020 Rion 「暗闇に灯る現(うつつ)」
「ライア、大丈夫?」
私達は広場のベンチに座って休憩していた。もうかれこれ三回目の休憩になる。
ライアは額から汗を垂らしながら大丈夫だよと小さく口にした。幸いにも過呼吸等の状態にはなっていないが、右手で自らの胸を押さえるその姿に不安の色が見えていた。
エノーラの自宅に近付くに連れて、ライアの落ち着きが少しずつ剥がされ、表情も暗くなっていった。もう僅か歩くと目的地に到着してしまう。ベンチから立ち上がり、真っ直ぐ進んで十字路を左に曲がればその姿は見える事だろう。
私自身はライアの仕事になるべく介入しないようにすると決めていた。そのため実際にエノーラの家、つまりはライアが贔屓にしている酒場兼傭兵仲介の場には行ったことがないが、私の商売上地図をある程度頭に入れておく必要があったため、場所は把握していた。
暫くすると、ライアは俯いた顔を上げた。ようやく向かう決心ができたのだろうか。私達は何も言わず立ち上がり、ライアはエノーラをその腕に抱えた。首の位置を気にするその姿は少しぎこちなかったが、すぐにその姿勢を安定させた。
周辺には、殆ど人の姿が見受けられなかった。普段ならばこれからが稼ぎ時という時間帯だが、こんな騒動があった後だ。国から今夜の外出と商売の自粛を命じられていても不思議ではない。
見回りの兵士をあまり見かけないことを鑑みるに、今夜中に再度このような混乱が起こることは少ないと踏んだのだろうか。何を根拠に、と一瞬考えたが、奴らは全て魔術的でそれも気色の悪い反応を示していたのだ。姿を見せればすぐにわかると判断したのだろう。
ライアがゆっくりと歩き出すのを確認して、私はその三歩後ろを歩いた。その背中は普段より少しだけ小さく見えたものだが、やはり意思が宿っていると感じだ。
やがて十字路に差し掛かり、ほんの僅かに足を止めてから左へ曲がる。エノーラの家が見えた。
窓から店内の光が漏れている。まだ店を開けているのだろうかと思ったが、入り口の看板はクローズを示していた。
ライアはその入口を通り過ぎ、すぐ隣の路地裏に入っていく。恐らくこの先に勝手口が存在するのだろうと考えついた。その予想はライアが扉の前で立ち止まったことによって合っていたと分かる。エノーラは普段ここから出入りしているのだと教えてくれた。
一呼吸置いて、ライアは腕に抱えたエノーラを気遣いつつ勝手口をノックする。
扉の向こうで食器が割れたような音がした。それと同時に早足の足音がこちらに近づいてきて、扉はすぐに開く。
中から出てきたのは女性だった。ライアよりも薄く、艶のあるクリーム色の髪が特徴的であった。見た目から三十代中旬頃と思われるその女性は、間違いなくエノーラの母親であろう。
慌てた様子。そして、心配を隠し切れない表情。今回の騒動が表に出てからずっと落ち着けないでいたのだろう。
「ライアさん……」
ライアの顔を見て、落ち込んだ表情が少し驚きの色で上塗りされた。だが、それはライアの腕に抱えられたエノーラを見るとすぐに抜け落ち、蒼白した。
一見眠っているように見えないこともないエノーラだったが、勝手口の向こうの光に照らされた彼女は、思っていた以上に真っ白になっていた。
「……ごめんなさい」
守れなかった。ライアはそう付け足し、間接的にエノーラの死を彼女に告げた。
何も言わずに、彼女はその場で崩れ落ちた。きっと、想定していた中で最悪の結末だったのだろう。
部屋の奥から、また一人誰かが歩いてきた。今度は男性だ。彼はエノーラとは相対的に濃い茶色の髪をしていた。少し太ってはいるが、背が高いためかそれが気にならない貫禄があった。目元と鼻がエノーラに似ていると私は思った。
「ライアさんと……そのご友人だね。入りなさい。中で話をしよう」
さあ、君も中に入って、と崩れ落ちた妻を支えて立たせ、慰めるようにしながら部屋の奥へと連れて行った。
娘を失ってまともな話なんて出来るだろうかと考えていたが、父親は努めて冷静に振舞っていた。まるで覚悟をしていたかのような、そんな冷たい炎の感触が見えた。
ライアはエノーラを抱えたまま店の中に入った。私もそれに続く。
勝手口は店のキッチンに繋がっていたようだ。大きなテーブルと四つの椅子を見るに、普段の食事はここでしているのだろうとわかる。部屋は天井の中心から吊るされたインスタント魔術によって照らされていた。安価な発光魔術で、一ヶ月程効果が発揮されるものだと魔力の気配からわかった。エノーラの母は夫に促されるままキッチンに座って顔を手で覆っていた。
私達はさらに奥に案内され、夫婦の寝室であろう場所にエノーラを寝かせるようお願いされた。ライアは腕に抱いた亡骸をそっとベッドに寝かせると、部屋を出て扉を閉める。
「さあ、座ってくれ」
私達にそう伝えると、彼は妻の隣に座った。
エノーラの父の正面にライア、その隣に私が座る。エノーラの母のすすり泣く声のみが暫く響いていたが、沈黙はすぐに破られた。
「君のせいではないことは、よくわかっているよ」
君も悔しいだろう、と彼は続け、ライアの反応を待った。ライアはただ俯いて、はいと答えるだけだった。膝に置かれた彼女の両手はスカートの裾を力の限り握りしめていた。
「こう見えて私もものすごいショックを受けていてね、若い頃だったら君を殴り飛ばしていただろう」
大柄な男が言う台詞にしては覇気を感じられなかった。それほどに参っているという事だろう。
「私は過去に、友と家族を失った」
十年ほど前の『あの』出来事だ、君たちはまだ幼かっただろうし覚えていないかもしれないがね。そう彼は続けた。
「革命戦争、ですね」
私が口を開いた。ライアが母を失ったきっかけになった出来事だ。そして私達が出会ったのもこれがきっかけだと考えれば、私も無関係ではない。
「死んだ家族の顔を見たら、苦しみに顔が歪んだままだった。友はまるで何かを悔やむような顔をしていた」
人の死に際とは、皆ああいった顔をするのだろうなと思った。そして私は旧帝国兵を憎んだ。
「革命戦争はすぐに終結した。友と家族が巻き込まれて死んだすぐ翌日だ」
ただ、大切なものを失ったという結果だけが残ったんだ。その時の私の支えは妻とエノーラだった。それ以外は必要ないと思っていたからだ。そう言い終えると、彼の表情が僅かに変わったように見えた。
「聞かせてくれないか。エノーラの最後を」
その言葉に彼の妻は僅かに反応を見せる。聞きたくないが、聞かなくてはならない。そういった迷いにも似た感情が感じ取れた。
「少なくとも、エノーラは苦しまなかった。私はそう信じたい」
命が失うその瞬間だというのに、あんなに穏やかな顔をしているんだ。少し無理に、しかし絶望の中から救いを求めるように、彼は微笑んだ。
彼はライアの言葉を待っている。ライアは暫くの間黙っていたが、ようやくぽつり、ぽつりと言葉を探すかのようにしながら少しずつ話し始めた。
この家を出てからの話。学校についてどんなことをしたかから話し始め、エノーラが亡くなるまでの話をした。
ライアが学校を出た後の話は、そこに残っていた私がした。亡骸の修復、それから帝国兵がやって来たこと。ライアが戻ってきたタイミングと、他の子供が彼らによって帰された事から、ここに来るまでの事まで、私は話をした。
「……そうか、だいたい、わかったよ」
彼はそう呟くと、しばらく黙り込んだ。彼の妻もようやく少しだけ落ち着いたようで、放心状態ではあるが息が整いつつあった。
「帝国兵さんが日暮れ前にやってきてね」
先程よりも、少し低いトーンで口を開く。現実に向き直るかのように、芯のある喋りだと思った。
「その時初めて、この騒動を知ったんだ。ここ周辺には被害が殆ど及んでいなかったらしいけれど、その時点で死亡者は二十を越えていたそうだ」
テーブルを見ていた彼の瞳は、私とライアの方を見た
。
「……君たちは、もう帰ったほうがいい」
エノーラの事、話してくれてありがとう。でも、ここに皆で居てもお互い辛いだけだろう。そう続けて、彼は立ち上がった。
「葬式は国が主体で行うそうだ。だから……後の手続きは、僕らでやらなきゃならない」
現実的な話をしたくない気持ちを皆が抑えている。だが、「後のこと」はどうしても必要なことだった。
「……わかりました」
ライアは少しの間を置いてから立ち上がった。僅かに放心しているような雰囲気を感じられたが、その足取りはしっかりしていた。彼女は一度だけエノーラの眠る部屋を僅かに見つめ、踵を返して玄関へと向かった。私もそれに続く。
「……また、なにかあったら国が街全体に知らせを出すはず。それまでは、お互い落ち着くようにしよう」
玄関前まで付いてきた彼は、ライアを真っ直ぐに見つめてそう伝えた。
「……はい」
玄関の外にいる私達を僅かに照らす部屋の光。ライアは俯くのを止め、彼をまっすぐに見つめ返していた。
やがて、その扉は閉められ、私達の立つ路地裏は暗闇に包まれた。
立ち尽くす彼女を促すように、私はライアの名を呼んだ。彼女は大丈夫だよ、と小さく口にして、路地裏を出て歩き出す。
先程よりも道が暗く感じた。夜が更けたせいか、それとも知らぬ間に空に雲がかかったせいか、私達にはわからない。上を、空を見上げる気分では無かった。その日、私達は村に着くまで一度もその有るかもわからない星空を見上げること無く歩いた。
光の無い空間で、私達が互いに言葉を交わすことはなかった。
――――。
やがて村に着き、ライアと別れて家に帰った。
そして、自分の部屋の窓から、ようやく暗い空を見上げた。
その夜空には雲がかかり、星はやはり降り注いでいなかった。
けれど、この雲の向こうの星々は、確かに夜の中で輝いていただろう。




