〈62〉
漂ってくる気持ちの悪さに、体が自然と前に出ていた。
盾を正面に構えて、薄暗い廊下に目を凝らす。
不意に感じたのは、背後の殺気。
だけどそれは、この1ヶ月で慣れ親しんだ物。
「やっぱりあなたはそうなのね。殺されたいのかしら?」
聞こえてきた声に、俺は小さく肩をすくめた。
視線を前に向けたまま、声だけを背後に投げかける。
「得意武器が盾だからだね。榎並さんの言う自殺願望とは違うかな?」
「……そうね。そう言うことにしておいてあげるわ」
どことなく楽しげな声音と共に、背後からの圧力が消えてくれた。
耳が痛くなるような静寂に、誰かの小さな呼吸の音。
周囲に変化らしい物はなくて、時間だけがゆっくりと過ぎていく。
ーーそんな時、
「……な、いで」
「っ!!!!」
遠くから誰かの声がした。
思わず駆け出しそうになる俺の裾を、他の何者かが引き止める。
「やっぱり死ぬべきかしら?」
思わず振り向いた先に見えたのは、榎並さんが握る銃口と、ふわりとした結花の髪。
「ひとりで行かないでください……」
服の裾を握った結花が、不安げな表情で見上げていた。
ガラスが砕け散る音。
逃げ惑う誰かの足音。
大きな物が倒れるような音。
「まぁ、オッサンの気持ちもわかるけどさ。どうするよ、先生?」
将吾までもが、走り出そうとした俺の肩に手を伸ばしていた。
聞こえてくる音に焦りを覚えるものの、仲間を振り切って走り出す訳にもいかない。
「ここには、人の声でおびき寄せて喰らう化物も居るわ。死ぬのなら、1人の時にしなさい」
「オッサンは良い人過ぎるぜ? 自分たち意外は敵だと思え、って最初に聞いただろ? あれ、マジのやつだぜ?」
苦笑混じりにそう言われれば、少しだけ冷静にもなれた。
宇堂先生がチラリと階段に目を向けて、上の様子を覗き込む。
腕を組み、目を閉じた先生が、小さく頷いて、光の玉を宙に浮かべた。
「二手に別れる。成川は、榎並と水谷を連れて、周囲の調査に出ろ。俺たちはこの場を厳守する。異論は?」
「「「…………」」」
互いに顔を見合わせたものの、誰からも声はあがらなかった。
出来るなら全員で動いた方が良い気もするが、もともとの任務はこの場の維持だ。
見に行って帰って来たら、化物に占拠されてて帰れません、なんて事になれば、目も当てられない。
それに盾を持つ俺と遠距離主体の2人なら、バランスも悪くない。
「自身が最優先だ。いいな?」
「はい」
俺はもう一度盾を握りしめて、薄暗い廊下に目を向けた。