08 魔王城の罠
首都エクスを飛び立ってから3日。
ほのかに日の出の兆しが感じられるのを待ってから、ガノ達と大鷲のグウェイは猛々しい山脈を越えた。
眼前に広がるのは、なだらかな山々と森。
丘のように低い山の一つに、ガノは注目した。
「あれが、魔王ネオの居城か。」
闇に浮かびあがるのは、まるで廃墟のような城砦。
長方形の居館の四隅に塔をくっつけたような建物が、三重の城壁に囲まれている。
屋上には、猫のように丸まった黒い巨影。
「あれが魔王の騎竜か。ロランの言った通りだ。
グウェイ殿。
低空で、静かに、山のふもとの辺りで降ろして頂けるか。」
ガノが頼むと、グウェイは無言のまま段々と高度を落とした。
できるだけロラン達と同様にして砦に近づきたい。
うまくいけば、目的のエルフが出迎えてくれるだろう。
もし、玄関ホールに誰もいなければ一度引き返さなければならない。
不用意に踏み込んで、魔王などと出くわしてしまえば……。
「魔王は交渉ができる相手なのか、試す価値はある。
だが……。」
命を落とす可能性は高い。
ガノの頭に疑問が浮かんだ。
それは、この3日間何度も考えたことだ。
――なぜ、自分が選ばれたのか。
王からの信頼によるものか。
もしかすると、ロランの推薦があったのかも知れない。
いずれにせよ、今回の任務自体、死の危険性が高い。
それをなぜ私が。
交渉に長けた者ならば他にも……。
「いや、考えてもどうしようも無いことだ。」
頭の中でモヤモヤしているものを振り払うかのように首を振り、ガノは後ろに控える騎士たちに呼びかけた。
「散開し、建物の周囲を索敵しろ。
もし、魔族がたむろしているようであれば、状況が変わっていると言う事。
山の向こうまで引き返し、斥候部隊と合流する。」
大鷲が着陸すると同時に、白銀の影が4つ飛び降り、音もなく駆けだした。
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「周囲を警備する兵は居ない、か。
これも、ロランの言った通りだな。」
すでに空は明るくなり始めている。
ガノと3人の騎士は一番内側の城壁の門まで近づき、中央の居館を伺った。
要塞としての城なのか、高貴な者が居住するための城なのか分からないが、どちらにしても中途半端に見える。
まるで、実用性は考えず、人間の城を真似て作ろうとしたかのような城砦だ。
四角い扉はついているが、木枠すらない無数の窓からも忍び込めそうではある。
横にいる騎士の1人の肩に手を乗せ、ガノは囁く。
「君がロラン役だ。
歩いて近づき、扉を開け。
交渉に行くのだ。誰か居ても絶対に攻撃はするな。
誰もいなければ一旦戻ってこい。
あとは……そうだな。
危険だと思ったら直ぐに逃げろ。自分で判断して良い。」
「ハッ」
騎士は力強く頷いた。
そして、一歩一歩踏みしめるように歩き出す。
先ほどの偵察時とは違い、石畳の上で足音を多少鳴らす。
ロランが来た時は満月で明るかったようだが、いまはそうでもない。
気付いてもらえなければ、引き返す。
ガノがいくつかのパターンを頭の中で想定しているうちに、
騎士は何事もなく扉までたどり着いた。
どうやら、内側から開けてくれる者は居ないらしい。
少し残念に思いながらガノは見守る。
開けても誰も居ないかも知れない。
騎士が扉に左手を伸ばした。
そして、手は扉に沈んでいった。
「何ッ!」
扉が開いたわけでは無い。
扉に左手がめり込んでいる。
何が起こったか分からない。
間もなく、騎士が呻き声をあげながら、左腕を引き抜こうと踏ん張りだした。
痛みを感じている?
罠か?
一体なんの。
次の瞬間、四角い扉がそのまませり出して来た。
一面に扉の模様がついた長方形。
それが、スライドするように動き、騎士の左半身がその中に飲み込まれた。
残った右半身は、力が抜けてぶらりと垂れた。
「まさか、スライムか!?
撤退だ!
彼は助からん!」
おそらく、左半身はもうすでに消化されている。
指示を受けて、2人の騎士は後方へ駆けだした。
2人が退くのを確認してから、ガノは建物を一瞥した。
スライムの他には建物から出てくる影は無い。
「クソッ!
あんな精巧な擬態など、スライムにできるはずが無い!」
スライムの擬態と言うのは、池に隠れるとか、水たまりのフリをするとか、その程度のもの。
細やかな凹凸を付けた上に模様や質感まで真似るなど聞いたことが無かった。
歯ぎしりしながら、撤退した2人の後を追う。
だが、その足はすぐに止まることになった。
前方で2人の騎士が立ち止まっている。
その前に立ちはだかる影がある。
その、人間に翼と尻尾を生やしたシルエットには見覚えがあった。
ドラゴニュート。
それも、ただのドラゴニュートではない。
身長の2倍もありそうな槍が、空に向かって伸びている。
彼女が右手に携えている長大な斧槍は、ドラゴニュートであっても易々と扱える重さではないはずなのだ。
「『竜姫』キティン。
魔王に与していたか……。」
騎士の1人がつぶやいた。
ドラゴニュート達の若き王は、ロランやオリビア達が撃破した。
代わりに陣頭に立つようになったのが、先代より更に若く見えるキティンである。
細く見える腕からは想像もできない剛力によって、人類に多くの被害がもたらされた。
しかし、豪腕に見合わない慎重さ、引き際の良さによって、いつも取り逃がしていた。
ついた渾名は『竜姫』。
そんな、ドラゴニュート達の新たなリーダーが目の前に居る。
だが、少し様子が妙だ。
キティンは棒立ちのまま、視線が宙を漂っている。
立派な鎧を着けてはいるが、泥だらけで、森の中を彷徨ったかのような風貌だ。
生気が感じられない。
気配が感じられなかったのも当然かもしれない。
「森に隠れ潜んでいたのか。
ドラゴニュートはプライドが高いと聞いていたが、
落ちぶれたものだな。」
騎士の1人が露骨な挑発の言葉を発した。
もう一人の騎士がガノに目配せをする。
――逃げてください、と。
すまぬ。
ガノは心の中で感謝した。
大きく回り込んで逃げようと踏み出したところで――
「貴様らッ!人間のせいでーッ!」
甲高い怒号と重く鈍い音が響いた。
振り向けば、先ほど挑発的な言葉を発した騎士の背中から斧槍の穂先が生えている。
一瞬。
まだ、10歩分以上、あの槍の2倍以上の距離はあったはず。
すでにこと切れた騎士の向こう側で、キティンが両手で槍柄を掴むのが見えた。
斧槍の穂先が、騎士の死体ごと消え、
もう一人の騎士の上半身も消えた。
見えなかった。
力任せに横に薙ぎ払った。そのはずだ。
どこか遠くでドサリドサリと音がした。
すでに、斧槍には何も刺さっていない。
騎士の下半身だけが残っていた。
もはや、逃げることは出来まいとガノが覚悟した時、
キティンは膝から崩れ落ちた。
「いや、私のせいなのだ。
こんな虫けらどもに滅ぼされるのだ。
うぅー。死にたいぃ。死ねないぃ。」
ぼそぼそと何か言いながら膝を抱えて丸まってしまった。
「わ、訳がわからん。
気が触れているのか?」
明らかに正気ではない。
まだ逃げられるかも知れないと、山のふもとの方を見やった。
だが、「いたぞ!」「ご無事か!」などと叫びながら走り寄ってくる複数のドラゴニュートの影があった。
キティンの怒号を聞きつけて、駆けつけたのだろう。
逃げ道など、とっくに残されてはいなかった。




