第一話
誤字脱字があればご報告下さい。
久しぶりの我が家だ。留学で長い間出払っていたおかげか、空気のにおいすらも懐かしい。風景が見知ったものよりいくらか発展していた。古びた家の壁は塗り替えられ、空き地は公園になっている。
しかし、自分の家がビルに変化していると誰が予想できたろう。
これが俺の家? 違う、断じて。
臓腑に響くような音が聞こえたと思ったら、アタッシュケースが地面に落ちていた。手から力が抜けてしまったようだ。拾い上げようとしたが、手が震えて上手くいかない。
この感情は何か。
大部分は怒りだ。
家には肉親である兄が残っていた。炊事洗濯から掃除まで、我が兄の生活能力は平均のそれより間違いなく劣っている。当然そんな兄一人に家を任せるなど愚の骨頂だ。しかし家を任せられるような友人は居らず、両親も仕事で忙しい。そんなこんなで兄に任せざるを得なかった。兄が二つ返事で受け入れた事と、兄の根性の悪さを思い出した事で俺は安心と共に旅立つ事ができた。
安心といっても、もちろん手放しに安心などできるわけが無く。少なくとも週に一度は携帯電話で連絡を取り合っていた。面倒だったが、俺にとってはどうしても必要な作業だった。出立してから寝ようにも家が心配で眠れない日々が続いたからだ。携帯電話で家の安全を確認してようやく眠れる、と気付いたのが出立後三日目の事だ。振り返ってみると自分が全く安心できていない事に気付いた。
帰路の途中でも連絡をとった。兄にはいつもと何ら変わった様子は無かった。いつ家を売ったか知らないが平然としすぎである。
前々から我が兄の性格は根本から腐っているのでは、と疑っていたのだが、今回の件で兄が想像以上の馬鹿野郎である事が確定的になった。何故相談も無しに家を売り払ったのかが全く理解できない。相談が無くとも、事後報告があっても良かっただろうに。その点で減刑の余地など微塵もない。
今の持ち合わせは流石留学帰りと言うべきか、中学生のおこづかい程度しかない。一旦ホテルに泊まるにしてもお金が足りないだろう。確実に兄から通帳を奪い取り、速やかに宿を確保しなければならない。さもなくば貧困が待っている。
アタッシュケースから携帯電話を取り出し、兄の携帯電話を呼び出す。呼び鈴が長いか短いか、それすらわからない。
電波に乗って兄の声が聞こえた。いつも通りの対応のようだったのでそれは無視した。
「家がビルになるなんて一体どういう事だ」
電話口の兄は一瞬驚いたように息を詰まらせた。
「もう家に着いたのか。随分速いな」
俺の家じゃなくなって今はビルだろ、と言いたいが今はそれどころではない。こっちは生活がかかっている。
「細かい事は会ってから聞く」そして然る後に殴る以上の処置を行う。「今、どこに居るんだ? 十秒以内に言わないと貴様の恥ずかしい話を顔写真と実名と電話番号のセットで世界中のありとあらゆる掲示板にある事無い事晒しまくる」
こういう時の為に撮っておいた写真だ。正面、横、後ろ、馬鹿面の四種類が揃っている。最近の携帯電話はネットに繋げる事ができる。無駄に高い通信料は見ない事にして、できるだけ多くの掲示板に書き込み、それからバイトの面接を受けに行く。仕事を選ばなければ働き先を見つけられるだろう。そうでなければ空き缶でも拾い集めてホームレスだ。他の掲示板には追々書き込めばいい。
そんな事を考えていると兄が素直に居場所を吐いた。経過時間二秒。話が嘘でなければどうやらリディクルーという名の島にいるらしい。とてもこの国の島とは思えない名前だが、ここから近い場所にあったはずだ。一度居た事があるから、間違いはないだろう。そうは言っても手元にあるこづかい程度の 金額では辿り着く事すら難しいかもしれない。
島である。しかし近くの港までなんとか行けば、船を借りるなり兄に迎えに来させるなり方法はたくさんある。いざとなったら自力になるが。
「じゃあ、これから港まで行くから船か何かで迎えに来てくれ」
「いや、それは無理だな」
即答か。しかし、俺は兄から通帳と財布の中身を奪って然る後に殴る以上の刑罰を与えねばならない。
「何故」
「他所の人間を島に入れるには許可がいるんだよ。そもそも、船持ってないしな、俺。ここの人に連れてきてもらったからな」
携帯電話の向こうから電波を通して鼻で笑うような音が聞こえた。こいつは本当に肉親なのかという疑問が沸々と湧き上がって来る。
島に行けない場合、または兄から金を奪えない場合は問答無用で掲示板へ書き込むことになるというのに、気にした様子が無い。おそらく思考の枠に入っていないのだろう。
兄はのうのうと含み笑いを続けている。
さて、どうやって島に行ったものか。
だが、「絶対にお前を殴る」これは、確定だ。
近くの海岸まで来てみた。もちろん島は見えない。
「せめて島の場所が精確に分かればな・・・・・・」島に居たと言っても随分前の事だ。場所を完璧に覚えているわけがない。兄に発信機か何か付けておけば苦労は何も無かったというのに。実際問題、俺にはもう後が無い。ここまで来る為のバス代で所持金の底が見えた。失敗は許されないだろう。
不透明プラスチックのようなやや緑がかった円盤を取り出す。
幸いこの海岸はみごとな程の田舎で、しかも人里から離れている。人通りはまばらどころかほぼ皆無であり、例えここに裸踊りをしている奴がいても目撃証言はほとんどの確立で出ないだろう。
そう、例えばここで魔法が使われたとしても。
つい先程取り出した円盤に座り、魔力を流す。浮かび上がった事を確認する。いくら人通りが少ないと言っても確実に目撃されないというわけではない。俺はできるだけすばやく上空へ上がる。
この円盤こと、『幻視する希望の一選択』は、実に高性能な飛行用魔宝具だ。見た目がまるっきりUFOのくせして音速に近い速度を出す事が出来る上、どんなに重い物を乗せたとしても軽々と浮かび上がるだろう。欠点は直径が一mに満たない事だ。従って基本的に一人しか乗る事ができない。それに、まともに掴める所が無いので速度を出せば出すほどトマトケチャップになりやすくなる。全くこの魔宝具を作った奴は優秀だが、どこか抜けているようだ。
快適な空の旅を楽しみながら、俺は海面に目をこらす。
リディクルー―――『魔女の万華鏡』はこの近辺にあったはずだ。
強力な幻覚魔法が視認を妨げる為島自体を見つける事は難しい。しかし幻覚魔法ではそこに居る魔法使い達の魔力までは隠せない。
すぐに見つかった。
常人にはそこが海以外何も無い空間に見えるだろう。だが間違いなくリディクルーはそこにある。大量の魔力が見える事が証拠だ。
リディクルーの幻覚魔法兼魔法障壁はいったん中に入ってしまえば害が無くなるものだったと記憶している。そうじゃなかったら島の人間が幻覚に惑わされるのだから。シェキナを操り、着陸せんとリディクルーへ近づく。
とたんに、轟音。
嵐のような風が吹きつける。バランスを取り、落下を避ける。しかし随分と弾き飛ばされてしまった。
攻撃を受けたわけではない。
これは幻覚魔法の影響による、力場の乱れだ。力場が乱れる事で大気が乱れ、嵐のようになっているのだろう。
「完全に忘れてた」
大気が乱れていようと、通り抜ける方法が無いわけでもない。だがそれは若干危険だ。落ちるが最後、海まで真っ逆さまか空中に放り出されるかのどちらかだ。命の危険は少ない方が良い。
通り抜けるのが面倒なら、壊せばいい。
リディクルーを囲う魔法障壁は一度にある程度以上の威力の魔法攻撃を行えば一時的に消え去る。もしくは、乱れた力場を吹き飛ばすかだ。しかしそれでは大規模な魔法が必要になってくる。
ではどうするか。
俺は立ち上がり、詠唱を行う。
「―――力場展開、固定」
魔力が肉体から放出され俺の前方に拳大の塊ができる。魔力を放出すればするほど塊は巨大化していく。
たいがいの魔法には核という部分がある。
玉が手ごろな大きさになった時を見計らって、全力で魔力の玉を殴りつける。
狙うは核だ。核を壊せば、魔法は崩壊する。限定的に魔法を打ち込む事で、高威力の魔法を使うよりずっと低い労力で幻覚魔法を破壊する事が可能だ。
命中と同時に、またあの暴風が俺を襲う。だがこれは一時的なものだ。魔法が崩壊する、その余波だからすぐに収まるはずだ。ちょっと今にも振り落とされそうで死にそうだけど。
風が収まった。その時ようやく島の全貌が見えた。
一つの塔を基調とした巨大な町がそのまま海に浮かんでいるという風情。町が浮いていると言っても全体は島という体形をとっている。今の都会のような自然を排除した町ではなく自然と一体になっているとでも言うのだろうか。なんか畑まであるし。以前居た時と大きく変わったところは無い。
突然携帯電話が鳴った。兄からである。
「おいてめえコラ」
着信に応じた途端これだ。いきなり何だ脈絡も無く。
「お前か」
何やら真面目な様子だ。だがしかし主語か述語が添削されたらしい。これでは何について聞いているのかがわからない。
「何が俺なのかしらないけど、もうすぐ島に着くから」
「やっぱ幻覚魔法解いたのお前か」
まさかとは思ったが、と兄がため息を吐く。
「で、今何処にいるんだ」
何処って、上空か海上かの二択だろう。
上空だと答えると呆れたようなため息がまた聞こえた。いや、そんな事はどうでもいい。さっさと家を売った事情を聞きだそう。まずは奴とご対面しなければならない。
「そんな事より今、島のどのあたりに居るんだ」
話を聞く前に殴る必要があるからだ。この手順がくつがえる事はたとえ大層な事情があったとしてもありえない。
曰く、買い物の為に店へ行く途中だったのだそうだ。手ごろな所へ呼び出しでもするか。人目がつきにくい所が良い。
「砂浜がある、そこに来い。来なければ晒す」
返事を待たずに電話を切った。この島に砂浜と呼べる場所は一箇所しかない。他は岩があったり急勾配であったり、人が立ち入りにくい状況になっている。普通に考えてそこに行くだろう。
島に近づき、シェキナから降りる。兄が来るまで何もする事が無い。ただ立っているだけでは暇すぎる。見る物と言っても海ぐらいしかない。あまりに変化が無くて暇だ。
ふと、人の気配を感じた。
いや、人目がつきにくいと言っても、まばらに人はいる。囲まれているような気がしなくも無いけど、これも気のせいだろう。
何か詠唱のようなものが聞こえたが、これもきっと気のせいだ。




