西の限界
《ユーロ・クレセント》
西の限界、大砂漠。
この場所の踏破を困難にしている理由は、三つあった。
ひとつは、視界。常に風が吹きすさび、砂嵐が舞い、三歩先ですら見えなくなる状況。
ひとつは、足元。動き続ける流砂は、冒険者を時には回転させ、時には大きく移動させ、時には地中に飲み込む。
ひとつは、魔獣。地中に巣食う小型の魔獣に加え、大型の凶暴な魔獣が棲息しているという噂もある。
ひとつだけ、ユーロには希望があった。
この魔境を攻略できるかもしれない考えが。
「結局、こんなところまで来ちゃったね」
大砂漠を目の前にして、フランが言った。
既に嵐のような暴風が吹き荒れ、砂煙で視界がかなり悪い。
足元も乾ききっていて、もう少し奥へ踏み入ればそこは流砂だ。
「……そうだな」
全てが悪い方向へ働いていた。
前日、キアンのあらゆる業種の店をくまなく見て回ったが、風花は発見できなかった。
ある店の店長によれば、「あんなものは命知らずの冒険者が砂漠に入って、しかも運良く戻ってきたときに命からがら持ち帰ってくるものだ」という。
様々な職業の中でも一握りの冒険者。その中の、一握りの「無謀な」冒険者。
さらにその中のほんの一部の、砂漠に呑まれなかった者たち。
それがたまたま風花を採取していたという「異常なまでの幸運」が無ければ、風花は店頭に並ばない。
さらに、ユーロにとって最も避けたかったのが、仲間を巻き込むということ。
これもフランに看破されたことで駄目になってしまった。
こうなっては、フランはどこまでも着いてくるだろう。
――本当に困ったやつだ。
苦々しく思いながら、ユーロは最後の確認をする。
「今からこの砂漠に挑戦する。ちょっと入ってみて、駄目だったらすぐに引き返すが――その時点で、もう手遅れだとしてもおかしくない。それでも、本当に行くのか」
「だから、それはこっちの台詞だってば」
風花が手に入らなかった時、フランは『ユーロくんに着いていく』としか言わなかった。
きっとユーロが諦めてミディールに帰るなら、フランもそうするのだろう。
しかし、そんなわけには、いかないのだ。
「――わかった。もう言わない」
ユーロはフランに左手を差し伸べた。
「行くぞ、フラン」
フランは少しためらいつつも、その手をしっかりと右手で掴んだ。
◇
ユーロの秘策は、『羅針盤』だった。
以前、ユーロが北の樹海から発見して、フランがその性質を解明した石。
水に浮かべると、必ず印のついた方が北を向くのだ。
これを二人は改良し、糸を使って宙吊りにすることで水を必要としないように作り変えた。
風の影響をなるべく排除するため、頑丈な容器に入れ、底面に空けた穴から覗き上げる方式となっている。
これを二人は、『羅針盤』と名付けた。
「こいつを一定歩数ごとに覗くようにしていれば、少なくとも自分がどっちに向いているかはわかる。とりあえずは、なるべく真っ直ぐ西に進み、その後なるべくまっすぐ東に帰ることにしよう。これで方向がわからなくなって帰れないという事態だけはないはずだ」
この作戦がどれだけ通用するか。ひとまずは、それを確かめるための挑戦でもある。
二人は手を繋いだまま、流砂と砂嵐の中に足を踏み入れた。飛び交う砂のために、まともに目を開けていられない。
事前にキアンで買っておいた防風・防砂の傘を頭に被り、さらに空いている方の手で顔を覆いながら、どうにか薄目で周囲を確認するが、目をつぶっているのと大して変わらない。至近距離にいるお互いの顔すら霞んで見える。
「――えっ?!」
数歩歩いて羅針盤を覗き込んだフランが驚きの声を発した。
「あ、あたしたち、北に向いてる!」
「んなっ?!」
まさか、こんなわずかな間に。たった数歩しか歩いていないのに。
確かに真っ直ぐ西へ向かって歩いていたはずが、足元の流砂は、それほど方向を狂わせるのか。
「あっ、こ、今度は東に!」
立ち止まっているはずなのに、フランがそんなことを叫ぶ。
ということは。
「回転してるのか、今この場所が!」
まずい。いくらなんでも、これほどまでとは。
「くそっ、一旦帰るぞ! このまま東へ!」
素早く判断し、退却の指示を出す。
――が、遅かった。
ユーロの三半規管が今になって、自身が回転していることを認識した。
速い。
フランと繋いでいる手が捩れて引き離されそうになり、慌てて握力を込める。
「ユーロくん!」
フランの声が斜め上から聞こえて、気付いた。
呑み込まれている。
慌てて抜け出そうと足をもがくが、何をしても余計に沈んでいく感覚に陥る。ユーロの手を引っ張り上げようと力を入れたフランも、遅れて沈み始めた。
「……これっ……まさか……っ!」
フランが何かを呟くが、それどころではない。
胸まで砂に浸かり、ユーロは死を覚悟する。
――くそっ……。ごめんな、フラン……クローネ……
その時。
左腕が引っ張られ、ユーロの体が一気に引き抜かれた。
「……っ?」
意味がわからなかった。
ユーロは、硬い地面に着地した。
突然のことに、声が出ない。
「ユーロくん」
隣でフランが、泣きそうな顔をしていた。左手はずっと握られている。
「よかった――」
フランは飛びついてきて、ユーロの胸に顔を押し付けた。
「……い、いったい、何が」
ユーロはようやく声を出すことに成功した。
「なんで、砂が、こんなに、硬く」
視界は未だに悪い。砂嵐はずっと吹き荒れているし、足元も砂だ。砂漠から抜け出したわけではない。
それなのに、足元の砂が、まともに歩けそうなほどにしっかりしている。
「……あたしもよく、わからない、けど」
フランが顔を上げて答える。
「なんだかずっと、この砂、振動してるんだ」
振動。
そうか、それは、フランの専門分野だ。
「あたしはスキルの関係で、振動がわかる。ユーロくんには気付かないかもしれないけど、ものすごく細かく、ずっと振動してた」
フランは『振動を止める』スキルを持っている。
そのため、止めるべき対象である振動が、他人より認識しやすいのだろうか。
「それで、ユーロくんが沈んでいくとき、その振動がどんどん速くなって、大きくなって。これを止めたら、もしかしたら……って」
スキルを使って、その振動を止めたのだろう。
「今も、それを止めてるのか?」
「うん。振動してないと、普通の地面みたいに踏ん張れるんだね。上手くいってよかった」
心底安心したように、フランが息を吐く。
それを見て、ユーロは言った。
「フラン、今日はもう戻ろう」
「え?」
「もしかして、フランのスキルと羅針盤があれば、この砂漠は自由に歩けるのかもしれない。でも、それは後日だ。今日はもう無理だ。戻ろう」
「……そうだね。死にかけたもんね」
フランも疲れた顔で納得し、了承する。
羅針盤を確認して、スキルで足元を固めたまま、ゆっくりと東へ歩き出した。
しかし。
歩けど歩けど、砂漠が広がっていた。
「……おかしい」
ユーロは呟く。
「確か、砂漠に入ってから、数歩しか歩いてなかった……はずだ」
「でも、流されたり回されたり呑まれたりしたよね――」
恐ろしい想像をフランが口にした。
「あの流砂と格闘してる間に、とんでもなく流されたんじゃ……」
「……」
唾を飲み込もうとしたが、ユーロの口内にはそれだけの水分がなかった。
◇
とにかく東へ歩く。
それが、ユーロの出した結論だ。
「正確に東へ向かって歩く限り、いずれ砂漠は終わる。キアンに辿りつけなくても、どこかの荒野には必ず出るだろう。無限に砂漠が続くなんてことは地理的に有り得ない」
「まあ、無限に、って言われたら、ないだろうけど」
「ところでフラン、スキルはこのまま使い続けても大丈夫なのか?」
スキルは超常的な能力だが、無制限に使えるというわけではない。
ユーロのように常時発動している能力ならともかく、フランのように意図して発動させる能力は、エネルギーを消費することもある。
何十時間も歩いたり走ったりできないのと同じように、確実に体力は奪われるのだ。
「んー、普段は疲れるけど、なんでかな、今日は全然限界を感じない」
「そうなのか? まあ、大丈夫ならいいけど」
そうして、何時間歩いたのだろうか。
突然眼前に、大きな壁が見えた。
「な?! なん、っだ、これ」
壁、ではなかった。
壁のように見えたそれは、実はユーロの目の前を右から左に吹き続ける暴風だった。
「ユーロくん、これ」
フランが左右を見渡して言う。
「この風、真っ直ぐじゃない。微妙だけど『巻いてる』よ。これ……竜巻だ」
ユーロは驚愕した。
これが、巨大な竜巻の一部だというのか。この壁が。
「なんで、こんなものが、この砂漠に」
「わからないけど――何かを、守ってるみたいに見える」
何があるというのか。
何の根拠も無い直観だが、ユーロはこの中に入らなければならない予感がした。
「入りたいんでしょ」
ユーロの心の中を読んだような言葉を、フランがかけてくる。
「いや、でも今はさすがに」
「だめだよ。今しかないじゃん」
フランは、いつもユーロがするようににやっと笑った。
「ユーロくんだってそう思ってるくせに。わかってるってば」
「……フラン」
ユーロは覚悟を決めた。
自分のやりたいようにやる、覚悟を。
「どうにかしてこの風を越えられないか」
「あたしが足元の振動を止めてる間に踏ん張っていけば、いけるんじゃない?」
「無理だ。たぶん一瞬でふっ飛ぶ」
這いつくばっていけば、あるいは。
そんなことを考えていると。
突然、嘘のように、目の前の壁が消えた。
「えっ――風が」
「止んだ?」
なぜだ。
わからない。
わからない、が、今しかない。行くのなら。
「――ユーロくん!」
逡巡するユーロの手をフランが引っ張る。
ユーロはその瞬間、一切の迷いを捨て、薄くなった竜巻の中に飛び込んだ。




