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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:28
243/243

01・流浪と総長命令

 午後9時。東京都内。

 色とりどりのネオンが輝く繁華街の通りは、家路を急ぐサラリーマンや飲み会に向かう若者等、多くの人が往来している。

 その人混みに紛れて、インクルシオ東京本部の南班に所属していた元新人対策官の雨瀬眞白あませましろ鷹村哲たかむらてつは、足早な動きで雑居ビルに入った。

 7階建ての雑居ビルはかなり古めで、床にはポイ捨てされた空き缶や煙草の吸い殻が転がっており、ややほこりっぽい。

 狭いエレベーターに乗り込んだ二人は、インターネットカフェのテナントが入る5階のボタンを押した。

「……ここのネットカフェは、身分証が不要の店だ。だから、俺らのような未成年でも夜間に滞在できる。法的にはダメだけど、今の状況だと助かるな」

「……うん。昨日は公園で野宿をしたけど、思っていた以上に辛かった」

「ああ。いつ誰に見つかるかわからないし、夜中は寒くて寝るどころじゃないしで、すげぇキツかったもんな。俺も、野宿はこりごりだぜ」

 そう小声で話している間に、エレベーターがガタンと振動して止まる。

 二人は通路を進んで目的のインターネットカフェに入店し、こじんまりとした受付カウンターで前払いの料金を支払って、フラットタイプの個室に入った。

 ウレタン製のマットに寝転がった鷹村が、「やっと横になれた」と喜ぶ。

 しかし、仰向けの体勢で浮かべた笑みは、すぐに消えた。

「……インクルシオを辞めて、2日か……。一時は「むささび園」に身をひそめることも考えたけど、やっぱり勝手に寝泊まりするのはな……。もう高校にも行けないし、今後生きていく為には働き口も見つけないと……」

 鷹村の口から漏れた独白のような呟きに、雨瀬が「うん」と小さく返した。

 薄暗く静かな空間で、二人はしばし沈黙する。

 やがて、鷹村は「よいせ」と上半身を起こし、雨瀬に顔を向けて言った。

「とにかく。当面はこういう店を利用するとしても、いつまでも流浪の民ってわけにはいかねぇ。まず何よりも先に、俺らの住む場所をどうにかしないとな」




 3月上旬。東京都月白げっぱく区。

 『厚生省特殊外郭機関インクルシオ』東京本部の1階にある大ホールで、全班の対策官を招集した全体会議が開かれた。

 ステージ中央の演台の前にはインクルシオ総長の阿諏訪征一郎あすわせいいちろうがおり、ホール左手の壁際に幹部5人──本部長兼西班チーフの那智明なちあきら、東班チーフの望月剛志もちづきつよし、北班チーフの芥澤丈一あくたざわじょういち、南班チーフの大貫武士おおぬきたけし、中央班チーフの津之江学つのえまなぶが並んで立っている。

 阿諏訪は200名近い対策官を見回して、重厚な声を発した。

「諸君。おはよう。こうして、朝8時に集まってもらったのは他でもない。すでに聞き及んでいる者も多いだろうが、南班に所属する雨瀬対策官と鷹村対策官が、先日辞表が入った封筒を残してインクルシオを去った。二人の辞職は急なことで、我々幹部も驚いている」

 焦茶色のスーツに身を包んだ阿諏訪は、一旦言葉を区切り、再び口を開く。

「しかしながら、ことに雨瀬対策官に関しては、ある重要な事実が判明したばかりであった。本来であれば簡単には公表できない情報だが、二人の行方がようとして知れない今、致し方がないと判断して話すこととする。……実は、雨瀬対策官は、私の姉の阿諏訪灰根あすわはいね、反人間組織『キルクルス』のリーダーの乙黒阿鼻おとぐろあびと同じく、グラウカの“特異体”だ」

「──!!!!」

 阿諏訪が告げた途端、ホール内が大きくどよめき、あちこちから「ええ!?」「マ、マジか!?」と対策官たちの声があがった。

 雨瀬と鷹村と苦楽を共にし、様々な任務に励んできた「童子班」の3人──南班に所属する特別対策官の童子将也どうじしょうや塩田渉しおたわたる最上七葉もがみななはは、最後列の席に座って唇を固く結んでいる。

 場の空気が驚愕に染まる中、阿諏訪は強い口調で言った。

「……諸君! 雨瀬対策官が“特異体”であることは、『キルクルス』も知っている! 万が一にも、連中が雨瀬対策官を組織の仲間に引き入れたり、その能力を悪用することがあってはならない! 従って、我々は雨瀬対策官を早急に保護する必要がある! 彼と一緒にいると思われる鷹村対策官もだ! 今この時から、全ての任務に優先して二人の身柄確保に動け! これは、総長命令だ!」

 阿諏訪の地鳴りのような大声が、大ホールに響く。

 対策官たちはその迫力に気圧けおされながらも、一斉に姿勢を正して、「はい!!」と首肯した。


 午前8時半。

 大ホールでの全体会議が終了した後、黒のツナギ服を纏い、両腿に2本のサバイバルナイフを装備した童子は、本部の5階にある大貫の執務室を訪れた。

 大貫は二人分のホットコーヒーを淹れ、ソファセットのテーブルに置く。

「朝だから、濃いめにしといたぞ。そう言えば、塩田と最上は?」

「二人は急ぎ足で学校に行きました。「雨瀬と鷹村が来るかもしれない。たとえ可能性が低くとも、希望は捨てたくない」と言って」

 コーヒーカップを持ち上げた童子が言い、大貫が「そうか」と目を伏せる。

 童子はほろ苦い液体を一口啜って、低い声で切り出した。

「大貫チーフ。今日、俺がここに来たのは、訊きたいことがあるからです。この間の拉致事件で、『キルクルス』の乙黒は雨瀬の片腕を斬っただけで“特異体”だと断定しました。さっきの全体会議でも、阿諏訪総長は雨瀬を“特異体”だと言い切った。この二人が脳下垂体の破壊以外でそう確信するには、何か別の『根拠』が必要なはずです。……もしかしたら、それは、50年前に行われたという“特異体”の人体実験のデータやないですか?」

「──!」

 童子の推察に、大貫が一瞬目を見開く。

「つまり、ちまたの都市伝説に聞く“非人道的な人体実験”は、実際に行われていた。その中に、“特異体”の片腕を斬って完全再生するまでの時間を測った実験データがあり、乙黒と阿諏訪総長はそれを知っていた。そして、むごい人体実験の被験者となったのは、当時10歳の阿諏訪灰根だった……と」

 童子が鋭い眼差しを上げて言い、大貫は自分のコーヒーカップをソーサーに戻して、「ああ。そうだ」と認めた。

 テーブルにゆっくりと視線を落とし、大貫が静かに話し出す。

「……50年前に実施された、“特異体”の阿諏訪灰根に対する人体実験の全ては、国家機密として隠匿された。現在、その事実を知るのは、『インクルシオ』では阿諏訪総長、那智本部長、我々チーフ職と、『アルカ』、『クストス』の一部の人間、及び極少数の政府高官のみだ。灰根は『不死の研究』の犠牲となった結果、断続的な昏睡におちいり、成長が止まり、感情を失った。俺は人体実験の全部の内容を知るわけではないが、年端としはもいかない少女が受けた絶大な苦痛は、想像するに余りある」

 そう言って、大貫は痛ましく眉根を寄せた。

 ブラインドを上げた窓から光が差し込む部屋で、童子が言う。

「……雨瀬と鷹村は、その話をどこかで知ったのでは? せやから、雨瀬は自分が“特異体”やとバレてすぐに、まるで逃げるように姿を消した」

「ああ。そうかもしれない。50年前の人体実験には阿諏訪家が関わっていた。このままインクルシオにいれば、自分の身が危ないと恐れるのは無理もない。鷹村も幼馴染の雨瀬を守る為に、一緒に出ていったんだろう」

 大貫は小さくうなずき、「……だが」と言葉を付け足した。

「俺は何があろうとも、灰根のような犠牲者は二度と出させない。これは、他のチーフたちも同じ考えだ。……もし、また雨瀬と鷹村に会えるのなら、この断固たる決意はどうか信じて欲しい」

 大貫が両手の指を組み合わせて、声音に力を込める。

 童子は黙って短く思考し、「わかりました。総長命令が出ているので、俺は二人の捜索に専念します」とソファを立って、大貫の執務室を辞した。




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