25. 「無事に戻ってきたと言えるのだろうか?」
さすがに一人で入る勇気はなく、凜子と湯藤が二人一緒に入ったのは二階奥にある客室だった。
ここには西側の階段から二階へ上がると、奥の部屋から足の無い女が襲いかかってくるという噂がある。
だがまぁ二階に上がっても何か出てくることもなく、恐る恐る覗き込んだ部屋も壊れたベッドだけがあるがらんとした部屋だった。
「何にもないよね……」
「……でもちょっとここ、変じゃない……頭なんか痛くなる……」
部屋に入った途端、湯藤が顔をしかめる。
しかし当然、二人が足を止めることはなかった。
なにせ山の中だ。気圧も平地とは違うし、そうでなくてもこんな場所に長居すれば気分など悪くなって当たり前だ。
怖い。
怖いが、探索を止めるほどの恐怖ではなかった。
一、二歩と凜子は部屋の中へと足を進める。
三歩、四歩。
五歩、進もうとしたときだった。
誰か、何か。
いや、誰かの腕が。
凜子を後ろから思い切り引っ張った。
「きゃああああああああああ!!」
「っ! なになになに!!」
その瞬間、悲鳴を上げて凜子は部屋から飛び出した。
凜子の悲鳴にパニックに陥った湯藤もそれに続く。
凜子たちを後ろから撮っていたスタッフも飛び出してきた二人に驚き、それにつられるようにともに逃げ出した。
「りんこちゃん! ゆとちゃん!」
「大丈夫ですか!?」
飛び出してすぐ、近くで待機していたスタッフたちが駆けつける。
「いま、いま、おなかっ……!!」
「りんこちゃん、大丈夫だよ。落ち着いて」
たまらず泣き出した凜子を、友近が抱きしめて背を撫でる。
「何があったの?」
「わか、わかんない……りんこちゃんが、叫んで、逃げたから……」
「なっ、中! いま、後ろから、お腹引っ張られた!! ぐって、べ、ベルトごと引っ張るみたいに!!」
「誰かいたの?」
「いなかった、いなかったよ……!」
現場に緊張が走った。
呼吸すら怪しいほどに怯え。泣きじゃくる凜子の姿は、気のせいだと言うにはあまりにも切羽詰まっている。
「……見てきますか?」
「そう、だね……遠藤くん、人はいたの?」
「いません。二人の背中からですが、人の姿は見えませんでした」
人ならば物理的な危険もある。すぐに出て警察を呼ぶべきだ。
だが何もいなかったのであればここで引くという選択はない。そのために今日、カメラを持ってここに入って来たのだと言っても過言ではないのだから。
六十センチほどの三脚を借り、カメラをスタッフに任せて友近が先陣を切る。そのすぐ後ろに万が一に備えてスタッフが続く。
何が起きてもいいように、警戒と緊張をにじませたまま友近が部屋の中を見た。
だがそこは何もない、ただの廃墟の一室だった。
本当に何もない。怪しいものも危険なものも。
壊れたベッドしかない部屋は見通しが良すぎて、勘違いしそうなものさえ存在しなかった。
「なんにもいないし、変なところもなさそうだけど」
「本当に何か掴んできたんだよ!! も、もう無理!!」
だが部屋に近寄ることも出来ず泣き続ける凜子の様子は尋常ではない。ただの勘違いだとは到底思えなかった。
「か、カメラなにか入ってるかも……まだ録画切ってないから……」
「……よし、あっちで確認してみましょうか」
泣きながら、息絶え絶えに絶対に掴まれたと訴える姿を見て、ディレクターはそう提案した。
マネージャーと友近に掴まりながら移動するうちに、凜子もだんだんと落ち着いてきて、ロビーに着く頃には泣き止んでいた。
しかし。
映像を確認した瞬間、一瞬にして空気は冷え切り、恐ろしいほどの緊張と恐怖が満ちた。
《ヂョオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛》
カメラには、その場では聞こえなかったはずの女の声が入っていた。
カメラのすぐ近く、音が割れるほど大きな女の叫び声だというのに、それに全く気付かない湯藤と凜子の姿もだ。
しかもそれだけではない。
凜子が逃げ、カメラがブレてあらぬ方向を映したほんの二秒。
凜子の真横に立ち、腰へと伸ばされた、謎の女の腕が映り込んでいたのである。
「……これはさすがに撤収したほうがよくないですか?」
あそこに誰もいなかったことは、この場の全員が知っている。
本物が撮れてしまったのだと、その場の誰もが理解していた。
すごい映像だ。これ以上ない撮れ高だろう。もう一度、あそこへいけばもっとすごいものが撮れるかもしれない。
しかし映像を撮る者として抑えきれない好奇心より、この場を満たす尋常でない緊張と恐怖が上回った。
「……うん、さすがにちょっとこれ以上ここにいるのは危ない気がするな。
ここまでの映像があれば十分だし、二人も限界だ。撤収しよう」
これ以上は超えてはならない一線だと、冷静にディレクターは判断した。
それから逃げるように一同は車に乗り込み、市街地にあるホテルへと脇目も振らず車を走らせた。
十五分もすればあの暗い山がまるで嘘だったかのように、明かりの溢れた街中へと戻ってきた。
震えていた凜子も車窓の外が明るくなるにつれて落ち着いてきたらしい。
無言だったスタッフも段々と緊張が解け、恐怖からすごいものを撮ったという興奮へ変わっていく。
いまだ凜子の手を握り続けている友近は心配そうではありながら、すでに恐怖など完全に抜けているようだった。
いや、友近だけは廃墟にいた時からすでにこうだった。このメンタルの強さはいったいどこから来るのか、本気で謎である。
「……これ、動画にしたら、きっと大騒ぎですよね」
「もちろんですよ! ここまでの映像をとっておいて数字伸ばせなかったら編集の名折れです!」
そうだろう。湯藤だってそう思う。
結果だけ見れば大成功だ。すごい映像だ。こんなにもはっきり撮れて、伸びないわけがない。
じゃあきっと、心霊企画は三回目も四回目も撮ることになるんだろう。
二匹目のドジョウを捕まえたのだ。三匹目も四匹目も狙わないわけがない。
じゃあそれを、誰が取りに行くんだろう?
今回はこうして帰ることが出来た。
じゃあ次は? 触られた程度で済むのだろうか? 泣くだけで無事に帰ってこれるのだろうか?
――そもそも本当に、私たちは無事に戻ってきたと言えるのだろうか?
だんだんと恐怖が薄れていく車内で、湯藤は逆にひしひしと嫌な予感を感じていた。




