猫の巻<前編>
(短編・全10回予定)
<予定> <話題>
・猫の巻 (猫の社会の世間体)
・漫画家の巻 (新ネタ談義)
・バイクの巻 (スピードの向こう側)
・お屋敷の巻 (フリースローとティーパーティー)
・おわりの巻
ーー午前2時。
調子に乗った中学生が踏切に望遠鏡を担いでいくような時間。
この静かな時間をぶち壊すべく、とある安アパートの一室で、携帯電話にセットされたアラーム音、具体的に述べるのであればマリリン・マンソンのハードロックかつデスボイスな名曲である『ディス・イズ・ザ・ニューシット』が音量を全開にしてサビの部分から流れ出す。
「……おはようございます!」
アラームを止めつつ元気よく起きた青年。彼……、もとい俺の名は宮田文吾という。
ちなみに世間一般でいう深夜帯であるにも関わらず『おはようございます』という挨拶が摘要されるかどうかという問題はこの場では伏せておく。要はノリなのだ。
今年成人を迎えた俺、宮田文吾は、この月額三万円・風呂トイレキッチン付きの安ボロアパートに1人で暮らしている。なぜ俺が1人暮らしなのか、という問いに対する答えは簡単で、単純に彼の両親が事故で半年前に死んだのだ。
両親は駆け落ち同然で結婚して俺を産んだようで、基本的に親族には葬儀に参列してもらえなかった。というかそもそも連絡先すら家には残っていなかったので、その葬儀自体も両親にかかっていた保険金の一部を切り崩してお坊さんと棺桶屋を自宅に呼んで読経と納棺を行っただけの地味なもので済ませてしまったのだが。
当然、当時未成年の俺を引き取ってくれる人物もおらず、かといって残念ながら私立の大学の2年目からの学費が払えるアテもなく、現在のアルバイトを3件掛け持ちするという生活に落ち着いたのであった。
寝ぼけまなこを擦りながら、トイレと風呂が併設された浴室の洗面台で顔を洗う。寝癖だらけの髪を整えると、ささっとジャケットに袖を通して身支度を完了した。
「じゃ……行ってきます」
玄関の壁に引っ掛けてあったヘルメットを掴むと、俺は誰に言うでもなく、部屋の中に向かって言った。もちろん返事が返ってくるでもなく、俺は駐輪場へ向かうべく自分の部屋を出る。
もう春から夏に変わろうかという季節なのに、深夜帯の外の空気はまだまだ肌寒い。安上がりな革製ジャケットを羽織っていても、風を防ぐ以上の防寒は期待出来そうには無かった。
俺の部屋はアパート『来海荘』1階のほぼド真ん中という素晴らしい立地条件で、右隣からは軽く痴呆の入り始めた老人の独り言、左隣からは先月誕生したばかりの赤ん坊の夜泣き、そして上の階では殆ど毎日のように徹マンが行われており、基本的に夜中も日中以上の騒々しさであるのだが、唯一の利点として2階に上がる階段脇に申し訳程度に設置された駐輪場が部屋のすぐ前にあるのだ。
俺は自分の部屋に鍵をかけると、と・と・と、と、3歩歩いて駐輪場に入る。目的の品である原チャリ、中古で1万円で購入したスーパーカブ『ストマック・エイク号』を引きずり出すと、キーを入れてキック・スタートで勢いよくエンジンを回転させる。よかった今日は一発で回った。
ストマック・エイク号は超絶オンボロカブである。車体のフレームそのものはまさかの60年代後半に製造されたもので、ホイールは前後で色もデザインも違い、その6ケタの走行メーターには9の数字が並ぶのみ。エンジン自体は数年前に取り替えられているようで比較的よくは動くが、調子の悪い日はとことん調子が悪く、あまり信用できるものではなかった。そして濃紺の車体には剥がせないステッカーがあり、『腹痛』(ストマック・エイク…とルビが振ってある)の文字がこれ見よがしにデカデカと貼ってあった。……金字に銀の縁取りで。
俺より前の持ち主はいったい何を考えてこのようなカスタマイズを行ったのかはもはや想像の埒外であるので捨て置くとしても、腹痛ってなんだよ腹痛って。そもそものセンスからおかしいし!
などと考えながら来海荘の敷地を出る。今から向かうのは原チャリで5分程度の青松新聞・岸川販売所。そこで今朝の朝刊を手に入れ、1つ目のバイトである新聞配達に勤しむのだ。約3時間くらい。
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「おはーざーす」
慣れた口調で大きくないが決して小さくもない声量で挨拶しながら販売所内に入る。中にはすでに配達を待っている朝刊の山が所狭しと並べられていた。
「おー、宮田くん、今日はいつもよりも早いじゃん」
そう言いながら店の奥から出てきたのはヒロさんという老齢の社員さんだ。恐らく朝刊への広告折り込みを終えて、奥の喫煙室で一息ついていたのであろう。
ヒロさんは配達をしない。基本的に広告折り込みの仕事のみを行うのだが、そのスピードが尋常ではなかった。なにせ朝刊が印刷所から運ばれてくる深夜12時半から、わずか1時間で近辺の青松新聞すべてに広告を折り込むのである。その数は3000。1分辺り50部の『完成品』を作っていることになる。
基本的に数人がかりで行う折り込み作業を、この老人はたった1人で廻しているのだ。
「今日は相棒の機嫌が良かったんスわ。1発でエンジンがかかったし、途中で止まることもなかったし」
「いつ聞いても残念なバイクだねぇ、買い換えないの?」
「相棒ですからね」
嘘だった。正直なところ今すぐにでも新品の『ちゃんとエンジンがかかってまっすぐ走る燃費のいい新型』にでも乗り換えたかったが、いかんせん資金がないのだ。
とは言うものの、このストマック・エイク号を配達に使用する以上、故障は死活問題になりえる。新車の購入も検討はしておいた方がいいだろう。
ストマック・エイク号の後部荷台のゴム紐を解き、販売所内に置かれていた綿布を敷くと、俺はいよいよ朝刊をストマック・エイク号に積み始めた。
俺の担当地域は『五区』と呼ばれる広めのエリアだ。配る新聞の数は300を超えるため、カブの荷台では乗り切らない。そのため中盤に置配ーーつまり、安全な場所にもう半分の150部を先もって置いておいてもらう。なので、出発するときに荷台に載せるのは実質150部程度だった。
朝刊を積みおわり、綿布とゴム紐を一緒に縛ると、今度は車体前のカゴにカバーを敷く。カバーはフタ付きで、この中には『小物』と呼ばれる朝刊以外の新聞ーー具体的にはスポーツ新聞や経済新聞、雑誌などーーを突っ込んだ。
一度止めていたストマック・エイク号のエンジンを再び蹴り起こすと、俺は夜の街へと繰り出して行くのだった。
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「おおお!さーいれんぼーいす!さーいれんぼーいす!ささやいてくれよそばぁーにぃー!いぃいぃるぅよぉってえぇぇ!!」
2時間後、俺は頭から極太ビームを撃ち出すガンダムの主題歌を歌いながら新聞を配っていた。
「さぁいれぇん・ぼーいす……」
いや今歌い終わった。決して頭がおかしくなってしまったわけではない。単に真夜中にひとり静かに豊かに走っていると変にテンションが上がってしまっただけであり、決して、決して頭がおかしいわけではないのだ。うん多分。
荷台の新聞は残り60を切っている。ここまで来るとあとはだいぶ楽なもので、住宅地的には中くらいのまとまりのエリアを2つ残すのみだ。
「…さて次は何を歌おうかなっと」
「にゃーはロボットアニメ以外の作品を所望するぞ、主様」
「……む?」
突然後ろの荷台から声がした。振り返るとそこにはネコミミ、ネコ尻尾、ネコヒゲまで完備したネコ幼女が、荷台に鎮座してふりふりと尻尾を振っていた。
「にゃん之進か」
「いかにも、主様」
にゃん之進は答えたあと、小さくうにゃあ、とあくびをした。
にゃん之進は五区のコースのほぼ最後にある、とある有名なお寺に住むネコマタ……有り体に言えば妖怪のたぐいだ。
半年ほど前、つまりこの配達のバイトを始めたほぼ直後、街にドカ雪が降り注いだ。しかし朝刊配達に休みは無く、豪雪が吹き荒ぶ中配達をしていると、道路のど真ん中で小さな子猫が倒れていた。轢き逃げか何かかと思い横目で見ていたが、どうやら息はあるらしい。しかし路面が凍りついているため、転んだところから立ち上がれないようだった。
と、向かいから大型のトラックが近付いて来るのが見えた。ここで見捨てるのはあまりにも後味が悪いと思った俺は、
「地面の低摩擦を利用して超スピードで猫をキャッチして反対車線へ!ゴーフリクションゼロォ!!」
と叫びながら道に滑り込んで子猫を救出した。
そのときは思わなかったんです。まさか猫が喋り出すなんて。
口を開いた猫はにゃん之進と名乗り、いわく、自分はそこの寺で修行中の猫又で、とある用事で外出していたところで坂道から盛大に転がり落ち、気がついたら道路のど真ん中に倒れていたのだという。全身打撲(後で病院で調べたら奇跡的に骨折や内臓や脳にはダメージがなかった)の影響で一時的に体が動かなくなっていた時に向かいから減速する気配のないトラックが走ってきたとき、にゃん之進は死を覚悟したが、意味不明に叫びながら横滑りしてきた俺に助けられたという。
そのときの俺の行動から、にゃん之進の俺に対する呼称は『主様』ーーご主人様という意味ではなく、救いヌシ、救世主的な意味での『主様』になったのだった。
「寺まで帰るのが面倒くさいにゃ。乗せれ」
半年が経った今、『主様』に対する感謝の念は消滅したようだった。おお、俺は悲しい。ウサギは恩を忘れないんだぞ!俺ウサギの知り合いはいないけどさ。
「うん、まあ、軽いからいいんだけどよ……」
「何か言いたげだにゃ」
「毎度毎度、俺をお出かけ帰りの足代わりにするのはやめてもらえませんかねぇ!?」
「嫌にゃ。楽だし」
「楽を覚えはじめると堕落するんじゃないのかお寺の猫よ」
「にゃーの経典には残念ながらそんな教えは乗ってないにゃ」
そらそうだ。今のは仏教に関する知識の一切ない俺が適当に言っただけの戒律だし、そもそももしにゃん之進の持つ経典にその一文があったとしても、彼女は余裕でそれを無視するだろう。
「別にいいけどな!軽いし!!……軽いからな!!」
「そうか」
俺は適当な感じに答えたにゃん之進を、中身をほぼ配り終えて空になりつつある車体前のカゴにつまみ入れた。
再び動き出すストマック・エイク号。乗っているのは深夜の一人カラオケ野郎と、尊大な態度の喋る猫であった。なんだこの空間。
<後編に続く>




