バレるのは不味い!
ニカシ村はエーコ家の屋敷がある丘の北西の麓(何度も言うけど南半球なので北のほうが陽当りがいい)にある小さな農村だ。屋敷では下の村と呼んでいる。
多くの使用人がこの村の出身で、もちろんスージーもこの村の出身だ。将来子育てはこの村でするといっていた。
今日はスージーとトニーの結婚式だ。
場所はここニカシ村。
農繁期である事を考慮してか単に夏で暑いからか結婚式も披露宴も夕方から夜にかけて行われる。
既に午後遅い時間で、結婚式自体はもう豊穣の神殿内で始まっている。
だけど参列していいのは親族だけ、だから私は神殿の外だ。この国の結婚式に興味があったんだけど残念。
私が参加できるのはその後の結婚披露宴だ。
うちからはお父様と私、あとはトニーの相棒のボブを始め使用人多数が来ている。全員普段と違うおしゃれな格好だ。
残念ながらお父様と私はすぐ帰る予定。偉い人がいると気兼ねなく楽しめないからしょうがないよね。
今日は幸い天気がいいので披露宴の会場は村の広場だ。神殿はその一角にあって100人ほどがその前で新郎新婦が出てくるのを今か今かと待っている。ボブもその中だ。
一方私はというとお父様と一緒に広場に設えられた日よけの下で大人しく椅子に座っている。正直私も出待ちしたいけど迷惑だろうから大人しくしているのだ。因みにアリスは私の後ろ1mの位置に控えている。最近大分接近してくれるようになった。
出待ちの様子を見ているとその中につい最近見た顔を見つけてしまった。あの時のハンターだ!
ハンターその1は短く刈り込んだ麦わら色の髪の50がらみの渋いおじさん、その2も同じ髪型、髪色で30代ぐらいの人の良さそうなおじさんだ。この村の住人だったのか。
妖怪馬車担ぎが実は私だと気付かれたりはしないだろうか。
あの晩の事は私にとってはクマオの救出だったけれど彼らにしてみれば獲物の横取りだ。そして人間社会的には彼らが正しいのだ。正体がバレたら絶対恨まれる。エーコ家に苦情が来るかもしれない。それどころかこんなことも……
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噂好きA: 馬車担ぎの正体はエーコ家のフレンという息女だったそうよ。
噂好きB: まあ怖い、貴族の仕業だったなんて! それで連れ去られた人たちは?
噂好きA: それが分からないんですって。でもわざわざ攫ったんですもの、闇奴隷として売り飛ばしていたんじゃないかってウワサよ。
闇の奴隷商: さあどんどん攫ってくるのです。今なら罪は全部エーコ家の馬車担ぎが被ってくれますからね。
手下A: おう!!
手下B: 祭りだヒャッハーーー!!
審問官: エーコ子爵。あなたには息女フレンを使って貴族令嬢ドコーノ・ダレソレを始め263名を誘拐した疑惑が持たれています。罪を認めますか?
お父様: 私も娘も無実です!
審問官: では証人たちに証言してもらいましょう。まずはハンターその1、あなたが証言しなさい。
ハンターその1: はい。私は確かに見ました。フレン様がブレイズベアを荷車に乗せ、肩に担いで連れ去るのを……
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不味い! 絶対にバレるのは不味い! 行方不明者全員の責任を被せられてしまう! どうにか隠し通さないと!!
今のところ向こうがこちらを気にしている様子は無い。大丈夫、あの時はフードで顔を隠していたし声はクマ語を囁いただけ、魔力も誤魔化したし服装もまるで違う。変にキョドらなければ疑われもしないはず……きっと、多分。
こうなるとすぐ帰る予定なのはありがたい。顔を合わせずに済みそうだからね。
目が合うと危険かもしれないので視線を逸らし、村を見回す。
レンガ造りの平屋の家がポツンポツンと建っていて、家々の向こうには村を囲む土塁が見える。その向こうには畑が広がっているはずだ。
どこからか鶏の鳴き声が聞こえてくる。ミルクゴートが道端の草を食み、犬がうろうろしている。長閑な感じの村だ。
その中で一際大きい建物が今結婚式が行われている神殿だ。
石造りで幅も家2軒分ぐらいはある。正面の扉も大きく、赤い切妻屋根が急角度で高くそびえその上に鐘楼が乗っている。
天辺に十字架があれば教会だなと、ぼーっと考えていたら急に鐘がガランガランと鳴り始め、正面の扉が開いて新郎新婦が腕を組んで出てきた。後ろに親族たち、というかスージーの家族――両親、祖母と弟二人――がつづく。トニーの親族は遠すぎて来られなかったそうだ。
スージーの衣装は白いブラウスにフェルト地の黒いベストと赤いフレアスカート。ベストにもスカートにも華やかに刺繡が施してある。刺繍は全部本人が年単位掛けて丹念にやったんだって。その甲斐あってとても綺麗だ。
一方のトニーはというと白いブラウスに黒いパンツ、胸に赤いコサージュというシンプルな姿。だけど意外と似合っていて普段よりイケメン度が上がっている。
二人はあっという間に出待ちの人達にもみくちゃにされた。皆笑顔だ。
ここで神殿からでっぷりしたツルツル頭の神官が出てきた。その後ろでエーコ家の使用人が2人がかりで大きな樽を担いでいる。
「豊穣の女神様からの下され物です。皆様で召し上がって下さい」
神官が黒い神官服を翻して宣言するけど、樽に入っているのはエーコ家が事前に奉納したエールだ。
エールの樽は広場中央に設置される。
実はこれ、豊穣の神殿での結婚式ではお決まりの流れである。
神殿に祀られているのは豊穣の女神様。この方は人々にエールの作り方を教え「大いに働き、エールで腹を満たし、昼も夜も機嫌よく暮らしなさい」と仰ったとされる。だから女神様はエールの神様でもある。
その神話に因んで結婚式では必ず神殿にエールの樽(大きさは問わない)を奉納する決まりになっているのだ。誰が奉納するかは事前に相談して決めておく。今回は雇い主であるエーコ家が奉納したけど友人や親族、本人達が奉納する場合もある。ケースバイケースだ。
そして式の最中に樽を開ける。最初の一杯は女神様に捧げ、次に二杯を二人で飲み、その後参列者も飲む。そして残りを下され物として披露宴で皆で飲むのだ。さすがエールの神様の儀式。飲んでばっかりだ。
周囲に祝福されながら二人はまずお父様の所にやってきた。
「旦那様、本日は私共のささやかな宴に御臨席賜り幸甚の至りです」
トニーが変な敬語じゃなく難しい言い回しで挨拶してる! 初めて見た。
「そのような堅苦しい言い回しは無用。もっと楽にしなさい。長々とした挨拶も抜きだ。
スージー、トニー、結婚おめでとう!」
「ありがとうございます」
トニーはそう言うと後ろに控えていたボブから特大のジョッキを受け取りお父様に差し出す。2リットルくらいは入りそうな木製のジョッキ。側面に神話の一場面が彫り込んであるちょっと手の込んだ作りだ。
「豊穣の女神様からの下され物です。どうぞお召し上がりください」
女神様の言葉で分かるかもしれないけどこの国ではエールは酒ではなく食事扱いだ。パンや麦粥の代わりにエールを飲んだりする。
だからみんな日常的に飲んでいる、もちろん子供も飲まされる。私も飲まされてる。年齢制限は無いのだ。ちなみにアルコール度数は日本の一般的なビールより大分低い気がする。今の体がアルコールに強いだけなのかもしれないけど。
ここのエールは日本のビール(黄色い透明な方ね。黒ビールは飲んだことない)とはかなり違う。
見た目は真っ黒で泡も茶色い。苦味も酸味も強く口当たりはどっしり濃厚だ。スモークの強い香りに色んな薬草やハーブが組み合わさった複雑な味。
美味しくないとは言わない。それどころか少し飲む分には美味しいとも思う。でも正直大量に飲むには向かない味だ。少なくとも私は香りが強過ぎてそんなには飲めない。
でも沢山飲めば酔えるので庶民の中には機会があればがぶ飲みする人というも結構居るらしい。私は前世での死因が酒絡みなので例え飲みやすくても沢山飲む気にはなれないけど。
ちなみに貴族が酔いたいときに飲むのはワインだそうだ。私は水割りを飲まされたことがあるけど薄めてあるはずなのにぶどうジュースのように甘かった。原液はかき氷のシロップに丁度いいんじゃないだろうか。
話を戻すと結婚披露宴で出る食事にはパンが無い。代わりにエールを飲む。そしてエールは女神様からの下され物なので大人も子供も飲まねばならない。
私とお父様は直ぐに帰るので食事には手をつけない予定だけど最初のエールだけは必ず飲み干さなければならない、と教えられている。
そして今、エールがなみなみと注がれた特大ジョッキ――お父様のと同じ2リットルぐらいはありそうなやつ――が私の手にある。
渡されたのだ。スージーに。
どうして!? 私が苦手なの知ってるはずなのに、こんなの飲みきれないよ。日本ならアルハラですよ。でなきゃ児童虐待。いじめ? いじめなの? 私もしかしてスージーに嫌われていた?
「今回はこのジョッキにしないとフレン様を蔑ろにしていることになってしまうんです。少しでも長く居て欲しいお客様には大きなジョッキでエールを出すのが仕来りなんですよ。飲むのに時間が掛かるようにジョッキを大きくするんです。逆に小さくすると早く帰って欲しいという意味になってしまうんです」
すまなそうに言うスージー。
「ですがご安心下さい。出来る限り泡が立つように入れたのでエール自体は半分も入っていないはずです」
不透明な木のジョッキなので実際の分量は見えないけどそう言われればなんか軽い気がする。出来る限りの配慮をしてくれたんだろう。こうなるともうこう言うしかない。
「ありがとうスージー。それと結婚おめでとう!」
半分でも1リットル。さてどうやって片付けよう……