狙われる
「そこの元気そうなねえちゃん!今揚げ芋が揚がったとこだよ!食べ歩きにどうだい?」
「ちょっと屋台のおじちゃん!そういうのは普通可愛いとか美人とか言うものでしょ!元気なねえちゃんって何よ!」
「そうな、ってちゃんと言ったでねぇか。最近の若い子は怖ぇのお、はっはっはっ」
「まっ、失礼しちゃうわ!ロゼもそう思わない!?……ロゼ?」
「……っあ、ごめんなさい。何の話でしたっけ」
「どうしたのロゼ。今日ずっとそんな感じじゃない。久しぶりに任務以外で外界に出れたっていうのに」
どこか上の空なロゼに、リリーは一つ溜息をつき、揚げ芋を買ってくると言って屋台に歩いて行った。
「おかさ、あれかって」
「だぁめよ。今日はまっすぐ帰るってお父さんに約束したでしょう?家に帰ったらおいしいもの作るから」
「ぇえー」
いまたべたいの、と、少し舌足らずに話す子供を、しょうがないわねと言って撫でる母親。自身の横を通り過ぎてゆくその親子を、ロゼは何となしに見つめていた。
ロゼとリリーは今日、互いに休みをとって神殿に程近い町、ドーラに来ていた。この町は神殿地内の観光地としても有名であり、今ロゼがいる坂のような斜面の通り道にも少なくない数の屋台があちこちに並び、店に入る客や屋台のものを買う人で辺りはごった返していた。今日は祝日でもない筈だが、この町はいつもこの様子でにぎわっているらしい。リリーを待とうにも人の行きかう往来で立ち止まるのも邪魔かと思い、ロゼは近くの果物売りの店の軒先で待つことにした。軒先の雨避けで春の暖かな日差しが遮られ、ロゼがもたれ掛かる店の壁に影を落としている。
「……リリーには、悪いことをしちゃいましたね」
今日は、同じ第一聖師団とは言え所属部隊の異なる訓練生からの親友と、かねてよりのお出掛けの日だった。新人隊を卒業するとき、近いうちに近況報告がてら遊びにいこうと話していたのだが、聖師団に入隊してからは当然そんな暇もなく。同じ第一聖師団ではあるがロゼは第一隊、リリーは第三隊にいるため、会うことができるのは第一棟にいるときか、訓練日程が同じ日の休憩時間くらいしかない。入隊してから暫く経ち、ようやく落ち着いたという頃にやっと同じ日に休暇を申請し、この町に遊びに来たのだ。
それなのにロゼは今日、どこか上の空だった。これでは今日を楽しみにしていたリリーに失礼だろう。
ロゼが上の空な理由は、先日のゼルドとの一件にあった。
後から考えてみれば、ゼルドがロゼのことを案じていたことは明白だった。それなのにハンスを庇うような発言をしたロゼに、危機感が足りないと、そう教えたかったのだろう。
……結局喧嘩別れのようになってしまった後は、話す際もどこかぎこちなかったように思う。
―――いえ、ぎこちなく接していたのは私の方だけでしたね。
先日の一件以来、ゼルドと話すときに、どう話せばいいのか、どう謝ろうかとばかり考えていたロゼは、自分の言葉に対して、態度に対して、ゼルドがどのような表情をしていたのかを見る余裕もなかった。
一人反省会をするロゼの目に、揚げ芋の屋台で先程言い合っていた恰幅のいいおじさんとリリーが、爽快な笑い声をあげながら話しているのが映る。表裏のない性格のリリーは、その優しいところや一緒にいて楽しいところから、基本的に誰からも好かれる。そんなリリーの友達であることが、ロゼはとても誇らしいのだった。
おじさんからクリーム色の紙に包まれた揚げ芋を受け取り、ロゼをきょろきょろと捜す仕草をしたリリーに、ロゼは手を振って自分の居場所を伝え、自身もリリーのところへと歩き出す。ロゼを見つけたリリーは笑顔で何かを話すが、周りの喧騒が大きすぎて聞こえない。口の形からして私の名前を呼んだんだろうな、とロゼは小さく笑った。
「リリー!………あれ?」
あと五メートル程、というところで、リリーが屈んだのが見えた。しかし人だかりが多いうえに皆坂の下の方へと流れていくため、何があったのか確認することができない。
「リリー!」
しかしリリーに此方の声は聞こえていたようで、大声で名を呼んだロゼの方へ困ったような笑顔を向けながら、立ち止まったまま何かを話した。しかし今度は何を言っているのか分からず、ロゼは困惑した。
少し屈む姿勢で、自身の足元へと声を掛けるリリー。人だかりから見えたのは、リリーのスカートを握る、小さな手だった。どうやら子供のようだと分かったロゼは、成程と思った。恐らく迷子か何かだろう。自分もリリーのところへ合流して一緒に親を探さないと。
しかしリリーはロゼの方を一度見て、それからロゼのいるところから反対方向へ歩き出してしまった。そこには、店と店の間で薄暗く影を落とす路地裏がある。ロゼは訝しんだ。あの子供――見たところによると五、六歳くらいの少年――が物乞いで、たまたまそこにいたリリーに揚げ物を強請った可能性もある。だがしかし、路地裏に行く必要はないはずだ。
しかし疑いは、すぐ確信に変わった。リリーが路地裏に入って二、三歩もしないところで、突然その姿が見えなくなったのだ。
「――っリリー!!……通してっ!通してくださいっ」
ロゼは人込みを掻き分け、すぐさま其方へ向かう足を速める。先程リリーの姿が見えなくなる瞬間、リリーの腕に黒い手袋をはめた指が絡みついているのが見えた。あの位置、大きさからして子供ではない。暗かったため確かではないが、目の良いロゼが見間違うこともまずありえないだろう。
今日は非番であるため武器は所持していない、ということを頭のどこか冷静なところで判断しながら、ロゼは人ごみを掻き分け、姿勢を低くして裏路地へと足を踏み入れる。
―――いない。
警戒しながらも見渡すが、そこには誰もいない。埃臭い壁に、店の廃棄物、屋台の食べ物のゴミ、換気口、そしてそれらからおとされる影――
「っ!」
ばっと上を向く。裏路地に落ちる不自然な影、それを辿った先には、口を塞がれたリリーと、壁の出窓に足を引っかけながらリリーを拘束する、黒い外套を被った男がいた。
それを見た一瞬後、ロゼは外套の男目掛けて姿勢を屈め、足裏に風を噴射させて跳躍する。しかし地から足を離した直後、カクン、と何かに足を引っ張られ、自分のものではない重力が働いた。
ロゼが足元を見ると、先程リリーのスカートを握っていた少年が、今度はロゼのズボンに腕を回して巻き付いていた。
「……―っ離れて!その手を退けて!!」
「ロゼ、上っ」
頑として自分から離れようとしない子供に焦り、何とか引き離そうとするロゼに、男の手を噛んで口の拘束を解いたらしいリリーの声がかかる。その声掛けにロゼが反応するよりも早く、自身の首、その後ろに風を感じたロゼは、無意識に風壁を背面に展開した。これはゼルドとの訓練で必然的についた癖のようなものだが、このような場所で役に立つとはロゼ自身も思わなかったことだ。
ロゼの上から降り立ち首後ろを狙おうとした男も、リリーを捉えている男と同じような黒い姿だ。だがこちらの男は顔を隠すためなのか、口元を装束で覆っていた。
口元を覆った男が地面に降り立つ隙を与えず、ロゼは前傾姿勢のまま近くにあった店のゴミ袋を男目掛けて投げつけ、同時にゴミ袋を細かい風によって切りつけた。男目掛けてゴミ袋が命中し、それと同時にゴミが空中で散らばる。
今の隙にリリーを助けないと、と思ったロゼは上を見たが、リリーもリリーで拘束していた男に対抗しているらしく、路地裏の屋根に登って男の剣を防いでいた。
まずリリーの意識があることにほっとするが、その直後、腹部に強烈な痛みを覚える。
「――っが、げほっ!」
見ると先程の少年が、何処から出したのか、警棒のような黒い鈍器をロゼの肋骨あたりにめり込ませていた。黒い得物を握りながらこちらを見るその目には、なんの感情も映っていない。
「――出血はさせるなよ」
「……分かっている。だから、殴っただろう。後で治癒させれば骨が折れたところで問題はないはずだ」
子どもが発するはずもないような言葉を、平然と口にする少年。その少年の答えに、口元を覆った男は満足げに目を細めた。
男が此方に近づいてくる。
まずい、と思った。自分は今、恐らくだが肋骨を損傷している。臓器に刺さった様子はないが、無暗に動くことは危険だ。それとも、それさえもこの少年は分かってやったのだろうか。
はっ、はっと浅い息を切らしながら、ロゼはリリーの方を確認した。何とか外套の男の相手をしているようだが、恐らくはそう持たないだろうことが目に見えて分かる。ロゼは外套の男が自分を認識していないのを好機と、片腕をあげて人差し指と親指で輪を作り、そしてぐっと力を込めて弾いた。
弾く直前に伸縮した風の渦が槍のような軌道を描き、鋭利な刃となって外套の男の足へと命中する。突然のロゼの応戦に驚いた様子のリリーだったが、すぐさま隙をついて外套の男を後ろ手に拘束したようだった。
「他人の心配とは、随分と余裕だな」
壁にもたれかかるようにして立つロゼの前に、口元を覆った男が立ち止まり、影を落とす。この男は、仲間がロゼに攻撃されるのをゆったりと傍観していたのだ。まるで仲間の命などどうでもいいようだ。……いや、まるで、ではない。実際にどうでもいいのだろうし、仲間なのかさえも怪しいところだ。
手を伸ばす男を前に、自身を取り巻くように竜巻を展開させるロゼ。しかしそれは防御たりえるほどに収縮する前に、男によって取り除かれてしまう。そして逃げ場を失ったロゼを甚振る様な目で、男はロゼの損傷部を拳で圧迫し、またその部分に何か注射針のようなものを刺した。その苛みに苦しむロゼの顔を見ながら、男は装束の懐から何かを取り出す。
「なに、を」
「ロゼ=シュワルツェ、お前に必要以上の危害は加えないさ。――ただこちらへ、大人しく来てもらおう」
そう言いながら、男はロゼの首にひたりと何かを当てた。首輪のような形状のそれは銀色で、金属特有の冷たさのほかにも、どこか身体が芯から冷めていくのを感じるものだった。
男が首の枷に手をかざし、逆の手で印を組んだのが薄らいでいく視界の中で見える。
なぜこの男が自分を狙っているのか。
なぜ名前を知っていたのか。
なぜ、生け捕りにする必要があるのか。
そんな疑問が、頭の中で渦巻いては霧散する。
「――そこで何をしている!」
もうだめか、と思ったその時、聞き覚えのある凛とした声と、神殿の隊服の、踵の少し高いブーツの音が路地裏に複数こだました。
その瞬間の安堵からか、ロゼは保っていた意識を手放したのだった。




