83話 失恋
少しドンがかわいそうになってきた。
「あの、アイネ……多分、多分なんだけど……」
スイも同じようなことを思ったらしい。
はぁ、とため息をつく。
「アイネは……求愛されてるんだと思う……」
「へ」
スイの言葉にアイネの目が点になった。
その隙をつくと言わんばかりにドンが抱擁を仕掛けてきた。
「ちょっ……はぁ!?」
しかしすぐに我に返ったのかアイネはドンの腕を受け流し、その背後に回る。
平常心を乱されているように見えるがその動きは鮮やかだ。さすがトーラギルドのエースと内心で感心する。
「いやおかしいでしょっ! ウチ魔物じゃないっすよ!」
アイネがひきつった声で訴える。
「まぁ、猫が好きって話しだったからな。多分そういうことなんじゃないか……」
昨日の男の話しを思い出す。
スティールキャットを侍らせているとか、かんとか。
確かにアイネにも黒猫の耳と尻尾がある。
──ドンって、そういう属性萌えなのか?
変な親近感を感じてしまった。
「ウチはネコじゃないんすけど!」
「でも、猫の獣人族なんだよね。アイネちゃんって」
「違うっ! ウチはネコじゃなーいっ!」
アイネはそう言うも、ドンの求愛行動は止まらない。
……求愛行動というよりはセクハラのようにもみえるが。
しかし流石アイネ。俊敏さでは完全に上回っているらしくドンの腕が彼女をとらえる事は無かった。
「やっぱり、アイネを愛ネコにしようとしてるみたいですね……」
スイが乾いた笑い声をあげる。先ほどまでの殺気は完全に消えてしまっていた。
と、トワが半目でスイを見つめる。
「スイちゃん、それってもしかしてギャグのつもりでいってる?」
「えっ? あ……」
──アイネだけにあいねこってか。
素晴らしい感性だ。
賞賛の意味を込めてスイにジト目を送ることにした。
「意外にスイちゃんって感性がオヤ……」
「ちがっ……ちがいますって!」
スイが八つ当たりするかのように右拳で剣の柄を叩く。
可哀そうになってきたので助け舟を出すことにした。
「えっと……スイ、面白かったよ。いいセンスだ」
「や、やめてくださいっ! フォローにしても下手すぎますっ!」
スイが頭を抱え込む。
──本気でフォローしたつもりなんだけどなぁ。
割と真面目に言っただけにショックだ。
どうすれば絶望に沈む彼女を救えたのだろう……いけない、頬が緩んでしまう。
「ちょっとぉ! そんなところで見てないで助けてくださいよお!」
アイネが悲痛な叫び声をあげて俺の背後に回り込んできた。
どうもセクハラに耐えかねているらしい。若干涙目になっている。
こちらは本気で可哀そうになってきた。そろそろ、おふざけでは済まされそうにない。
どうしたものかとドンの方を見てみる。
「……え」
ふと、俺はドンの様子がおかしいことに気が付いた。
拳をぐっと握りプルプルと腕を震わせている。
そう思っていたら──
「リーダーッ!」
スイがドンと俺の間に入り込んできた。
その後ろ側でドンが拳を振り上げる姿が目に入る。
「やぁっ!」
スイが勢いよく剣を抜き、刃を横にしてドンの拳を受け止める。
その拳は俺に向けられたものだった。
「……なんだ、どうしたんだ?」
「怒ってるみたいっすね……」
さっきから守られてばかりいるが、その攻撃を何度か見たおかげで俺もだんだんと恐怖に慣れてきた。
スイが俺をかばうように立ち回ってくれていることも相まってドンが目の前にいてもそこまで威圧感を感じなくなっている。
しかし、急にドンの態度が変わったような気がするのはなぜだろうか。
「あー、多分。アイネちゃんがリーダー君にくっついてるからじゃない?」
トワにそう言われて後ろを振り返る。それを見て確かに、と納得してしまった。
あまり意識していなかったがアイネは俺に背後から俺に抱き着き、俺をはさむことでドンから距離をとっている。
自分が抱きしめようと思った女が他の男に抱き着きながら怯えた目を向けてくる──なるほど、そんなシチュエーションを想像したら少し胸が苦しくなった。
「そんなこと言われたって! そもそもウチはリーダーが好きだから、気持ちには応えられないっすよ!」
ふと、アイネの張りつめた声が辺りに響いた。
……別の意味で胸が苦しくなるのを感じる。
「あ、固まっちゃったよ。アハハッ」
ドンの動きが完全に停止するのを見て、トワがからかうように笑いだす。
その瞬間、ドンのこめかみ辺りからブチッと何かが切れるような音が聞こえた気がした。
雄叫びをあげたかと思いきや俺に向かって拳が放たれる。
「うぉ――っ!」
「リーダーッ!」
アイネに抱き着かれているせいでうまく動けない俺を後ろにまわして、スイが華麗な剣捌きでドンの拳を受け流す。
だがスイのことなど目もくれずドンは俺に向かってさらに攻撃をしかけてようとしていた。
「あれ、なんか俺、めっちゃ怒られてる?」
「リーダー君が失恋の原因作っちゃったからなぁ。しょうがないんじゃない?」
「そうか……」
ドンの連撃を次々に受け流すスイ。それを無視して攻撃を続けるドン。
尻拭いをスイにさせてしまっている気がするのが申し訳ない──
「どうもリーダーに戦えと言っているようですよ。どうしますか?」
と、思っていたのだが。
余りに淡々と、そして余裕げにドンの攻撃を受け流すスイを見ていると、その気持ちも消えてしまった。
何度か攻撃を見たせいなのだろうか。もはやドンの方を見ないままスイは剣でその拳を受け止めている。
──やはり、スイは強い。
戦う彼女の姿を見ていると自分が本当に戦える力があるのか疑いたくなる。
「言葉が分かるのか?」
「分かりませんが、そんな感じに見えませんか?」
──見えるので、そのまま倒していただけないでしょうか。
恐怖に慣れてきたとはいえ戦闘の経験値は圧倒的にスイやアイネの方が上だ。
そんな考えをする俺を否定するようにトワが声をあげる。
「そうだね。『アイネをかけて勝負しろ』みたいな意味合いに感じるよ?」
「くそっ……仕方ないな……」
とはいえ、この先に俺はサラマンダーと戦うことになるのだ。
ボスモンスターとはいえレベル50の相手にここまでビビりっぱなしなのはどうなのだろう。
そんな自問自答の後に思い直し、俺は覚悟を決めてドンの姿を見上げる。
その瞬間だった。
「待って!」
ふと、肩をつかまれた感触を感じた。
声の主が俺の前に移動する。
「リーダー、ここはウチが戦うっ」