第7話 初めてのデートはダンジョンで。「この魔物は背筋に効くわ」
私が辺境の砦に来てから、二週間が経過した。
騎士団の様子は、劇的に変わりつつあった。
「ふんっ! ぬんっ!」
「あと三回! 大胸筋を意識して!」
「イエス、マッスル!」
早朝の広場。
かつてはダラダラと剣を振っていた騎士たちが、今はペアを組んで丸太を持ち上げたり、巨大な岩を背負ってスクワットをしたりしている。
彼らの身体は明らかにデカくなっていた。
鎧がパツパツになり、「サイズが合わなくなった」という嬉しい悲鳴が補給班から上がっているほどだ。
「いいわ、みんな! 今日は特に三角筋のパンプ感が素晴らしいわよ!」
私が高台から声をかけると、騎士たちが野太い声で応える。
彼らは私を「師範代」と呼び、崇拝している。
どうやら筋肉教の教祖になってしまったようだが、悪い気はしない。
そんな朝の指導を終えた私の元へ、シグルド様がやってきた。
「レティシア。少し時間はあるか」
「はい、団長。どうされました?」
彼は少し言いにくそうに視線を泳がせた後、真剣な眼差しで私を見た。
「実は……近くの地下迷宮に調査へ向かうことになった。最近、魔力の流れが不安定でな。原因を突き止めたい」
「まあ、ダンジョンですか!」
「うむ。危険な任務だが……君に同行してもらえないだろうか」
シグルド様が、そっと私の手を取る。
「君の力を見込んでの頼みだ。それに……二人で行きたい」
(二人で……!?)
私の心臓が早鐘を打った。
これは任務という名目の、いわゆるデートのお誘いではないだろうか?
薄暗い迷宮、二人きりの空間、吊り橋効果。
恋愛シミュレーションならイベント発生確定のシチュエーションだ。
「喜んで! お供いたします!」
「助かる。では、準備をしてくれ。一時間後に出発だ」
◇
私たちは馬を駆り、砦から北へ数キロ離れた山岳地帯へと向かった。
今回の目的地は『黒鉄の坑道』と呼ばれる、中級ダンジョンだ。
「装備はそれで大丈夫か?」
シグルド様が、私の服装を見て心配そうに尋ねる。
今日の私は、特注で作らせた冒険者風のスタイルだ。
動きやすさを重視した革のショートパンツに、タンクトップ型の鎧、そしてニーハイブーツ。
露出度は高いが、可動域は抜群だ。
「ええ、問題ありません。重い鎧は可動域を制限しますし、私の筋肉のほうが硬いですから」
「……確かに。君の腹斜筋のラインは、どんな鉄鎧よりも頼もしく、そして美しい」
シグルド様は真顔でとんでもないことを言う。
彼は今日、いつものマントを外し、軽装の鎧を纏っている。
そのおかげで、太い二の腕や胸板の厚みがよく分かる。
眼福だ。
「着いたぞ。ここが入り口だ」
私たちは巨大な洞窟の前に立った。
中からはひんやりとした冷気と、魔物の気配が漂ってくる。
「レティシア、私の背中から離れるなよ。何が飛び出してくるか分からない」
シグルド様が大剣を抜き、私を庇うように前に出る。
その背中の広さ、頼もしさに、私の胸がきゅんとなる。
(ああ……あの広背筋に抱きつきたい)
不純な動機を抱きながら、私たちはダンジョンの中へと足を踏み入れた。
◇
ダンジョン内部は、意外にも明るかった。
壁面に埋まった発光苔が青白く輝き、幻想的な雰囲気を醸し出している。
「綺麗ですね……」
「ああ。だが油断するな。ここは『リビングメイル』や『ロックゴーレム』といった、物理防御の高い魔物が多い」
「物理防御が高い……?」
私の目が輝いた。
それはつまり、「叩き甲斐がある」ということだ。
サンドバッグとしては最高ではないか。
ガシャン……ガシャン……。
奥から金属音が響いてきた。
現れたのは、錆びついた鎧が勝手に動いている魔物、リビングメイルの集団だ。
その数、五体。
「下がっていろ、レティシア!」
シグルド様が疾風のごとく踏み込んだ。
大剣が一閃。
先頭の一体が、兜ごと真っ二つに両断される。
「せいっ!」
返す刀で二体目を吹き飛ばす。
その動きは洗練されていて、無駄がない。
重い剣を振っているのに、体幹が全くブレていないのだ。
(素敵……! あの大殿筋の使い方が素晴らしいわ!)
私は後ろで拍手喝采を送りたい気分だったが、残りの三体がこちらに向かってきた。
シグルド様は二体の相手をしていて、こちらまで手が回らない。
「レティシア! くそっ!」
彼が焦ったように叫ぶ。
リビングメイルが剣を振り上げ、私に襲いかかる。
普通の令嬢なら「キャー!」と悲鳴を上げるところだ。
しかし、私は違った。
「ふふっ、甘い」
私はにやりと笑い、振り下ろされた剣を素手で掴んだ(白刃取り)。
ガキンッ!!
金属同士がぶつかったような音がするが、私の掌には強化魔法がかかっている。
かすり傷ひとつつかない。
「えっ……?」
リビングメイル(中身は空洞だが)が驚いたように動きを止めた。
「剣を振る時は、もっと腰を入れなさい。手打ちになっているわよ」
私は説教をしながら、掴んだ剣ごとリビングメイルを引き寄せた。
そして、その金属のボディに、至近距離からのボディブローを叩き込む。
「ハッ!」
ドゴォォォォンッ!!
鎧の腹部がひしゃげ、背中側へと突き抜ける。
リビングメイルは「ガハッ」という音(金属音)を立てて崩れ落ちた。
「さて、次は貴方たちね」
残りの二体が怯んだ隙に、私は両手でそれぞれの兜を掴んだ。
アイアンクローだ。
「むんっ!!」
ギリギリギリ……メキョッ。
握力八十キロの万力で締め上げると、兜は空き缶のようにひしゃげ、そのまま動かなくなった。
「ふぅ。ウォーミングアップ完了ね」
手をパンパンと払って振り返ると、シグルド様が口を開けてこちらを見ていた。
彼もすでに敵を殲滅していたようだ。
「……レティシア。君は本当に、規格外だな」
「お褒めいただき光栄です。でも、シグルド様の剣捌きも見事でしたわ。特に三体目を斬った時の、手首のスナップ(回内)がセクシーでした」
「セクシー……? 剣技をそう評されたのは初めてだ」
シグルド様は苦笑しながら、剣を収めた。
◇
私たちはさらに奥へと進んだ。
最深部に近づくにつれ、道は広くなり、天井も高くなっていく。
「そろそろボスの部屋だ。気配がする」
シグルド様が警戒を強める。
その時、地面がズズズ……と揺れ始めた。
「グルルルルォォォォ……!」
地響きのような咆哮と共に、岩壁の一部が隆起し、巨大な人型を形成していく。
岩石でできた巨人、ロックゴーレムだ。
しかも、通常のものより二回りは大きい。
身長五メートルはあるだろうか。
「キング・ゴーレムか! 厄介だな、物理攻撃が効きにくい!」
シグルド様が構える。
ゴーレムの岩肌はダイヤモンド並みに硬いと言われている。
剣で斬りつけても、刃が欠けるだけでダメージが通らないことが多い。
「レティシア、魔法で援護を頼む! 私が注意を引きつける!」
シグルド様が叫び、ゴーレムに向かって走り出した。
囮になって、私の魔法攻撃の隙を作ろうとしてくれているのだ。
しかし。
残念なことに、私は魔法が苦手だ。
「身体強化」以外の魔法は、せいぜい「豆電球くらいの明かりを灯す」程度しか使えない。
完全に物理特化のスキルツリーなのだ。
(どうしましょう。魔法で援護しろと言われても……)
私は考えた。
要は、あの岩の塊を壊せばいいのだ。
斬撃が効かないなら、打撃。
打撃が効かないなら……。
「投げればいいのよ」
私は閃いた。
ちょうどいいトレーニングメニューを思いついたのだ。
シグルド様がゴーレムの足元を斬りつけ、注意を引いている。
ゴーレムが巨大な腕を振り回し、シグルド様を潰そうとする。
「今だ、レティシア! 最大火力の魔法を!」
「はい! 行きます!」
私は叫び、地面を蹴った。
魔法を詠唱する代わりに、猛スピードでゴーレムの懐へと飛び込む。
「えっ? レティシア!?」
シグルド様が驚く中、私はゴーレムの巨大な足首にタックルした。
「ふんぬぅぅぅっ!!」
低重心からの体当たり。
バランスを崩したゴーレムが、グラリと揺れる。
その瞬間、私はゴーレムの腰(岩の出っ張り)に手を回し、自分の腰を深く沈めた。
相手は岩の塊。
重さは数トン。
普通なら持ち上がるはずがない。
だが、今の私は「筋肉師範代」。
そして、愛する人の前でいいところを見せたい乙女だ。
火事場の馬鹿力が発動する条件は揃っている。
「デッドリフトォォォッ!!」
全身の筋肉を総動員する。
脊柱起立筋が悲鳴を上げ、大腿四頭筋が焼き切れるほど熱くなる。
ズズズズズッ……!
「なっ……!?」
シグルド様が目を見開く中、五メートルの巨体が、宙に浮いた。
「この魔物は、背筋に効くわねえええええッ!!」
私は雄叫びと共に、ゴーレムをバックドロップの要領で後方へ投げ捨てた。
ドガァァァァァァァァンッ!!
天地が逆転したゴーレムは、頭から地面に激突した。
自重と落下の衝撃で、ダイヤモンド並みに硬い岩のボディが粉々に砕け散る。
轟音と土煙が洞窟内を埋め尽くした。
「……ふぅーっ、ふぅーっ」
私は肩で息をしながら、飛び散った岩の破片を払った。
素晴らしい負荷だった。
背中全体に、心地よい疲労感が広がっている。
土煙が晴れると、そこには瓦礫の山となった元ゴーレムと、石像のように固まったシグルド様がいた。
「や、やりましたわ! シグルド様!」
私は笑顔で駆け寄った。
「……レティシア」
シグルド様は、恐る恐る口を開いた。
「今のは……魔法か?」
「いいえ、純粋な物理です。重力魔法を少し応用して、摩擦係数を……」
私が適当な説明をしようとした、その時だった。
ピキッ。
頭上から、小さな音が聞こえた。
見上げると、先ほどの衝撃で天井の鍾乳石が緩んでいたらしい。
鋭利な槍のような巨大な鍾乳石が、私の頭上めがけて落下してきていた。
「っ!」
反応が遅れた。
疲労で足が一瞬、動かない。
(あ、まずい――)
私が身をすくめようとした瞬間。
ドスッ!
「ぐっ……!」
重い音が響き、温かい腕が私を包み込んだ。
シグルド様だ。
彼が私を抱き寄せ、自分の背中で落下してくる鍾乳石を受け止めたのだ。
「シグルド様!?」
鍾乳石は彼の鎧の肩口に当たり、砕け散っていた。
幸い、鎧のおかげで深手ではないようだが、肩当てがひしゃげ、うっすらと血が滲んでいる。
「だ、大丈夫ですか!? 怪我が!」
私は青ざめて叫んだ。
私を守るために、彼が傷ついた。
私が落下物に気づいていれば、素手で粉砕できたのに。
「……かすり傷だ。問題ない」
シグルド様は痛みを堪えるように顔をしかめたが、私を見る瞳は優しかった。
「馬鹿な人……! どうして庇ったりしたのですか! 私なら、あれくらい自分でどうにかできたのに!」
「分かっている」
シグルド様は私の頭に手を置き、静かに言った。
「君が強いことは分かっている。君なら、あの岩さえも粉々にできただろう」
「だったら……」
「だが、身体が勝手に動いた」
彼は私を強く抱きしめた。
その腕の力強さと、伝わってくる鼓動に、私は言葉を失った。
「君がどれだけ強くても、どれだけ岩を持ち上げられようとも……私にとって君は、守りたい女性なんだ」
「……っ!」
耳元で囁かれる低音ボイス。
筋肉への称賛ではない、純粋な「女性」としての言葉。
「君の筋肉に傷がつくのを見たくない。君には、常に美しく、最強であってほしいからな」
(……結局、筋肉の話に戻ってるじゃない!)
ツッコミを入れたかったが、嬉しさのほうが勝ってしまった。
彼は私の強さを認めつつ、それでも「守る」という騎士の矜持を見せてくれたのだ。
そのギャップに、私の心拍数は有酸素運動のリミットを超えて上昇してしまった。
「……ありがとうございます、シグルド様」
私は彼の胸板に顔を埋めた。
汗と鉄の匂いがする、安心できる場所。
「でも、次は私が守りますからね。私の大胸筋は、貴方の盾になるためにあるのですから」
「ふっ……頼もしいな」
シグルド様は笑い、私の背中に手を回した。
「よし、帰ろう。素晴らしい戦果だった。帰ったら、タンパク質を補給して、今日の反省会だ」
「はい! 私、新しい背中の種目を思いついたんです!」
私たちは寄り添いながら、崩壊したゴーレムの残骸を背に、ダンジョンを後にした。
◇
帰り道。
夕日に染まる山道を並んで歩きながら、私はふと尋ねた。
「そういえば、シグルド様。ダンジョンの調査結果はどう報告するのですか?」
「ああ。『物理的な要因により、魔力溜まりの核が粉砕されたため、異常は解決した』としておく」
「物理的な要因……」
「嘘ではない」
彼はニヤリと笑った。
こうして、私たちの初めてのデート(任務)は、筋肉痛と甘酸っぱい思い出、そしてダンジョン崩壊という戦果を残して幕を閉じた。
二人の距離は、スクワットのボトムポジションよりも深く、縮まったのだった。




