クローネの場合
《クローネ・アイリス》
クローネにとって、ミナという少女は罪悪感の象徴だった。
三頭のレムードを殺し、それによって救い出した少女。
どうしてもその重みが、ミナの背後に見えてしまうのだ。
クローネは人間であって、決して魔獣ではない。種族としても、そして心の中も。
魔獣は好きだし、いつか仲良くなれたらとは常に思っている。
けれど、いざとなったら。人間と魔獣のどちらかしか助けられなくなったら。
その時は人間を選ぶ。自分は人間だから。
そのように、クローネはずっと宣言してきたし、そうするつもりだった。
だから、あの夜にユーロに言った言葉は嘘ではない。
――ユーロくんのしたこと、理解できるよ。
そう、『理解』できるのだ。
でも、心のどこかに、いつまでも『納得』してくれない場所がある。
あれからいつも、ふとした時に、殺されたレムードの悲鳴を思い出してしまう。
――痛い。死にたくない。助けて。
もしかしたら自分は、心が魔獣になってしまったのだろうか。
人間と魔獣を対等に見ることを、今後一生直せないのだろうか。
いつか――。
いつかユーロが、人間のために魔獣を殺した時、自分は彼を、憎むようになってしまうのだろうか。
クローネはそれが怖かった。
だから、精一杯責任を持って、ミナの記憶を取り戻す。
ミナを故郷に連れて行って、幸せにする。
まるでレムードへの罪滅ぼしのように。
◇
魔除けの鈴が貸し出し中とのことで、最近は街のすぐ外くらいにしか出ていない。
どんなに離れてもミディールの城門が見える位置を限度とすれば、魔獣もたいして寄ってこないし、最悪城門の警備兵に助けを求めることもできる。
今回はそこにミナを連れて行き、四人で簡単な採集などを行っていた。
「くさ。み。えだ」
ミナは以前覚えた言葉を復習しながら、指示された野草をてきぱきと回収する。
「そら。じめん。つち」
もう他に覚えていない単語は無いかと確かめるように、視界に映る様々なものを確認していく。
すると、
「……あっ」
遠くを指さし、ミナが声を上げる。
「ティップ……」
「え?」
クローネもそちらに目を凝らすと、二匹のクリッキーが歩いていた。
「う……」
急に、ミナは頭を押さえるようにして、うずくまった。
「だ、大丈夫?!」
一番近くにいたクローネが駆け寄り、ミナの顔を覗き込むようにしてしゃがみこむ。
「どうした、ミナ」
ユーロとリエルも遅れて駆け寄ってくる。
ミナは頭を振ると、
「だいじょうぶ……」
そう言うと立ち上がり、再びクリッキーのいる方をじっと見つめた。
「おぼえてる。なにか」
「覚えてる? それはミナの過去のことか?」
「うん。ティップ……いつも見てた、気がする」
「ティップ?」
クローネが聞き返す。確か先ほどもそう呟いていた。
「クローネ。あれはなに?」
ミナはクリッキーを指さしたまま言う。
「あれは、クリッキーだけど……。魔獣の一種だよ」
「クリッキー。まじゅう……」
ミナはしばらく考えると、
「クリッキーは、ティップ。まじゅうは、わからない……」
どうやら、ミナの使っていた言葉ではクリッキーのことをティップと呼んでいたらしい。
しかし魔獣がわからないとはどういうことだろう。クローネの説明が下手だったのか。
「クリッキー以外にも、色々な魔獣がいるんだ。たとえば俺たちが最初にミナを助けた時、ミナを襲ってたやつはレムード。あいつらも魔獣だ」
「レムード……」
ミナは咀嚼するようにその言葉を覚えると、
「クリッキー。レムード。ぜんぜんちがう。でも、まじゅう?」
その言葉には。
ユーロやリエルももちろんだが、クローネが一番驚かされた。
さらに、
「じゃあ、にんげんは、まじゅう?」
「えっ……」
クローネは息を詰まらせた。
答えられない。
「いや、人間は魔獣じゃないぞ、ミナ」
「うぅ?」
ミナは首をかしげる。
「クリッキー、まじゅう。レムード、まじゅう。にんげん、なに?」
「そう言われると、難しいが……」
「さかな、は?」
ミナは少しアプローチを変えた。
魚のことは知っていたようで、以前ユーロが名前を教えている。
「魚は……魔獣じゃないな」
「うー、むずかしい……」
「なんだかこっちまで難しくなってくるな。そうだな、たぶん……生きていて、動いているものの中で、人間に害をもたらすものが魔獣、なんじゃないか?」
それでミナは納得して、作業を再開した。
しかし、クローネは棒立ちのまま。
心臓だけがバクバクと鳴る。
二人の言葉が、耳から離れなかった。
――にんげんは、まじゅう?
――人間に害をもたらすものが魔獣、なんじゃないか?
◇
「クローネお姉ちゃん」
その日の夕方のこと。
ユーロがふらっとどこかへ出かけたタイミングで、リエルが近づいてきた。
その傍らにはミナもいる。
「え、リエルちゃん。どうしたの?」
クローネは笑顔で聞き返す。しかし、
「……私、読めます、から。クローネお姉ちゃんが私を受け入れてくれる限り、私は心の声が聞こえます。だから……、その、わかります」
クローネにはリエルが何を言いたいのかすぐにわかってしまった。
「あの、お師匠もいない、ですから。無理しないでほしい、です」
それを聞いた途端、クローネはすぐにでも泣きたかった。
この、自分の心の中のわけのわからないモヤモヤを全部吐き出してしまいたかった。
でもそれは、できない。
リエルの隣には、ミナがいるから。
「……私は、言葉が苦手です。言葉で何かを伝えるのも。相手の言葉を引き出すのも。どうしていいか、わかりません。お師匠のようにはできません」
苦手だ、と自分で言いながらも、リエルは搾り出すようにひとつひとつ言葉を繋げる。
「でも今のお姉ちゃんの悩みは、きっとお師匠にも、いえ、お師匠だからこそ、どうにもできないんです」
それは、きっとそうだろう。
ユーロだけには、こんな悩みを打ち明けるわけにはいかない。
「だから、ごめんなさい。ミナさんに、相談したんです」
「えっ……」
ミナに相談。リエルが、だろうか?
この口下手なリエルが。言葉も常識も半分通じないミナに対して、必死に言葉を尽くしてくれたということだろうか。
クローネの悩みを、解決するために。
「クローネ」
ミナが前に出て、珍しく沈痛な面持ちで、クローネに語りかける。
「ごめんなさい。ワタシ、きいた、です」
リエルが話したなら、それは真実だろう。
クローネが今でも、ミナを見るたびにレムードの悲鳴を思い出すこと。
そのせいで半分、ユーロを恐れてしまっていること。
「クローネ。ワタシ、うれしかった。たすけてもらって」
それは当然だ。ユーロが助けなければミナは死んでいた。
「でも、たすけられなくても、ワタシ、うらみません」
クローネは首を振る。そんなわけがない。見殺しにすれば、死んでいたのだ。許せるわけがない。
それなのにクローネは、後悔すらしているのだ。
なぜあの時、レムードがいることを伝えてしまったのだろう、と。
こっそりユーロを誘導して迂回するようにすれば、戦わずに済んだ、あの三頭のレムードを殺すことにならずに済んだのに、と。
それはつまり、目の前にいるミナを見殺しにしていれば良かったといっているのと同義だ。
自分が最低で、ひどすぎて、ミナの顔を直視することができない。
「ほんと、です。ワタシがたべられるのは、しかたないこと、だった」
ミナはクローネの顔を持ち上げて、その涙を指でぬぐった。
「クローネが思ってること、うらみません。おこりません」
「……っ、わたし、ね」
クローネは無理やりミナを顔を直視させられて、ついに、あふれる言葉を抑えきれなくなった。
「あなたを、魔獣と同じ天秤にかけてたんだよ……? あなたが一人で、レムードが三頭、三頭を殺して一人を助けるなんて、おかしかったんじゃないかって……単純な引き算で、考えてるんだよ……? あなたと魔獣を、同じ『1』にしてたんだよ……?」
「それは、へん、です」
ミナはちょっと笑って言った。
「ユーロを、おかしい、と、おもう、ですか?」
「違う、ユーロくんは、人間だから。人間が人間を守るのは、当たり前。何もおかしくないの。おかしいのは、私……。私、本当は、本当は、魔獣なのかも……」
「それが、へん、なのです」
ミナは子供をしつけるような口調で言う。
「にんげん、まじゅう、とか、むずかしい、です。へん、です。あーうー、リエル、ごめんなさい」
ミナは途中で難しい顔をして、リエルに助けを求めた。
「ミナさんの言葉を伝えればいいですか。わかりました。任せてください」
リエルがミナの後を引き継ぐ。
「人間だとか魔獣だとか言う区分に、クローネお姉ちゃんは捕らわれすぎている、と言うことです。お師匠は二つのものを比べて、守りたい方を守った。それでいいのです」
他人の言葉だからか、リエルはいつもからは想像できないほどスラスラと喋っている。
「人間同士でも同じではないのですか。三人の人間が一人の人間を今にも殺そうとしている。一人の人間を助けるため、三人を殺すのは、おかしいことですか」
クローネははっと気付かされた。そのような視点は、今まで全く持ち合わせていなかった。
「いえ、人間だけでもありません。クリッキー同士でもレムード同士でも、クリッキーとレムードでも、そういうことはあるのではないですか。もし一匹の死にかけのクリッキーを三頭のレムードが襲っていて、それを見たお師匠がレムードを全滅させたら、クローネお姉ちゃんは怒るのですか」
その光景を想像してみる。
なぜだろうか、全く違和感なく、ユーロの行動を応援できてしまう。
「それなのに、ミナさんが人間だからという理由だけでクローネお姉ちゃんが悩むのはなぜですか。人間を守ったことで、差別に加担してしまったと思っているのではないですか。だとしたら……そのように悩むことこそが、お姉ちゃんが人間である何よりの証拠ではないのですか」
「……!!」
全ての悩みが。
驚くほどに、何の引っ掛かりも無く。跡形も無く。
霧消したように思えた。
なんてくだらないことで悩んでいたんだと、心からそう思えた。
そうだ。思えば、自分はちっとも、人間と魔獣を対等になど見ていなかった。
その両者に強く区別を感じていたからこそ、これほど悩んでしまったのだ。
クローネの目から、ついに涙がこぼれてしまう。
「リエルちゃん……、ミナちゃん、本当に、本当にありがとう……」
「あ、あの、わた私は、ミナさんの心の声を伝えただけ、です……」
「ううん、最初から全部だよ。私のこと気にかけてくれて、ミナちゃんに相談してくれて……リエルちゃんがいてくれて、本当によかった。ミナちゃんも。本当にありがとう」
「クローネ」
ミナが自分の言葉に戻って、
「よかった、です。げんき、もどって」
純粋な笑顔で笑いかける。
「うん……ミナちゃん」
クローネは涙をぬぐってから、ミナを抱き寄せた。
「私が……、私たちが、必ずあなたの記憶を取り戻す。絶対に幸せにするからね」
「……ワタシ、いま、じゅうぶん、しあわせです」
ミナの最後の言葉は、クローネの胸でくぐもって聞こえなかった。




