2.5
「……ジェシカがどうしたって?」
俺は思わず聞き返していた。元妻のジェシカは、俺の半分ほども生きてない美しい……少女だった。
ジェシカ自身は自分で選んだ道だからと、もう大人ではないと笑っただろうが、俺にとっては少女も同然だった。たしかに夫婦として彼女の小麦色の肌に触れたこともある。だが、都度、妙な罪悪感を心の片隅におぼえたものだ。
「……ミセス・ホールトンって女が、ジェシカだってのか?」
「そうだよ、ジャック『デスハンド』パーカー」
「……いまはもうデスハンドじゃない。デッドマンズ・ハンドだよ」
「どうでもいいんだよ、ジャック。攫われたはお前の元・女房だ。それだけだ」
吐き捨てるように言って、カスパーは帽子を取った。額に汗が浮かび、細い毛がはりついていた。
「ジェシカは、再婚したのか」
俺は安楽椅子を揺らした。
雲ひとつない明るい空は少しずつ色を濃くしていく。鷹が、住処へ飛んでいく。
意外だった。だが、納得もいった。
ジェシカは貞淑かつ気丈な妻だった。賞金稼ぎの俺になんら負い目を感じる様子もなかったし、別れる前もすべてを悟っているかのような顔をしていた。別れたとき、ジェシカは二〇歳になったばかりだった。これからの人生の方が長かったのだ。
「あのジェシカが、ギャングのボスの女になって、攫われただって?」
「さっきからそう言ってるよ。俺はな。お前の理解が及んでいないのは知らないが」
「探しに行けって言ってるのか? カスパー」
俺は安楽椅子の脇から新たなルートビアを取りだし、カスパーに手渡した。
「俺が、かよ? 言うわけねぇだろうよ。ただな、かかってる賞金は三十万なんだ」
「三十万だって!?」
フレンディアナで暮らす限り百年マジメに働いても到達しないような異常な額だ。俺が引退を決めるに至った賞金首――サイコ野郎のレイザー・ブリッグスですら、十万ダラーに届かなかったくらいだ。
カスパーは、したり顔で言った。
「どうだ。少しは行く気になったか?」
「どうかね。ジェシカが再婚してたのも、いま知ったくらいだからな」
追いかける資格があるのだろうか、と思う。迷っているのではない。追うなら俺ではなく、しかるべき人間がいるはずだ。
「旦那はどうしてるんだ? 賞金を懸けたっきりなのか?」
それではエクス・マイアミのギャングとして顔が立たないではないか。いや、妻に大金を出した時点で面目は保たれているのか。どちらでもいい。俺の仕事では――。
「旦那は死んでるよ。ジャック」
カスパーはルートビアの王冠を手すりに引っ掛け、上から叩いた。
小気味いい音を立てて弾かれた王冠は宙を舞い、俺の足元に転がった。
「……いつ死んだんだ?」
「結婚してから二年ほど経ってからだ。たった三年の間に、夫が二人いなくなったわけだな。いまじゃ黒い未亡人なんてあだ名まであるらしいぞ?」
「金目当てに旦那を殺してるって? バカも休み休み言え」
俺はルートビアを呷った。愛してやまない癖になるような甘みが一切感じられなかった。
ジェシカは金で男を殺すような女じゃない。夫の身を案じ、考えを理解し、一歩引いて受け入れてしまえるような、強い女だった。
「……攫ったのはどこのどいつだ?」
「……エクス・マイアミのチンピラ――ギャンブラーらしい。見るか?」
「せっかく持ってきたんだろ? 全部置いてけ」
カスパーは黙って封筒を差しだしてきた。崩壊前にも使われていた紐閉じの茶封筒だ。ご丁寧にも二重三重に赤紐で封がされていた。
俺は受け取ると同時に指を突っ込み、封筒の上蓋を切った。カスパーが首を左右に振った。
珍しいことに、色付きの写真が三枚あった。
優男と言っていいだろう。背は高くもなく、低くもなく、痩身だ。顔つきと肌色、名前からすると日系人らしい。ただ、目だけは、まだ若いのに飢えたコヨーテのような眼をしていた。
「……悪くない目だが……ギャングのボスの女を拐うってほどか? 他に分かってることは?」
「調べた限りじゃ、そいつの親は旧ペンシルヴァニアで芋を作ってるらしい」
「なんだって?」
俺の眉根は勝手に歪んだ。
「ペンシルヴァニアで芋?」
「芋を作るんなら、もっと南の方が向いてるってか?」
「そうだ。それに俺なら西に行ってトウモロコシを作る。それで――」
「そんなことはどうでもいいんだ。ただ、追うなら早くしろ。そいつには他にも妙な賞金が懸かってる」
カスパーはルートビアをぐいと飲み干し、空になった瓶をよこした。
「キングスは生死問わずで賞金をかけてるが、ブラッドリーってチンケなギャングが生け捕りにしろって言いやがるんだ――妙だろ?」
「ああ、妙だ。なんでボスの女房の居場所を知りたいキングスが生死問わずで、チンピラの生死なんてどうでも良さそうなギャングが生け捕りを指示する? キングスに売り渡そうって腹なのか?」
カスパーは肩を竦めた。
「分からん。だが、ミセス・ホールトンの居場所を知るには、殺さずに捕まえるしかない。それなら、お前以外に適任はいないだろうよ」
なるほど、と俺は頷いた。デスハンドなんてあだ名をもらっちゃいるが、俺は殺しが嫌いだ。できる限り殺さずに捕まえてきた。それに、もうひとつ。カスパーはジェシカに未練があるのだろう。友人としての立場を優先して手出しはしなかったようだが、惚れていたのは間違いない。だから――
カスパーはトウモロコシ畑を遠い目をして眺め、鼻息とともに口を開いた。
「引退するとき、なにもしてやらなかったからな」
「お前以外に、俺に優しくしてくれる奴はいないさ」
俺は、敢えて自分のこととして答えた。本当はジェシカのためにと言いたいのだろうが、それを肯定すれば彼が傷つく。
カスパーは不自由な右足を前に出し、筋を伸ばした。
「礼は金でしてくれ。嫁さんと話をしてほしかっただけなんだ。俺はな」
「お前の頼みだったら断れないな。久しぶりに、ジェシカと話をしてみようか」
それ以上のことは口にしない。それが暗黙のルールだ。
俺が安楽椅子から立ち上がると、カスパーがぼそりと呟いた。
「せっかくだから、トウモロコシをいくつか貰ってってもいいか?」
「まだ早すぎる。どうせなら脇芽を摘んでってくれ。生で食っても結構いけるぞ」
カスパーが手を挙げたのを尻目に、俺は家に入った。
安物のベッドを押しやり、床下から革張りのスーツケースを出す。十年前、引退してフレンディアナに来てから、ずっと隠し続けていた鞄だ。中には油紙で包んだ塊が六個入っている。
賞金稼ぎ時代、ずっと使っていた雷管式の回転式拳銃だ。他の包みには、黒色火薬のつまったナスにも似た形の装薬入れや、雷管キャップ、予備の弾倉などをまとめている。
久々に包みを開いたが、黄銅色の装薬入れは鷹の横顔を模した彫金も含め、まったくくすんでいなかった。予備の弾倉にも錆びはない。
俺はかつてそうしたように、予備弾倉の準備から始めた。
弾倉の薬室に装薬入れを使って火薬を流し込み、油を染み込ませたフェルトパッチを置き、その上にまん丸の鉛玉を乗せてローディングレバーで押し込める。最後に暴発・汚損予防にグリスを塗って、これで一発だ。同じ作業を六発分繰り返し、最後に雷管キャップを薬室の後ろに取り付ける。終わったら弾倉を交換する。
そうやって俺は予備弾倉を五つ作り、ガンベルトに入れ、カバーをかけた。
最後のひとつには五発だけ弾を込めて、空の一発に撃鉄を下ろす。これもふいの暴発を防ぐためだ。腰のホルスターには暴発時に足を撃ってしまわないよう、鉄板も仕込んである。もっとも、実際に暴発すれば撃ち抜いてしまうかもしれないが。
銃の準備を終えた俺は、封筒からカトー・ナカサキの資料を取りだした。最後に目撃されたのは一カ月ほど前。場所はフレンディアナの街のひとつだった。
合点がいった。だからカスパーが来たのだ。
俺は装備を整え、家をでた。まずはカトーの実家、旧ペンシルヴァニアだ。




