表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄されたので、念願の筋肉留学をします!~王太子に捨てられた怪力悪役令嬢、辺境の最強騎士団長に拾われて幸せです~  作者: 九葉(くずは)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/14

第9話 王太子からの復縁要請? 握力80kgで粉砕します

北の辺境伯領、鉄壁の砦。

その訓練場には、今日も朝から鉄のぶつかり合う音と、男たちの野太い掛け声が響き渡っていた。


「あと三回! 限界を超えろ!」

「イエス、マッスル!」

「重力に負けるな! 自分に負けるな!」


活気あふれる騎士たちの中、私はシグルド様のベンチプレスを補助スポットしていた。

バーベルの重さは百八十キロ。

一般人なら押し潰されて即死する重量だが、シグルド様は美しいフォームでそれを上げ下げしている。


「ふんっ……! ぬんっ……!」


「いいですわシグルド様! 大胸筋の収縮を感じて! ラスト一回!」


「おおおぉぉぉッ!」


ガシャンッ!


シグルド様がバーベルをラックに戻し、荒い息を吐きながら起き上がる。

汗で濡れた銀髪をかき上げる仕草が、恐ろしく色っぽい。

パンプアップして一回り大きくなった胸板が、シャツのボタンを弾き飛ばしそうだ。


「……ふぅ。君の補助は最高だ、レティシア。安心して限界まで追い込める」


「ふふ、シグルド様の粘りも素敵でしたわ。上腕三頭筋のカットが、まるで彫刻のようでした」


私たちがタオルと水を交換し合い、爽やかな朝のひととき(筋肉談義)を楽しんでいた、その時だった。


「な、なんなのだ、この野蛮な騒音は……!」


訓練場の入り口から、ヒステリックな金切り声が聞こえた。


振り返ると、そこには場違いなほど煌びやかな服を着た、神経質そうな男が立っていた。

王都の文官風の服装だ。

彼はハンカチで鼻を押さえ、汚いものを見るような目で、汗だくの騎士たちを見回している。


「汗臭い! なんと不潔な! これだから辺境の人間は……」


男の後ろには、困り顔のハンスと、数名の護衛兵士が控えている。


「あの、どちら様でしょうか?」


私が歩み寄ると、男は私を見て、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。


「き、君は……レティシア嬢か?」


「ええ、そうですが」


「な、なんだその格好は!」


男が叫んだ。

無理もない。今の私は、動きやすさを最優先したタンクトップに、短パン型のスパッツ姿。

手には滑り止めのチョーク(炭酸マグネシウム)の粉がついて真っ白だ。

貴族令嬢としては、破廉恥極まりない姿だろう。


「ははぁん、さては気が触れたか。あるいは、着る服もないほど困窮して、下着姿で働かされているのだな……」


男は勝手に納得し、憐れむような、それでいて優越感に浸った笑みを浮かべた。


「可哀想に。公爵令嬢ともあろうものが、こんな魔獣の糞の匂いがするような場所で、男たちに混じって肉体労働とは」


男は大げさに首を振ると、胸を張って名乗り出た。


「私は王宮の使者、リバル男爵だ! カイル王太子殿下より、直々の書状を預かってきた!」


「カイル殿下から?」


私は眉をひそめた。

あの元婚約者が、今さら何のご用だろうか。

まさか、「借りていた筋トレの教科書を返せ(※貸してない)」とか、「プロテイン代を返せ(※自腹)」とか言ってくる器の小さい男ではないと思いたいが。


「ありがたく拝聴せよ! これは、絶望の淵にいる君への、殿下からの慈悲深い救いの手だ!」


リバル男爵は羊皮紙を取り出し、もったいぶって読み上げ始めた。


『レティシアへ。

北での反省生活は、さぞ辛いことだろう』


(辛い? 毎日最高級の赤身肉が食べ放題で、イケメンマッチョと筋トレ三昧よ?)


『君が犯した罪は重いが、私は寛大な心で許してやろうと思う』


(罪? 可愛げがない罪のことかしら。それなら有罪ギルティでもいいわ)


『今すぐ王都へ戻り、私のために尽くせ。そうすれば、側室の地位くらいは用意してやってもいい』


(……は?)


『この手紙を見たら、すぐに準備をして戻ってくるように。愛するカイルより』


読み終えたリバル男爵は、ドヤ顔で私を見た。


「どうだ、嬉しいだろう? 泣いて喜ぶがいい! あのカイル殿下が、婚約破棄を撤回し、側室として迎えてくださると仰っているのだ!」


リバル男爵は、私が感動で泣き崩れるのを待っているようだ。

周囲の騎士たちも動きを止め、静まり返っている。

彼らの視線が私に集中する。


私は、ゆっくりとリバル男爵に近づいた。


「……男爵。その手紙、見せていただけますか?」


「お、おう。欲しければやるぞ。家宝にするがよかろう」


男爵から手紙を受け取る。

確かに、見覚えのあるカイル殿下の筆跡だ。

相変わらず、無駄な跳ねや払いの多い、自己顕示欲の塊のような文字だ。


私は手紙を一読し、そしてため息をついた。


「要約すると、『困ってるから戻ってきてタダ働きしろ。報酬は愛人の座だ』ということですね?」


「なっ、なんだその言い草は! 側室だぞ!? 追放された身分で、王族に連なることができるのだぞ! 感謝こそすれ、文句を言うなど言語道断!」


男爵が顔を真っ赤にして怒鳴る。


「それに、ここでの生活にうんざりしていたのだろう? こんな何もないド田舎、一日だっていたくないはずだ!」


私は首を傾げた。


「いいえ? ここは素晴らしい場所ですよ。空気は美味しいし、ご飯は高タンパクだし、ジム(騎士団)の設備も充実しています」


「強がりを言うな! ドレスも宝石もない、夜会もない、そんな生活のどこがいい!」


「ドレスも宝石も、筋肉の成長には不要ですから」


私はきっぱりと言い放った。


「それに、王都に戻るということは、またあの窮屈なコルセットをつけて、不味い砂糖菓子を食べながら、殿下の自慢話を聞き続ける日々に戻るということですよね?」


「そ、それは貴族として当然の……」


「お断りします」


私は即答した。


「え?」


「聞こえませんでしたか? お断りします、と言ったのです」


リバル男爵は口をパクパクさせた。

予想外の反応に、脳の処理が追いついていないようだ。


「き、貴様……正気か!? 王太子殿下の命令だぞ!? それを断れば、今度こそ処刑されるかもしれないんだぞ!?」


「処刑? できるものならやってみなさい」


私は微笑んだ。


そして、手に持っていた羊皮紙の手紙に、指先だけで力を込めた。


グシャッ。


「あ」


リバル男爵が声を上げる。

だが、それだけでは終わらない。

私はさらに力を込める。

指先の筋肉だけでなく、前腕、上腕、そして背中からの力を一点に集中させる。


メリメリメリッ……!


羊皮紙が悲鳴を上げる。

ただ丸めるのではない。

繊維の一本一本を圧殺し、分子レベルで圧縮するイメージ。


「ぬんっ!」


私が手を開くと、そこにはパラパラとした白い粉末だけが残っていた。

かつて王太子からの手紙だったものは、私の握力によって完全なる塵と化したのだ。


「ひっ……!?」


リバル男爵が腰を抜かした。

粉になった手紙が、北風に乗ってサラサラと飛んでいく。


「お帰りください、男爵。そして殿下にお伝えください」


私は男爵を見下ろし、冷徹に告げた。


「『私は今、ベンチプレスの新記録(PR)更新に向けて調整中ですので、忙しいです』と」


「ば、バケモノ……ッ!」


リバル男爵が這いずって逃げようとする。

その背中に、さらに追い打ちがかかる。


「おい、待て」


低く、地獄の底から響くような声。

シグルド様だ。


彼はゆっくりと男爵の前に歩み出た。

身長二メートルの巨体。

パンプアップしたばかりの大胸筋が、威圧のオーラを放っている。


「ひいぃっ! な、なんなんだ貴様は!」


「私はここの主、シグルド・グランツだ」


シグルド様は男爵の胸倉を、片手で軽々と持ち上げた。

男爵の足が地面から浮く。


「殿下に伝えろ。『彼女は私のトレーナーであり、未来の妻だ。貴公のような貧弱な筋肉ハートの男には渡さん』と」


「つ、妻ぁ!?」


「そうだ。彼女の筋肉は、この北の大地でこそ輝く。王都の温室で腐らせるには惜しい逸材だ」


シグルド様は、男爵をゴミのように放り投げた。

男爵は見事な放物線を描き、護衛の兵士たちの上に落下した。


「ぐわぁっ!」

「だ、男爵様!」


「お、覚えていろよぉぉぉ! こんな侮辱、ただで済むと思うな! 王軍を差し向けて、この砦ごと踏み潰してやるぅぅ!」


リバル男爵は捨て台詞を吐きながら、兵士たちに担がれて逃げ出していった。

その逃げ足だけは、なかなかの速度だった(ハムストリングスは鍛えられているかもしれない)。


 ◇


「……行ってしまいましたね」


嵐が去った後の静寂。

私は粉になった手紙の名残を見つめた。


「ああ。だが、これで王太子も諦め……はしないだろうな」


シグルド様が険しい顔をする。


「侮辱されたと逆上し、兵を向けてくる可能性もある。あるいは……」


「あるいは?」


「王都の状況が、それほど切迫しているのかもしれない」


シグルド様の洞察は鋭い。

確かに、あのプライドの高いカイル殿下が、一度捨てた女に「戻ってこい」と言うのは異常事態だ。

よほど追い詰められているに違いない。


「まあ、何が起きても大丈夫ですわ」


私はパンパンと手の粉を払った。


「私たちには筋肉がありますもの。どんな困難も、物理で解決できます」


「……ふっ、違いない」


シグルド様は笑い、私の肩を抱いた。


「それにしても、レティシア。さっきの握力、見事だった。八十キロ……いや、九十キロは出ていたのではないか?」


「ふふ、怒りでアドレナリンが出ていましたから。火事場の馬鹿力ですわ」


「『ベンチプレスの記録更新中だから忙しい』という断り文句も最高だった。あれほど論理的で、反論の余地がない理由は聞いたことがない」


「でしょう? 筋トレの時間を邪魔するなんて、万死に値しますから」


私たちは顔を見合わせて笑った。

周囲の騎士たちも、「さすが姉御だ!」「王太子の手紙を粉にするなんてロックすぎる!」と歓声を上げている。


「さあ、トレーニングを再開しましょうシグルド様。インターバルが長引いてしまいました」


「うむ。筋肉が冷えてしまう前に、次はデッドリフトだ」


私たちは何事もなかったかのように、バーベルの元へと戻った。

王都の危機?

元婚約者の破滅?

そんなことより、今は目の前の鉄のバーベルのほうが重要だ。


私たちの「筋肉留学」は、誰にも邪魔させるつもりはない。


 ◇


一方、その頃。

命からがら逃げ帰ったリバル男爵からの報告を受けた王太子カイルは、顔を真っ赤にして激怒していた。


「な、なんだとぉぉぉ!? 断った!? しかも手紙を粉にして捨てただと!?」


執務室でカイルが絶叫する。


「は、はい……。それに、『ベンチプレスが忙しい』とか、『貧弱な男には興味がない』とか……」


「ベンチ……何だそれは!? 新しい男の名前か!?」


カイルは勘違いの方向に暴走した。

ベンチプレスという男に、レティシアを寝取られたと思ったのだ。


「おのれレティシア……! 私という高貴な男を捨てて、辺境の野蛮人に走るとは! 許さん、絶対に許さんぞ!」


カイルは爪を噛んだ。


「こうなったら、力ずくでも連れ戻す! いや、その前に……」


ドオオオオオンッ!!


その時、王都全体を揺るがすような地響きが起きた。

天井からパラパラと砂が落ちてくる。


「な、なんだ!? 地震か!?」


ガタガタと扉が開き、近衛騎士団長のガレインが血相を変えて飛び込んできた。


「で、殿下! 大変です!」


「今度は何だ! 騒がしい!」


「王都の結界が……完全に消滅しました!」


「な……?」


カイルの思考が停止する。

結界が消えた?

それはつまり、魔獣に対して無防備になったということだ。


「さらに、北門、東門、西門の三方向から、魔獣の大群が接近中! その数、数千! 空にはワイバーンの群れも確認されています!」


「す、数千……!?」


「もはや我々の手には負えません! 殿下、ご決断を! すぐに避難を……いや、避難先などありません! 王都が包囲されています!」


ガレインの悲痛な叫び。

カイルは窓に駆け寄り、外を見た。


空が黒く染まっていた。

雲ではない。

無数の魔鳥の群れが、太陽を覆い隠しているのだ。

遠くからは、街の人々の悲鳴と、魔獣の咆哮が聞こえてくる。


「う、嘘だ……。こんなこと、あるわけがない……」


カイルはへなへなと座り込んだ。

レティシアがいなくなって、わずか数週間。

平和だった王都は、終わりを迎えようとしていた。


「レティシア……レティシアさえいれば……!」


カイルは今さらながら、彼女の名前を呼んだ。

だが、その声が北の地に届くことはない。

彼女は今、愛する男とバーベルを持ち上げるのに忙しいのだから。


「誰か……誰か助けてくれぇぇぇ!!」


王太子の情けない悲鳴が、崩壊の始まった王都に虚しく響き渡った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ