2.6
「んで? おっさんはどうすんだ?」
酒を呷りながらのカトーの声が、俺を現実に引き戻した。何が作り上げたのかは知らないが、見上げた根性をしている。しかし口にはしない。ギャンブラーの手の上で踊るのはご免だ。
俺は相棒の撃鉄を引き起こした。
「どうするかって? それは俺のセリフだよ」
左右を見回す。殺気はない。
「逃げるなら今の内だな。俺がお前を追う意味はなくなった」
「なんだそりゃ? そりゃどういう了見なんだ?」
「どうもな、お前に賞金を懸けたミセス・ホールトンの狙いは、俺らしいんだな」
「……だからどうでもいいって? 意外と小さなキンタマしてんだな」
カトーは自分で自分の言葉に吹き出し、バーボンに喉を焼かれていた。笑いたければ笑えばいい。
俺は目を瞑り、カウンター越しに気配を探った。近づいてきてはいないようだ。
「――少なくともお前よりはデカいつもりだったんだがな……この店の裏口を知ってるか?」
「おれを殺さないってんなら、教えてやらないでもないね」
「さっきの今で、俺がお前を殺すと思うか?」
「イエスかノーで答えるなら、信用できねぇ、ってやつだ。分かんだろ?」
カトーのしたり顔に、俺は舌打ちした。
「殺すならお前のバカ話を聞いちゃいない。少しは頭を使え」
「交渉成立と受け取っておくよ。そこのバーテンの死体の向こう側だ」
「じゃあ先に行ってくれ。後ろからついていく」
「なんだよそりゃ。普通は銃を持ってる奴が先に行くんじゃねぇのか?」
言いつつ、カトーは何かを探すようにキョロキョロと首を振った。手を伸ばし、カウンターの下から古臭いポンプアクション式の散弾銃を取った。使われなかった防犯装置だ。
ジャキン、とカトーがフォアエンドを操作した。薬室から弾が一発飛び出し、床を転がった。
「んじゃ、おれが先に行くから、おれのケツを舐めるようについてきな」
「ふざけるのも大概にしろ。俺はお前のケツに四四口径の鉛玉を突っ込めるんだ」
「どうせ不発さ。おれにはベルヌーイ様がついてるからな」
「数学者の名前に興味はない。さっさと行け」
小さく肩を竦め、カトーはガラス瓶の破片だらけとなった床を這うようにして歩きだした。どうやら、ベルヌーイなる神に本当に命を賭けてしまっているらしい。何に起因するオカルト信仰なのかは知らないが、どんなに薄い確率であっても人の三倍は勝てるという信仰が、彼に無茶苦茶な芸当をさせるのだろう。
カトーは一人勝手にガサガサ進み、角を曲がった瞬間、立ち上がった。
「角度が悪ぃ!」
「なんの話だ!?」
刹那、頭のすぐ左側を弾が抜けていった。音速を容易に越えて飛翔してきた弾丸が衝撃波を生み、俺の脳を揺さぶった。よろめきながらも足だけは回し続けた。カトーが裏口扉を蹴り開け飛び出し――止まった。
ベルヌーイとやらを信仰する馬鹿野郎が、散弾銃を足元に捨てた。
「待ってくれ!」
ハンズ・アップ――降伏の印だ。
俺は音を立てないように進み、壁に背をつけた。
「てめぇはどうでもいい! もう一人はどうした!?」
激高する男の声がした。安普請の壁越しに得物が下がる気配を探る。
一拍の間を取り、俺は銃を構えながら躰を出した。予想通り、こちらを指さす薄情者のカトーの視線の先に、切り詰めの散弾銃を下ろして走り始めようとする男がいた。臭いそうなポンチョの上についた薄汚いツラが、恐怖に歪んだ。
俺は照星を男の右肩に向け、引き金を引いた。
「かぶぁっ」
男の叫びと銃声が混じる。同時に、俺は――おそらくはカトーも、息を呑んだ。
まともにフックを食った三流ボクサーのように回転しかけた男の腹を、山刀が突き破ったのだ。
血脂に濡れて光る刃渡り二十五インチ近い肉厚の刃が、男の絶命を確かめるかのように捻られた。股間に向かって切り下げた。哀れにも男の股下丈は一〇インチも伸びた。生きていれば女には不自由しないだろう。もっとも、長い足で口説き落としたところで、肝心のモノは真っ二つだが。
男の躰が一八〇度の開脚を披露する間に、俺は撃鉄を起こした。
しかし、引き金を引く必要はなかった。
そこにいたのが、女で、少女としか言いようがなかったからだ。
「……間に合った、みたいね。……と、あんたは……?」
少女は息苦しそうに肩を上下していた。掠れてはいるが若々しく、気だるげな色が乗った声だった。
撃つべきか、銃を収めるべきか。
俺は迷った。
賞金稼ぎ狩りを狩り殺したのだから、味方……で、いいのだろうか。
少女は荒れ気味の短い黒髪をかき上げた。浅黒い顔にはベッタリと返り血がつき、細い輪郭と形のいい目鼻が台無しだった。
俺は、俺を見据える左の黒い瞳と、完全に機械化され青白い光跡を残す右の瞳に、目を奪われた。全身に夥しい数の古い切創があるにも関わず、見る者にそれを忘れさせるほどの強さがあった。
それと、もうひとつ。
瞼と頬には、瞳を跨ぐ縦二本の傷痕。おそらく、十年ほど前についた傷痕だ。
その傷のせいで、俺は素直に名乗るのを躊躇した。
眼光の鋭さも、顔につけられた古い痕も、内陸部ではよくあることだ。どんな美人も、ほんの少し運が悪いと醜い傷をつけられてしまう。
しかし、無数の切創が全身を覆い、それらが同時期につけられたであろうものならば、俺はある可能性を考慮しなければならない。
少女は、かつてサイコ野郎レイザー・ブリッグスから、俺が救出した娘――かもしれない。
もしそうだとしたら、名乗るわけにはいかない。少女にとって俺がヒーローであるにしろ、親の仇であるにしろ、名乗ればややこしいことになる。
何も言えずにいる俺を見かねてか、カトーがこちらを指し示しつつ、口を開いた。
「大丈夫だよ、ジェシー。こいつはお前の好きな賞金稼ぎ様って奴だ。名前は――」
「ファーマーだ」
俺は直感に従い、思いついた名を名乗った。
「賞金稼ぎだ。そしてどうやら、お前さんが切り殺した男の標的でもあるらしい」
ジェシーと呼ばれた少女は形のいい眉を訝しげに寄せた。
「あんたが狙われてた? ファーマー? 聞いたことない名前だ」
「そうだろうよ。もう引退してたところを引っ張り出された、骨董品なんでな」
「引退?」
ジェシーは右手に握る山刀を風を切るように振り下ろした。刀身にこびりついていた血が、白茶けた大地に深紅の曲線を描いた。何かを思案するように一瞬だけ視線を外し、すぐにこちらに向き直った。
「おじさん。〝デスハンド〟って賞金稼ぎを知ってる?」
「……知ってるよ。デスハンド・ジャックだろ? レイザー・ブリッグスを殺した」
答えつつ、俺は偽名を使った甲斐があったことに、ため息をつきたくなった。
「いまじゃ、もう、デッドマンズ・ハンドだがな」
一拍か二拍か、とにかく少しの間を置いて、ジェシーは困ったように小首を傾げた。対照的にカトーはニヤリと唇の端をあげ、俺とジェシーを見比べた。
「おいジェシー。〝デッドマンズ・ハンド〟のジャックってのは、有名人なのか?」
デッドマンズ・ハンドと口にするとき、カトーは両手を上げてダブルクォーテーションまでつけた。腐ってもギャンブラーか。ワイルド・ビル・ヒコックの最後の手札は知っているらしい。
「デッドマンズ・ハンドじゃなくて、デスハンドだよ」
ジェシーは露骨に眉根を寄せて、苛立ちを隠そうともせず言った。
「伝説の賞金稼ぎで、アタシにとっての恩人で、レイザーを殺した男」
「なるほど。陸舟の女船長ジェシー様の憧れの人ってわけだ」
――恩人か。
俺はまだ高い太陽を見上げ、口の中だけで呟いた。改めて十年前のレイザーの被害者ジェシーに目を向けると、なるほど、と思う。
薄手のメキシカンポンチョをマフラーか何かのように背後に回し、両肩は丸出し。腹を冷やしそうな短いチューブトップの下のかわいらしいヘソ。下は下でローライズのホットパンツだ。健康的かつ肉づきのいい太ももには山刀の鞘が結び付けられ、足元は古式ゆかしいウェスタンブーツ。
そして、露出した肌のあちこちを走る、古い傷痕――。
間違いなくレイザーがつけた傷だ。瞳と交差する二本の傷は、あのサイコ野郎お気に入りのやり口だった。ジェシーという少女が惜しげもなく肌を晒しているのは、『私は生存者だ』と誇っているからだ。
でなければ十五、六にして男の腹を掻っ捌きはしないだろうし、全身の切り傷も消したはずだ。その証拠に、光を失った右目こそ機械式の義眼に換装していても、その瞳を跨ぐ二本の切り傷だけは残している。
レイザー・ブリッグス。あのサイコ野郎は、死してなお俺を追い詰めるらしい。




