018 Rion 「出逢」
ライアがこの教室を出てからもう僅かで一刻が経過しようとしていた。
疲れきった幼い子供達の多くは床に横になって眠っていた。テリアも隣に座るウォルクに肩を預けるようにしてウトウトしていたが、責任感からか眠りそうになると顔を振って無理に目を覚まそうとしている。ウォルクは何も言わず、子供達を一人ひとり順番に見詰めることを暫く繰り返していた。
万が一何かが起きた時の警戒も同時にしているのだろう。大した集中力を持った少年だ。
私は横たわるエノーラの亡骸の傍に座り込み、彼女の状態を「保存」していた。
白魔術には物質の状態保存を行うことが出来るものがある。
魔力の消費量も少なく、インスタントに込めて販売する白魔術師も少なくない。私もその一人だ。主に腐りやすい魚や肉等の生鮮食品の保存に利用される。
一般的に肉や魚は干す、スモークする、塩漬けにする等の方法で長期保存されているが、やはり新鮮な魚や肉を口にしたい人も多く、この魔術には高い需要があった。
しかし、城下町付近に牧場や漁場が無いため、今までは生鮮食品の殆どは長期保存のための加工をされた状態で入荷される事が多かった。それ以外には「生きたまま連れてくる」のが一番低コストと言われていた。
そこで、近年国が定めた「業務上で利用するインスタントの減税」である。
新鮮な肉や魚が食べたいという国民の声がハイッセム帝国王の耳に届き、このような処置がされた。業務で使うインスタント魔術に関してのみ、現在の税金レートから七割の削減をするというもの。
これによって一部の貴族しか口にすることのなかった新鮮な肉や魚に庶民が手を伸ばしやすくなった。まだ値段は高く高級食材として扱われているが、少なくとも記念日等の特別な日には口に出来る程度まで値段が下がり親しまれるようになった。
この保存の魔術は他にも使い道があり、最近普及した〈歯車式の絡繰〉の錆び防止や劣化速度の遅延、手紙や写真等、残しておきたいが風化してしまうものの保存等にも利用される。また、湿度や温度の保存にも使えるため、保温や冷蔵の為に利用されることもある。
もちろん時間制限はあり、個人用のインスタントに込められるのは小物用でせいぜい二ヶ月、大物用で一週間に満たない程度。
インスタンドでなくても一人前の白魔術師が一度に施せる状態保存の魔術の制限は、小物で三年程度、大物で半年程度だとされている。
彼女に対して「修復」や「保存」という方法しか取れないことに憤りと抵抗を少々感じてはいたが、このまま放っておいて痛々しい身体や真っ青になった顔をあまり多くの人に見せたくはなかった。ライアの中に居たエノーラという少女は心身ともに美しいものであった。私もそれについてはライアの話を聞く度に感心していた。そんな美しいもので構成されたエノーラは、美しいまま最後まで家族や友人に愛されて欲しいと思った。
私は彼女に保存の魔術を施し続ける。
赤くなった空の光を浴びながら誰も口を開く事のない静かな部屋での時間は、心地の良いものではなかったが、なんとなく少しの安心感があった。
――――暫くすると、玄関から校舎内に入ってくる複数の足音が聞こえた。私はそれにはっとして一度エノーラへ向けていた魔術を解き、向き直って構える。ウォルクは私よりも早く、そして足音も立てずに教室の出入り口前で構えていた。その過程で教室に何本か転がったままだったロングソードを拾って順手で握り締めている。柄から刃先まですべて木で出来ているため、恐らくは訓練用のものであろうが、それでも何も無いより心強い。
覚悟の炎で冷たく燃える彼の瞳には、僅かの迷いも焦りも感じさせなかった。このくらいの歳でそんな顔が出来るのかと思える程のものだ。ライアが何か彼に吹き込んだと見て間違い無いと思う。彼女はその才覚で技術を爆発的に磨いた人物だったけれど、同時に不思議なくらい「人に教える」という行為が上手であった。
耳を澄ますと、足音の中にジャラジャラとした金属製の音が多数響いている。足音のタイミングから考えて、きっと彼らは鎧を身にまとっているだろうと簡単に想像が付いた。
その発想と同時に、分隊と思わしき程度の人数が廊下に姿を見せた。
人数は八人程度だろうか。廊下が狭くて人数の把握が難しいが、ニ、三人程教員室の様子を見に行くのがわかった。
金属製の鎧を身に纏い、胸にはハイッセム帝国の国章が刻まれている。私達はその姿を見て緊張の糸が切れたかのようにゆっくりとへたり込んだ。良かった、帝国兵だ。
「いたぞ! 彼らだ!」
少し嬉しそうにも聞こえる声で、彼らが大きな足音を立てて小走りで駆け寄ってくる。
――――それと同時に、首の刎ねられた巨大な蜂のような生物を目の当たりにする。
彼らは私達に辿り着く前に教室の出入り口近くで立ち止まり、それを静かに見据える。
「……これがエドワード氏の仰っていた化け物だな。なんとも禍々しい姿だ」
最初に口を開いたのは一番前に立つ比較的若い男。顔立ちからして二十代前半辺りだと思われる。鎧の右腕部分に隊長の証となる装飾品を身に着けていたため、彼がこの小隊を率いて来た張本人で間違いないだろう。
エドワード、という名前を耳にし、この騒動による帝国の動きもかなり活発になっていることが把握出来た。城下町全体の被害がどれ程のものかは把握しきれないが、個別に兵士を遣わす余裕はあるようだった。しかし。
「何故此処にこの化け物の死骸があると?」
私がそう問うと、ウォルクは自分の出る幕ではないと判断し、数歩下がって様子を見る体制になった。
「貴女は……」
隊長が床に座る私を見下ろして呟く。
「失礼。私、白魔術師のリオンと申します。エドワード氏のお名前を耳に致しましたので、何故彼の帝国召喚士様が此処の状況をご存知なのかご教示頂けますか」
私が名乗ると同時に、彼は少し表情を変えた。
「なるほど……白魔術師の……」
彼はそう呟いてから逡巡し、こう切り出した。
「私はハイッセム帝国騎士団、第三部隊第五小隊長のネージュです。エドワード氏の命によりここに参りました」
――――そういうことか。
私は心の中で溜息を吐いた。
ハイッセムの帝国騎士団は大きく五つの部隊に分かれる。
第一部隊・帝国直属部隊。これの第一小隊が親衛隊となり、以下は親衛隊の部下となる。第十小隊まで存在する。基本的に小隊単位での行動が厳守されており、分隊で行動している姿は見かけた事がない。
第二部隊・国交部隊。国外での諜報活動他、国家間交渉の伝達や代理役を一任されている。第二小隊まで存在する。役割分担として小隊という括りはあるが、諜報活動は基本的に単独での行動となるため、姿無き小隊と言われることもある。
そして彼、ネージュが所属する第三部隊・公安部隊。国内、特に城下町内の治安維持を目的とする部隊。国土が広く様々な地域に人が住むため、この部隊は城下町とその近辺担当の三十小隊の他、遠征部隊として五小隊存在する。少人数での行動が推奨されているため、小隊一つは基本的に三個分隊で構成されている。
第四部隊・国土調査部隊。大陸の半分を専有するハイッセム帝国にはまだ未調査の土地が存在する。国王は新たな資材・資源の発見を目指している。第八小隊まで存在する。基本的には緊急の状況を考えられ、二個小隊で構成された中隊での行動がメインである。
第五部隊・国境管理部隊。その名の通り、ハイッセム帝国の国境を管理している部隊。この国の国境は他の国と地続きになっており、高い壁と門を作って入国者の管理をする必要があるため、このような部隊が準備されている。隣接するそれぞれの国境門毎に三個小隊で構成された中隊を配備しており、第二十四小隊まで存在する。
「エドワード氏によると、行動を共にしている剣士の少女から得た情報だということです」
ライアだ。私は座ったまま少し前のめりになる。
彼はやはり、という顔で私を見る。ライアが与えた情報だ。その「剣士の少女」と深い仲の人物がこの中に居ると予想していたのだろう。
ネージュは後ろで待機していた小隊員に命じて化け物の死骸を回収させた。突然の帝国兵来訪に目を覚ます子供達も居たため、その様子は澄んだ複数の眼差しに見つめられていた。
何重にも布に包まれたそれは、一人の小隊員の手によって外へと運ばれた。恐らくは帝国魔術師が中心となり研究の材料として利用されるのだろう。
「――――ところで」
ネージュが教室に一歩入り、私の奥で横になるエノーラに視線を向けた。
「その少女は、もう『戻れない』のですか」
彼はあえて言葉を濁して私に尋ねた。身体は綺麗に修復したが、やはりひと目見ただけでその生死の状況は受け取れたのだろう。
「――――彼女は、あなた方が先ほど持って行った『化け物』の被害者です」
私の手では、間に合いませんでした。そう最後に付け足し、俯く。
「失礼」
ネージュはエノーラに歩み寄り、その場で跪いて右手の拳を左手で掴んで胸の前で合わせる。この国で用いられる一番深い礼だ。元々はこの国で一番信仰者の多い宗教の礼であったというが、いつしか国全体でそれが使われるようになった。彼は犠牲となったエノーラに深い敬意を払っているのだ。
「……せめて、安らかな夢を」
そう呟いてからほんの少しの間黙祷し、彼は立ち上がった。
同時に、彼の部下と思われる帝国兵が彼に近付き何か耳打ちをした。蓋し教員室の方へ様子を見に行くよう指示された部下だろう。
何だと、と小さく呟いたのが聞こえた。
彼はわかった、後で対処しようと部下伝えると、私に向き直る。
「落ち着いてはいるようですが、子供達も不安でしょう。希望する子は我々の手で自宅までお送りしますが如何でしょうか」
彼のその提案に殆どの子供が顔を明るくした。その表情は安堵から僅かな喜びが見え隠れするようになるくらいのものである。
結果的にウォルクとテリアを除くすべての子供達が安全に帰される事となった。
学校にはネージュだけが残り、他の分隊員は子供達を連れて学校を出た。
君達は本当にいいのかい、と再度ウォルクとテリアに問うネージュであったが、ウォルクは答えを変えず、テリアも彼の傍に居ることを望んだ。
「あんたこそ、仕事があるんじゃないか?」
こんな所で油を売っていていいのか。そうネージュに問う。
「子供が残っている以上、私には守る義務がある。君のその目を見るとどうやら腕には覚えがあるようだね」
だが、やはり国民を守るのは我々の義務だ、そう言って教室の入り口付近の壁に歩み寄って背中を預ける。まあ、それだけでは無いのだが、と小さく呟いて彼は静かに座った。
私は何故彼がここに残ったのか、そして扉の近くに立つ理由がなんとなくわかった。
「……お父上の評価は身内贔屓では無いようですね」
私が彼にそう言うと、彼は少し驚いたような表情で私を見た。
「――――これは失敬。私が名乗った時から気付いていたのですね」
苦笑を浮かべ、父がご迷惑をお掛けしていますと続けた。
「いいえ、レインフォールド氏は、とても素敵なお客様です」
それに対して、『ネージュ・レインフォールド』は何も言わなかった。
私はエノーラへの状態保存魔術の付与を再開する。ここまで神経質に魔術を施し続けなくても問題ないことはわかっていたが、やはりライアに関係することとなると少し敏感になってしまっていた。
――――カツン。
一瞬の沈黙を破るように、廊下から足音が聞こえた。
ネージュはその音に警戒するように腰に携えたロングソードを抜刀しようと構えた。
足音の人数は一人だ。
抜けの良い音。私はその足音に聞き覚えがあった。
いや、聞き覚えがあるという程度のものではない。聞き慣れたその足音の正体に、確信があった。
やがてその音の持ち主が廊下に姿を現す。
「――――ライアッ!」
私は迷わず立ち上がったが、安堵によってか、そのまま立ち尽くしてしまった。
ネージュは私の反応を見て抜きかけたロングソードを鞘に収め、構えを解いてライアに道を譲った。エドワード氏の言っていた『剣士の少女』だとすぐに勘付いたのだろう。
太腿に噛まれたかのような傷を負っていたが、出血量はそう多くない。彼女自身も何不自由なく普通に歩いていた。或いは、普通を装う余裕があった。
ライアはゆっくりと教室の中へ入り、私に歩み寄った。
「――――ごめんね。ただいま、リオン」
左頬に涙の伝った跡を残したまま、彼女は力なく微笑んだ。
私は何も言わず、ライアを近くにあった椅子に座らせて、脚の治療を始めた。
『少し、あなたが遠くに行ってしまうような気がした。あの涙の跡と表情の矛盾が、私の不安を僅かに駆り立てた。』




