でしょ…………」
まゆりの瞳が、ここではないどこかを幻視しているかのように揺れている。
その動揺を嗅ぎ取っていながらも、レナンはどこ吹く風かとばかりに、燎祐の瞳に熱い視線を注いでグイグイと迫った。
ますます近づいてくる雅な顔に窮し、燎祐が上ずった声を上げる。
「は、はっ?! 誓約!? 婚約!? お、お前、な、なにを言ってんだ!?」
「言葉通りだよ。言っておくが我が家庭は人外故に人の婿養子は取れない。よって私が嫁ぐ。異論はあるまい」
「あるに決まってるだろおおおおおおおおお!? 馬鹿なのお前!?? 頭の中にヘチマでも入ってんの!?!? つーか娶れって、おま、自分で人外選んだんじゃなかったの!?」
「ふふん、こう見えて家事はなかなか得意だぞ。料理なら和食には自信がある」
人の話を聞かないのは八和六合の十八番か、淡々とセールスポイントを詰めだすレナン。
「知るかあああ!!! 俺は魔法使えるようになって、まゆりと結婚するんだよおおお!!」
もはや言わせっぱなしにはしておけず、恥ずかしげもなく心中の想いを盛大に大暴露する燎祐。
しかしその時、レナンは彼から引き出したその言葉を待っていたとばかりに、口角を釣り上げた。
「ほぅらやる気が漲ってきただろう? ふふふふ、楽しみかな楽しみかな。君は果たして一体どれくらい強くなってくれるのか、胸が躍って今から待ちきれないよ」
目の前で蠱惑的な微笑みを浮かべるレナンに、燎祐は息を詰まらせた。
瞬後、レナンは急に勇壮な顔を作って、フと小鼻を鳴らし、燎祐の胸から手を離した。
そして、ゆったりとした足取りで部室の戸口へと立ち、扉に手をかけた。
「あ、あのレナン!?」
去り行かんとする背に、まゆりが戸惑いの声を上げた。
その表情は硬く、胸においた手は震えていた。
レナンは視線を向けようともせず、背中越しにまゆりの声を聞く。
「じ、自分を賭けるって……、燎と婚約って!? なんで?!」
「当事者の間で既に決まったことさ。水を差すのは無粋だよ」
でも!、必死に食い下がるまゆり。
その声はほとんど悲鳴だった。
それでもレナンは声だけを差し向けて振り返らない。
「君が彼を大事に想っていることは承知しているよ。しかし、敢えて言わせてもらおう。君の『好き』は未だ『恋』じゃない。君は未だ彼に『恋』してない」
「なにを、言ってるの…………」
「そして君たちは未だ恋人じゃない」
「だから何を――――」
「私は遠慮はしないよ」
強まるレナンの語調に、首筋にひやりとしたものが流れた。
まゆりの呼吸が速く、荒くなる。
「ちゃんと、話し、て……なにを、なにを言って――――」
「話は聞いていたろう。なら、言うもおろかさ。もしも誓約を拒むというのなら君たちはこの戦いに全力を尽くすことだ。さもなければ私が奪ってしまうよ、君たちの一番大事な人を」
凜とした響きが小さな胸を撃ち抜いた。
その衝撃に、エメラルドの瞳が愕然と見開かれる。
「う……奪…………う…………燎を…………」
まゆりは酷い目眩を起こしたようにふらついて、視線を宙に彷徨わせた。
その姿を側目でチラリと窺ったレナンは、口の端を持ち上げ、誰からも見えないところで嬉笑を浮かべていた。
「では明日より七日後。また会おう」
凜とした響きが風に乗る。
そしてレナンの背が扉の向こうに消えると、まゆりは胸を押さえたままぐらっと体勢を崩した。
「まゆりっ!?」
慌てて燎祐が抱き留め、腕の中で小さく揺すってみるが、その体は虚脱しきっていた。
「お、おい、どうしたしっかりしろ?!」
彼のどんな呼びかけにも応じることはなく、まゆりは完全に気を失っていた。
まるで、事切れてしまったかのように。




