Chapter 30 九条が家にやってきた⑤
九条の愚痴を聞いているうちに、コンビニの目の前に着いた。
「着いたよ。これでやっとエアコンのある場所に入れる」
汗が川のように流れる顔に、満面の笑みを浮かべながら、九条は店に入ろうとした。
「そうだね」
そう言って僕と九条がコンビニへと入ろうとしたとき、スマホのバイブレーション音が鳴った。
誰かから連絡が来ていないかを確かめるため、僕はスマホを開いた。
画面には通知が来ていない。ということは、九条か。ポケットの中が光っている。
「九条、誰かから通知来てない?」
僕は聞いた。この通知が、コンビニにいるお客さんの誰かである可能性もあるからだ。
何かに怯えているような表情をした九条は答える。
「そう? た、多分、コンビニの中にいる誰かじゃないかな?」
「でも、ポケットの中光ってるよ」
「そうか……」
青白い顔に暗い表情を浮かべた九条は、震えた手でポケットからスマホを取り出し、電話に出た。
少し離れた場所から、電話に出る九条を見る僕。
小さくなっている九条の声。そしてスマホのスピーカー越しから聞こえる、大きく甲高いヒステリックな声。この感じからして、九条の母親と話していることは確かだろう。必死に、
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
と今にも泣き出しそうな声で謝っている。どうやら、電話の相手は母親だったらしい。
「誠、ごめん……。おれ、今日家族の誰にも言わずに誠の家に来たんだ」
汗とともに大粒の涙を流しながら、九条は言った。
この言葉を聞いたとき、僕は責任を感じた。
母さんとの約束もあるのだけど、自分から誘っておいて、九条を泣かせてしまうなんて。でも、家で一緒に遊んでいたときの九条の顔は、とても無邪気で楽しそうだった。間違いなのか、正しいのか、どっちなのかわからなくて混乱している。
「そうだったのか──。なんか、勝手に誘ってごめんね。でも、九条が来てくれて、今日はとても楽しかった。早くお昼買って、帰ろう。暑いから」
「うん」
うなずく九条。
「これ、汚いかもしれないけど、使う?」
涙を流し、しわくちゃな顔になっている九条に、僕はポケットの中に入れたタオルを差し出した。
「うん」
タオルを受け取り、汗と涙を拭う九条。
「よしいい子だ。ご飯買ったら、帰ろうか」
コンビニでお弁当を買ったあと、家に帰って僕と九条はお昼ご飯を食べた。
食べ終えたあとに一休みし、真夏の太陽が照らす、白と黒と水色だけの住宅街の中を歩き、九条を駅まで見送った。
人通りの多い駅の中で、九条が言った、
「またね。2学期に会おう」
という言葉とそのときにした哀しげな微笑は、縁を切ってから8年経った今でも覚えている。
駅から帰ってきて着替え、リビングのソファーで一休みをしているとき、母さんは、
「九条くんいい子だったじゃない。かわいらしくて礼儀正しい」
と言ってきた。
「そう? 僕の部屋の中を散らかしたあいつが?」
「男の子はそれぐらい元気でもいいの。休みの日はいつも引きこもってる誠の方が不健全よ」
「不健全って、そんな言い方ないじゃんか」
キレ気味の口調で僕は言った。
「誰がどう見たって、誠のライフスタイルは不健全って言われるわよ」
「でも、ちゃんと朝には起きてますよ。規則正しいからいいじゃんか」
「それを言われたら何も言えないわ。あと、今日母さんホッとした。誠にもこうやって遊んでくれる友達がいてくれたから」
母さんはそう言って、白く小さな顔に微笑を浮かべた。
──母さんが、笑った。
母さんの笑顔を間近で見たのは、保育園のときときぐらいだろうか? あまりにも昔過ぎて覚えていない。だが、小学校から今に至るまでは、小うるさいぐらいの印象しかなかった。小学校のときは、「宿題やれ」、中学校のときは「遅刻するな」、高校生になった今は、「友達作れ」。どれも僕にとっては億劫になることばかり。いつも眉間にシワを寄せてはうるさく言っていた。
けれども、今になってやっとわかった。母さんは僕に嫌われるリスクを分かっていながら、今の僕、そして未来の僕へと導いてくれているのだと。
「いつもありがとう、母さん」
そう言って僕は、母さんに微笑み返した。




