第31話 一体を倒す前に、もう一体
「どういうことですか?トロルの発見事例はまだ1件しかないですよね。それなのに2体もいるなんて、今は安定期に入ってるはずなのに」
樫村が目を見開き、顔をこわばらせてそう言った。
確かに樫村の言ってることは正しい。階層主を倒された後は、新しく階層主が生まれるまでは、その階層の魔物の凶暴性や攻撃性や活動量が下がる。
そのことを探索者たちは「安定期」と呼ぶ。
先ほど堂本に攻撃した、ケイプバットの例もあるので、迷信であるという説も多いが、階層主が倒されると、その階層の魔素濃度が下がることは数値として証明されている。
「上位個体の発見事例が少なすぎること自体が、ちょっと変だったんですよね。多分、隠し通路を境にある程度住み分けをしていたんだと思います」
朔がそう説明したが、樫村はただ視線を床に落して黙り込む。
「問題はどうするかですよね」
成瀬がまっすぐと朔のほうを見てそう言った。
「とりあえず、挟まれる前に戻って1体を倒して、そのまま2階層に戻るのがいいと思います」
朔はそういって、三人が頷いたのを確認してから「取り敢えず、戻りながら準備しましょう」といって、もと来た道へと歩き出した。
「倒せますか」
樫村が朔に聞いてきた。
俺一人なら……倒したことがある。
一人なら……。
そんな言葉が頭に浮かび、樫村を安心させるような言葉は出てこなかった。
「樫村さん、《迅速付与》 は使えますか?」
「ヘイストですか?使えますが本気でいってますか」
安心させる言葉の代わりに出てきたのは、樫村を不安にさせる言葉だった。
「俺がかけて欲しいといったら迷わずかけてくれますか」
樫村は少し考えたあと、朔の顔をもう一度ちらりと見てから、地面に視線を移し「分かりました」と小さな声で答えた。
その言葉を確認してから、朔は目を閉じて索敵を行った。
「前方40mくらい先にいます」
ここまで一本道の直線だったので、距離がつかみやすいということもあるが、音が拾いやすい。
強敵に一歩一歩近づくごとに集中力が高まっているのを朔は感じていた。トロルの姿を視認できた時には、視界が広がりクリアになったような気さえした。
「付与はどうしましょう」
「堂本さんにプロテクト、伊織にアーケイン、俺にマイトをお願いします」
朔はトロルから目を離さず、樫村に言った。
間合いが10メートルほどに近寄った時、樫村は呪文を詠唱した。
《防護付与》
《魔導付与》
《剛力付与》
堂本が黄色。成瀬が青。朔が赤色に薄く光った。
「朔、俺はどうしたらええ」
先頭にいる堂本が振り返らず聞いてきた。
「後ろに抜かさないようにお願いします」
「任せとけ」
いつもより低く太い声が返ってきた。
堂本が盾を構えた。
「グルルル……」
トロルは低い唸り声を漏らし、大きな棍棒を手にしている。大きく開いた鼻から荒い息を吐きながら、こちらを睨みつけている。
「来いや、デカブツ!」
「グオオオオッ!」
咆哮とともに巨体が一気に間合いを詰めてきた。
堂本は盾を前に出し、腰を落とす。
目前まで迫ったトロルが、堂本へ棍棒を振り上げた。
堂本が盾を持ち上げ、その一撃を受ける。
――ドゴンッ!
ケイプボアの時より大きく鈍い衝撃音が通路に響き、盾が大きく揺れた。
「ぐっ……!」
堂本の身体が沈み込み、靴底が床を擦る。それでも盾は下がらない。トロルは棍棒を押しつけるように力を込めるが、堂本は歯を食いしばり、その巨体を正面から受け止めていた。
トロルの棍棒が振り下ろされる。
――ドゴンッ!
堂本の盾が激しく揺れた。
「ぐっ……!」
それでも堂本は下がらない。
盾を押し込もうとしているトロルの意識は、完全に堂本へ向いている。
朔は堂本の横をすり抜け、その懐へ飛び込み、コンバットナイフで脇腹を斬りつける。
「グオッ!」
トロルが身体を捻り、まとわりつくハエを振り払うかのように、その太い腕を朔に向かって振ってきた。すぐに後ろに飛ぶ朔。
血は出ている。だが、肉が厚い分決定打に欠ける。
「効いとるやないか!」
「でも、足りません!」
トロルが怒りに任せて朔を追い棍棒を振り回す。
堂本がその進路を塞いだ。
「こっちこんかい!ウスノロが!」
「グオオオッ!」
棍棒が盾を叩く。今度は怒りに任せて2度続けて。
その隙に反対側へ回り込み、懐に飛び込む朔。
しかし、今度は朔に意識が向いていたので、棍棒を持つ手と逆の手が、朔の方に向かって伸びてくる。
朔が足を止め、身構えた。その瞬間、トロルの顔にマジックボルトが当たり、その顔が横に向く。
その隙を逃さず、再び脇腹をナイフで切り抜く朔。
そのまま後ろに回り、後ろから太ももに深く入れる。
ガツッ!
切り抜けるはずのナイフは途中で止まった。
そのままナイフを持っていかれないように、引き抜く朔。
「グオオオッ!」
咆哮をあげるトロル。しかし前回毒を回した時のように動きは鈍らない。むしろ傷を負うたびに、動きが荒く激しくなっていく。
――時間がかかる。そう思った瞬間だった。
「――グオオオオッ!」
遠くから、別の咆哮が返ってきた。一瞬、全員の動きが止まる。朔は声のした方へ顔を向けた。
「今の、まさか……」
「もう一体です」




