05 古書の写本
朝市を一通り巡り終えた後、シスターエイとマコは、人混みを避けて東門前の広場を歩いていた。
マコは辺りを見回すと、何かに気付いたようにシスターエイの方を振り返った。
「大通りはここで途切れてるけど、ここから北には何があるの?」
そう言って、マコは広場の北側に建つ宿屋や民家の間の裏路地を指差す。
「その先に行くと、スラムがありますわ。
家賃や税金を払えない人びとが寄り集まって出来てしまったモノです。」
「スラム?
そんなの、放っておいていいの?」
「犯罪者の住処になっていますから、たしかに潰してしまったほうが良いとは思います。
でも、全員が犯罪者だという証拠はありません。
城壁の外に追い出す訳にもいきませんし、そのままにされていますわ。」
「え?
いや、潰すとか捕まえるとかじゃなく……うーん。」
マコはシスターエイの顔を見ると、何かを思い出したかのように、言いかけた言葉を飲み込んでしまった。
何を考えているかは分からないが、もし馬の魔物を倒しに行った時のように、犯罪者退治をしようなどと考えているのなら危険だ。
「関わってはいけませんよ。
マコ様のような可愛いエルフは、すーぐ誘拐されてしまいますわ。
恐ろしいところです。」
「ふーん。」
そっけない返事に聞こえたが、マコは眉をひそめながらも裏路地の方から目を離さない。
嫌悪感のようなものは抱いているようだが、なにげなくスラム街へ入って行ってしまいそうな雰囲気を感じる。
スラム街の方を眺めると、すっかり明るくなった青い空が目に入った。
市場を見て回るのに時間を掛けすぎてしまったようだ。
「マコ様。もう診療所を開ける時間ですわ。
早く戻りましょう。」
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すこし早足になりながら、二人は診療所の前まで戻ってきた。
とっくに見習いシスターたちが診療所のカギを開けているかと思っていたのだが、扉は開かない。
「あら、遅刻はしなかったみたいですね。
聖堂の方から入りましょう。」
シスターエイはすこし安心しながら聖堂の方へ向かった。
朝食前の散歩だったので、丁度良い具合の空腹を感じる。
パンを楽しみに聖堂の正面の扉を開いた。
だが、待ち受けていたのは、見習いシスター・ブラザーたちが総出で、一人の騎士を迎えている光景だった。
ずらりと並んだ長椅子の向こう、聖堂の祭壇の前に見習い修道士たちが立ち並び、白い鎧を着た騎士の話を聞いているようだ。
診療所の患者らしき一般人も何人かいる。
つい息をのんでしまったが、特に重苦しい雰囲気は流れてはいない。
「ただいま戻りましたわ。
あの、何かございました?」
騎士はすぐさまこちらを振り向いた。
見慣れた顔が目に入る。
「やあ、おはよう!シスターエイにシスタージー。
待っていたよ。」
白い書物を何冊が抱えたリナードだった。
今や彼は、巨大な馬の魔物を手懐けて帰ってきたとして、市中で話題の人物だ。
シャール王の血族はやはり頼りになる、と、王族を讃える声とセットになって先日から持ち上げられている。
ちなみに、シスタージーと呼ばれているマコが一緒であったことは全く語られておらず、この話題になるとマコはやや不機嫌そうになる。かと言って、自分から「私が手伝いました」などとアピールするわけでも無いので、マコの活躍は誰も知らないままだ。
「お早うございます、リナード様。
お元気そうで何よりです。今日はどういったご用事で?」
祭壇の方へ近づきながら様子を伺ってみたが、ケガなどは無い。
診療所の利用ではないようだ。
「今日は仕事だよ。
実は先日、騎士団への所属が決まったのだ。
まだ正式な団員ではないが、一応の初仕事といったところかな。
冒険者レベル3であった私が、王国騎士団員への大抜擢。
これもシスタージーのおかげだ。感謝している。」
「ほぁー、おめでとう。」
素直なお祝いの言葉を言った後、「レベル3だったんかーい」とつぶやいたマコの声がシスターエイには聞こえた。
馬の魔物のレベルはいくつなのかが気になったが、いまは雑談よりリナードの仕事を優先すべきだろう。
リナードはニコニコしながら、手に持っていた書物を掲げた。
「仕事と言うのは、なんと、国王から騎士団への勅命だ!
この本は、教会のとある古い蔵書を写本したものなのだが、これを解読できる人間を国王は探しているのだ。」
リナードは、わざとらしくゆったりと、鷹揚に、シスターエイとマコに一冊ずつ白い本を渡してきた。
上質な紙を使った表紙の中央には、見たこともない記号が羅列されている。
裏返すと、反対側にも幾つか文字らしきものが書かれており、どちらが本当の表紙なのかは分からない。
パラパラと何ページかめくってみたが、走り書きされた同じような記号がびっしりとひしめいていた。
シスターエイには全く読めない。
リナードの背後では、すでに白い本を受け取っていた見習い修道士たちが、本を横にしたりひっくり返したりしながらウンウン唸っている。
やはり読めないようだ。
背後を振り返ってその様子を眺めていたリナードが、自慢げに書物をまた掲げた。
「この本は、ただの本では無い。
その名も『世界文書』。
これこそ、かの聖人エスが書き残した書物なのだ!」
今日のリナードは普段より数段テンションが高い。
初仕事が国王の勅命であることへの興奮か。
おとぎ話の主人公のモデルとして有名な聖人エス関係の仕事であることへの興奮か。
多分、その両方だろう。
色々聞きたいことはあるが、長くなりそうなので今日はやめておきたい。
ふと、横を見ると――。
目を見開き、驚愕の表情で本の表紙を見つめるマコが居た。
横にして背表紙を眺めた後、迷いなく右開きで本を開く。
丁寧に数ページめくって中身を確認すると、ぱたりと本を閉じた。
「シスタージー。もしや!?」
リナードが期待のこもった熱いまなざしをマコに向けた。
マコは驚いたままの表情でリナードに顔を向けた。
「ええ……。
ぜんっぜん分かんない!」
半ばニヤケ顔であったリナードの表情が、徐々に平時の真顔へと戻ってゆく。
「……リナード様は張り切っていらっしゃるのだから、からかうのは良くありませんわ。」
「ええ?なんのこと?」
マコは悪びれる様子も無い。
そうしているうちに、リナードはふらふらと祭壇の前に行ってしまった。
「みなさま、読めた方はいらっしゃいますかー?」
「分かりません。」
「ご期待に沿えず申し訳ありません。」
「これは本当に意味のある文章なのでしょうか。」
「字が汚くて読めないわ。」
「どちらが上なのかも判断できません。」
リナードの沈んだ声の質問に対して、見習い達もマコも、みな口々に否定の言葉を返した。




